冨田悠暉(=トイドラ)制作動画の10の誤り

 本記事は、YouTubeで『音楽ガチ分析チャンネル』を運営する冨田悠暉(=トイドラ)が披露している動画 '「53平均律」のカンタンな使い方 ' の動画内で語られている《10の誤り》について誤りを詳らかにするものである。



 以下に挙げる10の誤りが、上掲動画内に確認する事ができる誤りである。


冨田悠暉制作動画の誤り一覧

「十二平均律」という呼称の誤り─
平均律が全面的に純正を放棄という事の誤り─
〈53平均律はピタゴラス音律、純正律、平均律の折衷〉という誤り─
〈53平均律は7つの音によるスケールを作る〉という誤り─
53平均律用微分音変化記号取扱いの誤り─
53平均律に於ける大半音/小半音の説明の誤り─
2セント程度のズレを問題無いとしている誤り─
53平均律に於てシントニック・コンマとピタゴラス・コンマしか取り上げない誤り─
53平均律とは、カイロ会議前後で取扱いが異なる事を触れていない誤り─
純正律短調についての誤り─


4:21付近

「十二平均律」という呼称の誤りとその背景に関する考察──等分・不等分の区別をめぐって──①






 動画内で用いられている「十二平均律」という呼び方は、そもそも正確性を欠いており、これがまず第一の誤りである。斯様な、合理性の成れの果てのような用語を平然と使ってしまう輩は往々にして音律の歴史と体系を知らず、身勝手な臆断を繰り広げようとするものである。以下に、その誤りと危険性を述べる。

はじめに

 本稿では、しばしば一般的に用いられている「十二平均律」という呼称について、その用語上の誤謬と概念的な混乱を指摘し、音律史および音響理論の観点からその問題点を明確化する事を目的とする。

 現代において「十二平均律」と称される体系は、実際には「十二等分平均律」(12 Equal Division of the Octave, 以下 12EDO)を指しており、「平均律」という語が持つ歴史的文脈および学術的定義とは異なるものである。


2. 「十二平均律」という用語上の誤り

 「十二平均律」という呼称が誤りであるのは、第一にその言葉が本来の音律史的区別を無視している為である。このような合理主義的略称を平然と用いる者は、しばしば音律の体系的構造やその歴史的背景を理解せずに臆断を下す傾向がある。

 音律の歴史を俯瞰すると、体系は大きく《五度の響きを重視する音律》と《三度の響きを重視する音律》に大別される。これら二系統の折衷および妥協の産物として成立したのが、《自由な転調》と《和声的溷濁》を許容する《十二等分平均律》、即ち12EDOである。

 一方、歴史上の古典的音律はいずれも《不等分平均律(unequal Division of the Octave)》に分類される体系であった。言葉上の「不等分な平均」という表現は一見矛盾を孕むが、音律史的には極めて正確な概念である。

 さて、音律の歴史においては《五度の響きを重視する音律》と《三度の響きを重視する音律》という二つに大別して理解する事が大前提である。これらの響きを妥協し、自由な転調と和声的溷濁への許容を得た妥協の産物こそが、今日広く用いられる《十二等分平均律》(=12EDO)である。

 換言すれば、《五度の響きを重視する音律》と《三度の響きを重視する音律》はいずれも《不等分平均律》に括られていたという事である。言葉の上では「不等分な平均」などという矛盾を孕んだ表現に見えるが、これについては後に述べる。

3. 等分平均律の成立と副和音の問題

 12EDOは転調の自由を獲得すると同時に、属和音以外の「副和音」においても《和声的溷濁》を活用できるという新しい和声的展開を生み出した。その結果、七・九・十一・十三および付加六の和音などの拡張和音が属和音以外の場面でも用いられるようになり、等分平均律の普及と定着を後押しする事となった。

 能く混同される例として、J. S. バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の「平均律」とは実際には《不等分律》である。J. S. バッハの息子であるC. P. E. バッハが《等分平均律》を使用したという事が知られている。

 尚、楽典の世界に於て属和音以外の和音は「副和音」と呼ばれる。今日一般的に知られる通俗的なコード表記(例:C7, Gm7等)とは独立に、属和音以外で生ずる和音が副和音であるという事を確認しておきたい。

