前回の《押弦応力》に続いて、今回は弦楽器、特にエレキ・ギター&ベースの弦振動を例に、弦長の《陰影分割》の副次振動区間として生ずる《寄生振動》の抑制の実際について語ろうと思います。
まずは押弦する際に生ずる二つの弦長が生ずる状況をそれぞれ区別する必要があるのですが、押弦する点からブリッジ方向の《主弦長》は、音響に直接寄与する為 'speaking segment' として扱われます。
またその一方で、押弦点からナット方向の弦長は通常 “non-speaking” と定義されるものですが、タッピング奏法や特殊構造の楽器(チャップマン・スティック等)に於ては受動的な二次振動(secondary vibration) を呈し、主振動系へ実質的な干渉を与える物でもあります。
主弦長とは異なる押弦点からの分割で生ずる弦長部分である為、これを《陰影分割》の「陰」という風にして次の様に区別する事とします。
陰影分割(陽/陰)概念の導入
本稿では、弦楽器の押弦時に生じる振動系を押弦点を境界として、
・押弦点とブリッジ側の《主振動区間(陽)》
および
・押弦点とナット側の《副次振動区間(陰)》
の二分割として捉える事にします。
これらの弦長二分割は単なる記述上の便宜ではなく、[弦─支点─楽器] 本体が構成する複合振動系に於ける振動モード結合の実在的構造を反映する物であります。また、この主振動への干渉(=寄生振動)は、減衰・エネルギー奪取・周期不安定化など、音響的に無視し得ない影響を及ぼし得るものです。
奏者は経験的に寄生振動を把握しており、例えばタッピング奏法で寄生振動を緩和する為にナット近傍にミュートを巻き付けるベーシストなども多く見られる様になっております。
寄生振動を低減させる以外にも、副次的に開放弦の不要な振動を取り除くという演奏面での不必要な振動を軽減させるという副次的効果もありますが、多くの場合、開放弦の不必要な振動のミュートなのではなく、寄生振動の緩和により振動の干渉と音色の変化を低減させるというのが大きな目的であります。
こうした《非駆動側振動》は、振動工学における 寄生モード(parasitic mode) に相当する物で、本稿では押弦点からナット側の領域を secondary vibrating segment(陰)として体系的に扱う事とします。
2. 主振動系と副次振動系の力学的関係
主振動区間(陽)と副次振動区間(陰)は、押弦点およびサドル/ナットにおける境界条件を通して非線形的に結合し、両区間の固有振動数・モード形状が相互に影響し合うものです。
特に以下の条件が揃う場合、陰側の振動が顕在化し、陽側の振動を乱す:
押弦点での摩擦・拘束が弱い場合
→ 押弦点が完全なノードとならず、双方向のモード結合が発生する.
弦後部長(afterlength)が比較的長い場合
→ Chapman Stick やタッチギターで顕著。陰に固有モードが立ちやすい.
打弦・タッピングのような局所インパルス入力
→ 駆動点が主振動系を特定しないため、陰にも容易にエネルギーが流入する.
楽器本体の共振(ボディモード)との偶発的結合
→ 弦後部とボディの混合モードが生じ、周期が揺らぐ.
上掲の結果、陰の寄生振動により、
・主振動エネルギーの喪失(energy stealing)
・基音周期の揺らぎ
・振幅変動・倍音構造の乱れ
が生じ、所謂「スポイル感」として聴取される事となります。
3. ヴァイオリンにおける「ウルフトーン」と寄生振動部
ヴァイオリンでは、駒後部の 'アフターレングス' が《1/6 共鳴》を起こすことが広く知られており、これは典型的な陰側の副次振動モード であります。この副次振動をエレクトリック楽器で例えると、ブレイク・アングル区間で生じている寄生振動という事になります。
この副次振動系が本体の固有振動モードと強結合すると、「ウルフ(狼音)」と呼ばれる周期不安定が発生します。完全五度音程よりも僅かに高い/低いという辺りが顕著となり、音程で言うと [減六度/不完全五度] という風に称される事があります。
そうした寄生振動由来の低減を目的として、ウルフ・キラー(wolf eliminator)は寄生モード(陰)の減衰を目的としたダイナミック・ダンパーを用いるのであり、陰影分割の「陰」を抑圧することで「陽(speaking segment)」の周期安定性を回復させる部品であるのです。
また、寄生振動の軽減はタッピング奏法以外でも音色のスポイル感を軽減させたり、サステイン増長に寄与する物であります。例えばストラトキャスターのサステイン・ブロックも顕著ですし、バダス/バダスⅡブリッジの様な重量を稼いだ製品がサステイン増長に寄与するのは、副次振動部の寄生振動を抑制するからであります。
そうした寄生振動の緩和は特にベース/ギターの多弦での極太弦では非常に効果が高く、真鍮製はもとよりタングステン類はかなり効果があります。また、副次振動側の規制振動除去はヘッド部分も非常に貢献度が高いものです。
かつてはヘッド裏に真鍮製のプレートを挟んでからペグを取り付ける様なオプション・アイテムもありましたが、特に多弦化が著しいギター/ベースではブリッジのみならずヘッド裏の真鍮/タングステン活用は更に広く拡大するのではないかと思います。既にそれを実現しているビルダーは、規制振動抑制に気付いていたからでもあるのです。
個人的におすすめするのが、ブレイク・アングル部に釣り用の重りである《ガン玉》という大きめの鉛製の重りを取り付けるのです。特に低音部は効果が大きいので騙されたと思ってやってみると好いでしょう。驚く程効果があり、寄生振動を抑制できてクリアな音色とサステイン増長を得られます。
4. 陰影分割の学術的意義
陰影分割(陽/陰)の枠組みは以下の点で有効であります:
・主振動区間と副次振動区間を 等価な振動系として形式化できる
・タッピング・ライトタッチ奏法における 非駆動側振動の問題 に明示的に対処できる
・ウルフトーンなどの伝統的問題と 同じ理論枠で統一的に扱える
・弦の押弦応力(playing tension)解析において、摩擦・拘束・非対称応力分布の説明が明瞭になる
本概念は、従来 “non-speaking length” として捨象されてきた領域に対して、新たに力学的・音響的役割を付与する理論的基盤を与えるものであります。