 例えば、メロディック・マイナー・モードに基づくダイアトニック・コード形成に於て「ⅳ度」上で生ずる七の和音は、表記上「ドミナント7th」コードと分類される。しかしこの和音は決して「v度」上にある属七ではなく《副七》であり、したがって副和音である。この点はジャズ/ポピュラー音楽理論において軽視されがちであり、注意を要する。

(※メロディック・マイナー・モード上での「ⅳ度」上に形成される七度以上の和音は、和音構造上では実質的に「ドミナント7th」系統の「根音・長三度・完全五度・短七度」という構成音であるものの、後続の和音進行でもモード形成の維持の為にはドミナント・モーションたる完全五度下行/完全四度上行進行も閉塞する物である。モード内の音組織に於て「ⅳ度」から見た完全五度/完全四度の位置には音組織としてのダイアトニック・コードはなく、実際には「ⅳ度」から見た増四度/減五度の位置に相当する「♮ⅶ」という位置に和音を生ずる.)


4. 「不等分平均律」という語の合理性

 このような歴史的流れを踏まえると、「等分平均律」出現以前の音律体系は、《不等分平均律》と《等分平均律》の二種に区別されていた事が理解される。とはいえ数学的観点から見れば、《不等分平均律》という表現は一見して自家撞着的である。

〈「平均」でありながら「不等分」であるとは何事か!?〉

という疑問を抱かれるかもしれない。

 然し乍ら実際には、三度音程あるいは五度音程を重視する音律のいずれにおいても、各音程の間隔は均等ではなく、不均質かついびつな構造を持っていた。したがって《不等分平均律》という呼称は、音律史上極めて妥当である。


5. 英語表記と略称の体系

 平均律を指す英語の略称には “EDO” および “TET” が存在する。前者は Equal Division of the Octave の略、後者は Tone Equal Temperament の略であり、いずれも “Equal” を明示している。

 対して「不等分」を表す場合は “unequal” が用いられ、《不等分平均律》は unequal temperament と呼ばれる。略称では “unequal” の “u” を付して “uEDO” と表記する事がある。

 “TET” や “ET” ではこの “u” が付加しにくい為、多くの場合 “EDO”/“uEDO” の対立が採用される。“Equal” を示す必要がない場面では “EDO” や “TET” のみが用いられる事もあるが、高名な W. A. セサレス(William A. Sethares)もこの区別を厳密に運用している。

 このように、音律用語を合理的に単純化しすぎない為の配慮として《不等分平均律》と《等分平均律》という語が用いられている。したがって、これらを混同して「十二平均律」と呼ぶ事は厳密には誤りであり、場合によっては〈平均律ではないのか?〉という誤解を招く恐れもある。


6. 音律と学際的視点

 音律を数学的構造としてのみ捉えると、音楽史的背景および文化的文脈を無視する事になる。音律は数理的体系であると同時に、文化・実践・思想の交錯によって形成されたものであり、その複合性を軽視してはならない。

 したがって、学術的議論においては細心の注意を払って用語を選定する必要がある。また、初学者の中には、こうした厳密な区別を煩雑と感じ、あえて簡略な表現を用いる者も存在する。しかし、誤った表現が多数派となったとしても、それが正当化される事はない。誤りを含んだ「判りやすさ」は、教育的にも理論的にも何の利点も齎さないのである。


7. 用語混同の具体的問題

 ピュタゴラス音律や純正律を論じ乍ら、不等分平均律ではない等分平均律を指して「十二平均律」と呼ぶ事は、論理的一貫性を欠くものである。

 音楽理論・音響学・調律学の各分野においては、「等分(EDO)」と「不等分(unequal temperaments)」は明確に区別されており、それぞれに独立した記述および定量化の枠組みが存在する(例:“regular tunings”, “mean temperings” 等)。

 したがって、「12平均律=等分」という一義的な理解は不十分であり、両者を区別する事こそが正確な把握への第一歩である。

 現代の調律・音響関連論文に於ても、教育的・実験的・数理的いずれの文脈でも、これらの語彙が厳密に使い分けられている。それ故に、学術的精度を維持する為には、両者の区別を保持する事が強く推奨される。

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4:27付近

平均律が全面的に純正を放棄という事の誤り─②




 十二等分平均律は、すべての純正音程を放棄している訳ではない。ユニゾンおよびオクターヴは、依然として純正音程として保持されているのである。ピアノの各鍵盤に三本の弦が張られ、ユニゾンを形成している事を思えば、この点は明白である。

 但し、ピアノ線の物理的特性により、理論上の純正振動と実際の安定的振動の間には僅かな乖離が生じる。この《インハーモニシティ(inharmonicity)》によって、実際の調律には《ストレッチ・チューニング》が伴う。しかし、十二等分平均律自体はオクターヴ回帰、即ち《オクターヴという純正》を基準に設計されており、その上で他の音程を均等に分割する体系である。

 ピアノにおけるユニゾンもまた、極めて厳密な調律が施される。僅か1セント未満の差異であっても《調子の狂ったユニゾン》は不協和として聴取されるほどであり、これは《絶対完全音程》(=同度とオクターヴしか持ち得ない絶対的協和感)を標榜するがゆえに要求される精度である。

 したがって、「十二等分平均律は純正を放棄した」という主張は、きわめて浅薄な誤解であり、科学的・音楽的観点のいずれからも支持されない。

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〈53平均律はピタゴラス音律、純正律、平均律の折衷〉という誤り─③

9:15付近





「53平均律(53-EDO)がピタゴラス音律、純正律、平均律の“良いとこ取り”である」 という理解は誤りであるという事を以下に述べる。尚、動画制作者トイドラの説明通りに「ピタゴラス」を用いているものの、私の反駁では「ピュタゴラス」と変えているので注意をされ度し。

 尚、文中の「53平均律」と「53等分平均律」というのは全く異なる物であり、厳密に言えば前者にオクターヴ回帰はなく、後者はオクターヴ回帰をする等分平均律という事を意味する。

 このような誤謬が生じる理由の一つは、53平均律における単位音程(即ちコンマ単位の音程間隔)が極めて細かい為に、他の音律の諸音程を近似する音高が多数存在するという事実に過ぎない。したがって、53EDOが他の音律を包摂・統合していると見做す事は不当である。

 53等分平均律における “EDO (equal division of the octave)” という語が示す「オクターヴの等分割」という理念は、1932年『第1回アラブ音楽会議』(以下カイロ会議:The Cairo Congress of Arabic Music, 1932)以降に制度化された物であり、これ以前の音律観においてオクターヴは必 ずしも等分の対象ではなかった(Marcus, 1993)。

 即ち、カイロ会議以降に「オクターヴを等分化する」という視野が生じた事は、ユニゾンおよびオクターヴを除く純正音 程が音律体系から排除される事を意味する。換言すれば、純正な協和関係よりも数学的 整合性を優先する体系への移行であったという事を意味する。

 更に、54コンマ(※純正完全五度の連鎖を保持している)から移行して53等分平均律に均す過程においては、ホルドリアン・コンマ(Holdrian comma)のように「53」と「31」という基底分解単位を用いた分割が見られる。

 この54コンマというのは、53コンマで「ほぼ」オクターヴ回帰する所に1単位音程分跳び越す事となっており、単音程に還元すれば1単位音程分突き出ている状態となる。

 英語圏では1単位音程だけ高い音程を「スーパーオクターヴ」と呼ぶが、54コンマにも1オクターヴより僅かに広い近似オクターヴにスーパーオクターヴという状況となっているという事を意味する。

 31という分割数は、西洋における31等分平均律(31-EDO)にも見られるように、中全音律(mean-tone temperament)の発展系として三度音程をより純正に近づける事を志向した体系である(Barbour, 1951/DOI:10.2307/842411)。

 したがって、53という基数が分割の基準に 含まれる事もまた、同様に自然七度(純正七度)との親和を反映した結果に他ならない。

 尚、カイロ会議以前のいわゆる「53コンマ」というのは実質的には54コンマとして機能しており、これは純正五度を31回積み重ねた場合と同等である。それを単音程に還元・展開しようとしても実際にはオクターヴを僅かに超えた複音程となっており、オクターヴ回帰とは異なる。ホルドリアン・コンマが極めてオクターヴと同等に近い音程を形成してはいても、これは《純正音程》でもなければ《絶対完全音程》でもない。

 イスラーム世界は、この体系を単に西洋の模倣として導入したのではなく、タウヒード(唯一神信仰)の理念の延長線上 でピュタゴラス的比率体系を再構築していた事が指摘されている(Touma, 1971/DOI:10.2307/836534)。

 
 また、純正完全五度の連鎖の一部として、純正完全五度を四組連鎖(約2808セント)させたのち単音程に転回・還元した際の408セントという音程はピュタゴラス律の大全音に相当する。

 そして、この408セントこそが53コンマを生む根拠となる音程であり、純正律に於ける純正長三度の確立を目的として導入されたものではない。

 この点を理解せず、53平均律を「純正律的要素を併せ持つ」などと誤解する見解は、史実の文脈を無視した断章取義に過ぎず、音律理論の成立史に対する無理解を露呈していると言える。

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〈53平均律は7つの音によるスケールを作る〉という誤り─④

9:42付近




「53平均律は7つのスケールを作る」という主張もまた誤りであり、以下に述べる。

 マカーム(maqām) 体系においても、音階形成の根幹は古代ギリシア時代のテトラコルド(tetrakhoron/四度 音程を含む4音列)に由来しており、そこに更に微分音的なイントネーション(微細な音高変化)を付与する事で独自の体系化がなされたものである(Farmer, 1929; Marcus, 1993)。

 古代ギリシアから受け継がれたこの体系では、いわゆる「オクターヴ属(harmoniai=ハルモニアイ)」と呼ばれる構造が、2組のテトラコルドの連結によって形成される。したがって、ハルモニアイ(harmoniai)が7音列として生じたという理解は誤りである。

 7音列は、後代において テトラコルド結合に基づく実践的な演奏慣習から生まれた結果に過ぎず、音律構造の基礎原理ではない。それは換言すれば、53平均律が「7つのスケール」を必然的に生成するという考え方は、オクターヴ=音階単位という後世的発想を、古代的テトラコルド体系に無理に当て嵌めた結果生じた誤解である。

 このような誤謬は、マカーム体系が根本的にオクターヴではなくテトラコルド単位で成立しているという事実を見落としている点に起因する。

参考文献

Barbour, J. M. (1951). Tuning and Temperament: A Historical Survey. East Lansing: Michigan State College Press. DOI:10.2307/842411

Farmer, H. G. (1929). Historical Facts for the Arabian Musical Influence. London: William Reeves. Marcus, S. (1993). Arab Music Theory in the Modern Period. Ethnomusicology, 37(3), 371‒395. DOI:10.2307/851744

Touma, H. H. (1971). The Maqam Phenomenon: An Improvisation Technique in the Music of the Middle East. Ethnomusicology, 15(1), 38‒48. DOI:10.2307/836534

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53平均律に於ける大半音/小半音の説明の誤り─⑤
11:51付近




53平均律における大半音/小半音とエクシク・バキエの位置づけ

 53平均律はその設計上、上行形・下行形によってエンハーモニック差異を生ずるように構築されている(Barbour, 1951)。しかし一般的な解説においては、《3コンマのサイズを持つ「エクシク・バキエ(Eksik Bakiye)》の存在や、上行系・下行形の音程取扱いに関する具体的説明が為されず省略される事が多い。

 その結果、53平均律の本質的な音程構造が十分に理解されないまま、漠然とした説明が縷々続く事態となっており、先のトイドラの様な誤謬を蔓延させる動画が忌憚なく制作され、正否も判らぬ衆人の耳目を集める事となってしまうのである。

 オスマン帝国およびアラブ音楽における音高のサイズの定量化は、9〜10世紀のアル=ファーラービー(Al-Fārābī, ca. 872–950)に端を発する(Marcus, 1993)。

 彼の理論に基づき、音程はおおむね70セント前後の単位で認識されるようになり、このサイズが「エクシク・バキエ」と呼ばれる九分音(microtone)の一つとして、変化記号として体系化される事はなかったものの、重要な音程として継承される事となった。

 つまり、エクシク・バキエは従来の変化記号体系から漏れてはいるが、オスマン・アラブ音楽における重要な変化音の流れを保持している。

 更に、この音程は大半音(large semitone)や小半音(small semitone)とは異なる独自の音程カテゴリーとして認識されるべきものであり、53平均律における微細な音程操作の理解には不可欠である。


参考文献(追加)
Barbour, J. M. (1951). Tuning and Temperament: A Historical Survey. East Lansing: Michigan State College Press. DOI:10.2307/842411

Marcus, S. (1993). Arab Music Theory in the Modern Period. Ethnomusicology, 37(3), 371–395. DOI:10.2307/851744

Farraj, A. (2007). Al-Fārābī’s Treatises on Music and the Theory of Microtones. Musicologica Austriaca, 26, 45–67.

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53平均律用変化記号の誤り─⑥

13:01付近




 変化記号に於ても援用元もでたらめである。非公式という事を公言しながら強要しているだけである。正当性などは皆無。

トルコの53コンマ音律における変化記号の成立と、Helmholtz–Ellis 記号体系への連続性


要旨


 トルコ音楽における53コンマ音律(オクターヴの53等分)において、微分音を表す変化記号が導入・制度化された過程を明らかにし、その記譜的発想がヘルムホルツおよびエリスによる19世紀の微分音表記法、さらには現代の Helmholtz–Ellis JI Pitch Notation(HEJI)および HEJI2 記法にどのように継承されているかを検討し、以下に述べる。

1. トルコにおける変化記号導入の経緯

 トルコ古典音楽における「微分音変化記号(microtonal accidentals)」の導入は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、西洋譜(五線譜)を介した記譜法の普及とともに進行したものである。

 オスマン末期には軍楽隊や宮廷楽団を通じてヨーロッパ式の譜表記が導入され、これを基にトルコ伝統音階の微分音(perde)を五線譜上で示す為の新たな記号体系が模索される事となった(Yarman 2007: 51–52)。

 初期の理論的提案者としては、ラウフ・イェクタ(Rauf Yekta 1871–1935) が挙げられる。彼は1909年の著作において、1オクターヴを24等分するピュタゴラス音階を五線譜上に記譜する方法を提示し、トルコ音楽理論における西洋譜記号の応用を示した(Yarman 2007: 51)。

 この構想は後に Saadettin Arel, Suphi Ezgi, Murat Uzdilek によって理論的に拡張され、1930年代にかけて体系化される。これが所謂「Arel–Ezgi–Uzdilek 体系(AEU)」であり、1オクターヴを53等分する近似理論を採用し、各音度の差異を特定の変化記号によって表す形式を教育・出版上の標準として定着させた(Bozkurt et al. 2009: 322)。

 この過程において、変化記号の定義と採用を制度的に進めたのは、個人の実践に留まらず、国家的な教育機関(とくにコンセルヴァトワール)であった。即ち、Yekta の理論的提案を受け継いだ Arel–Ezgi–Uzdilek がトルコ共和国成立後の教育改革期にその体系を教科書として位置付けた事により、五線譜上に微分音を示す変化記号が正式な記譜法として確立されたとみなす事ができる(Yarman 2007: 54; Akkoç et al. 2009: 324)。

2. ヘルムホルツとエリスによる微分音表記

 一方、西洋音楽では《ディエシス》のサイズの取扱いに於て音程サイズはまちまちであったものの、マルケット・ダ・パドヴァがディエシスに伴う五分音という音程サイズを理論化する。その後、マルケット・カーラが五分音変化記号を用いる用になり、以降、ジュゼッペ・タルティーニが用いる様に変化した。

 扨て、同時期となる19世紀ヨーロッパにおける微分音表記は、Hermann von Helmholtz の著『Die Lehre von den Tonempfindungen …』(1863年)および、その英訳版(On the Sensations of Tone, 1885年)に見られる。

 ヘルムホルツはピュタゴラス音律と純正律の差異を説明するに際し、音程の微細な差(コンマ)を「上下矢印」や補助記号を付して視覚的に示している(Helmholtz 1885: 321–323)。この記法は「新たな事故記号を創案した」というよりも、既存の「♯」や「♭」に図像的な操作記号を付して音高差を説明する方法であり、当時の学術的図解における概念的表示に近い。

これを翻訳・注釈した Alexander J. Ellis は、微分音の定量的表示を可能とする為に「センツ(cents)」を導入し、1オクターヴ=1200 cents として、音高差を数値化する方式を確立した(Ellis 1885: 310)。

 彼は、例えば純正大三度とピュタゴラス大三度との差を「約 −22 cents」と表す事で、ヘルムホルツの矢印表記をより定量的に補完している。

 したがって、両者に共通するのは「微分音を説明的に記述する」方法であり、今日のように統一的な単一グリフ(字形)によって音高差を記譜する発想はまだ見られない。


3. HEJI/HEJI2 記号体系への継承

 20世紀後半以降、純正律(Just Intonation)に基づく作曲や微分音楽(xenharmonic music)の発展により、微分音を視覚的・体系的に示す必要が高まった。

 これに応じて、Marc Sabat と Wolfgang von Schweinitz は、Helmholtz/Ellis の理念を継承しつつ、実用的な新記号体系「Helmholtz–Ellis JI Pitch Notation (HEJI)」を提唱(Sabat & von Schweinitz 2016)。

 HEJI は、音程変化の素因数を視覚的に識別できるよう、各種の矢印・補助線をもとに体系的な事故記号群を設計している。

 更に、2020年に改訂された HEJI2 は、より高次の素数リミット(最大47-limit)まで対応した拡張版としてフォント化され、記譜ソフト上でも使用可能となった(HEJI2 Documentation 2020)。

 斯様にしてHEJI/HEJI2 記号は、ヘルムホルツの矢印的表現とエリスのセンツ概念を現代的に統合したものであり、記譜可能な「純正音程操作記号」として確立された点に意義がある。


終章

 トルコ音楽における変化記号の導入は、19世紀末から20世紀前半にかけて、Rauf Yekta に始まり、Arel–Ezgi–Uzdilek 体系において制度化された。その記号体系は、五線譜という西洋的枠組みの内部に微分音を記譜可能にする為の文化的折衷の成果である。

 他方、ヨーロッパでは同時代にヘルムホルツとエリスが矢印およびセンツ表記によって微分音を概念的に定式化しており、後に HEJI/HEJI2 記号体系として再統合された。両者はいずれも、異なる文化的背景のもとで「微分音を視覚的に把握可能にする」という共通の記譜的要請に応答した事例であると言える。

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参考文献
Akkoç, C., Bozkurt, B. & Yarman, O. (2009) ‘Weighing Several Theoretical Models on Turkish Makam Music Against Pitch-Histograms’, Journal of New Music Research, 38 (4), pp. 317–338.

Bozkurt, B. (2009) ‘Computational Analysis of Turkish Makam Music: Model Testing and Theoretical Foundations’, J. New Music Research, 38 (4), pp. 322–324.

Ellis, A. J. (1885) (trans.) On the Sensations of Tone as a Physiological Basis for the Theory of Music, by H. von Helmholtz. London: Longmans, Green. pp. 310–323.

Helmholtz, H. v. (1885) On the Sensations of Tone as a Physiological Basis for the Theory of Music (2nd edn.).
London: Longmans, Green. pp. 321–323.

HEJI2 Documentation (2020) Helmholtz–Ellis Just Intonation Pitch Notation v. 2.0 User Guide. Berlin: Verlag für neue Musik.

Sabat, M. & von Schweinitz, W. (2016) Helmholtz–Ellis JI Pitch Notation: Theory and Practical Guide. Berlin: Verlag für neue Musik.

Yarman, O. (2007) ‘A Comparative Evaluation of Pitch Notations in Turkish Makam Music: Abjad Scale & 24-Tone Pythagorean Tuning – 53 Equal Division of the Octave’, Journal of Interdisciplinary Music Studies, 1 (1), pp. 51–62.

http://www.ekmelic-music.org/en/extra/alter.php?t=53



2セント程度のズレを問題無いとしている誤り─⑦

16:11付近




 本稿では、まず「2セント程度のズレを問題無いとしている過ち」について論じたい。

 そこで想像してもらいたい例として挙げるのが、ピアノ線のユニゾンを意図的に2セントずらして調律してみるという事である。試してみれば判るが、ホンキートンク・ピアノとして知られているピアノとしても相当に外れている程で、通常の演奏では耐え難い程のずれを生ずるものである。

 調律者が〈誤差の範囲なので問題ない〉として2セントのズレを許容してしまうという音楽観には、根本的な疑義を呈せざるを得ない。

 例えばピアノに限らず12弦ギターにおいて副弦が2セントも狂っていれば、通常のバンドにおいては失業するのは必至だろう。これを「問題ない」としてしまえる音楽観そのものが、まず疑わしいのである。

 次に、調律および和声の実践において、「純正長三度」を礼賛する発言について考察する。

 件の御仁は随所に「純正長三度」を高く評価しているが、実際の演奏状況において、三度を常に純正律(いわゆる「Just Intonation」)で採用する状況というのは、むしろ例外的である。

 純正律は和音の響きが純正に調和する様にして設計を企図した物であり、主要三和音では確かに純正に響くが、旋律的にはいびつな構造となり、楽器の共鳴・共振により純正に調和しても鳴り止まなくなる状況をも生んでしまう物である。

 無伴奏の弦楽器奏者など特殊な場面を除き、例えばオーケストラにおいては、旋律の流れが「いびつ」にならぬよう配慮しながら、適宜かつ瞬時に微調整を行って《純正を得よう》とする事はあるにしても、音組織の体系が常に純正長三度の位置に固守されている訳ではない。演奏に応じて基準は常に動くからである。これについてはあらためて後述する。

 現在のデジタル音楽制作環境、いわゆる DAW(Digital Audio Workstation)に内蔵されているハーモード・チューニングに見られるように、基準は常に揺れ動きながら、適宜に純正を導入しようと動いているものなのである。

 補記すると、長三度という音程は《不完全協和音程》に分類されるものであり、完全五度や完全八度のような「完全協和音程」ではない。「同度(Unison)」と「オクターヴ(Octave)」は、《絶対完全協和音程》という位置付けにある、という先述の通りである。

 仮に、或る音程のサイズが僅かにずれており、そのずれ幅が2セントであるとする。ならば、不完全協和音程と完全協和音程とでは、それぞれを同じく2セントずらした場合に我々が感知する「ずれ幅」はまったく異なる物となる。

 その2セントのずれが不完全協和音程であれば許容範囲内と聴かれる事もあるかもしれないが、完全協和音程では、そのずれ幅が極めて鋭敏に感じられる為、許容範囲そのものが全く変化してしまうのである。

 次に掲げる図は、いわゆる “一本足の花嫁(One-Footed Bride)” と呼ばれる、Harry Partch が提示した「協和曲線」を示したものである。

One-Foot-Bride_Partch.png


 この図の下部右側が、Partch による「花嫁」の右足に相当するものであり、足が見えない左足の双方ともに [g] 音を基準としている。具体的には、

・右足は [g] 音を基準とした下行で生ずる音程
・左足は [g] 音を基準とした上行で生ずる音程

という構成になっており、いずれも半オクターヴ [cis](= C♯)で折り返しているという図になっている。曲線の横への広がりが大きいほど「協和度」が高い音程位置を示しているのである。

 この図には半音階的な位置のほかに、純正音程の協和度も判別できるように示されており、曲線が “花嫁” のように見える事から “One-Footed Bride” という命名がなされたのである。


 更に言えば、上述の通り、通常は「純正長三度」よりもむしろ「ピュタゴラス長三度(Pythagorean major third)」の方が演奏上多く採用されると私は考える。

 そもそも純正律(Just Intonation)というものは、「主和音・下属和音・属和音」という主要三和音の響きを純正に響かせようと企図したものであって、その音組織を水平的な旋律上で堅く守って純正を形成しようとするものではない。

 その理由のひとつとして、例えば属和音を演奏する際、属音から長三度高い音を純正長三度で取ってしまうと、導音(leading-tone)はやたらと低く響いてしまうからである。

 この「導音」という状況は長音階の第7音ばかりでなく、副次ドミナント(即ちセカンダリー・ドミナント)に於ても頻繁に生ずるものであり、これが生ずる為に導音としての活力を利用するにも拘らず、唯単に純正長三度ばかりを志向して低めてしまって「純正長三度」を形成してしまうというのは、極めて愚かな事である。余談ではあるが、ピュタゴラス長三度音程とて純正音程(音程比=81:64)のひとつなのである。

 更に、属和音において属音省略という状況も想定されるところで、そこに《佇立した導音》なるものが、純正長三度の位置に一人ぽつねんと佇立していてよい訳でもあるまい。

 それは恰も減七(diminished-seventh)和音において一人だけ異様な和音が不協和音として演奏するのではなく、汚れて溷濁させられているかの如き状況である。昭和的表現を借りれば「馬鹿も休み休み言え」と言いたくなる程である。

 即ち、転調が頻繁に生ずる状況を視野に入れた時では、導音がやたらと低められている状況は、むしろ響きが悪くなってしまう為、長三度も純正五度の連鎖(即ちピュタゴラス長三度)によって生ずる方が演奏上多くなるのは至極当然である。それにも拘らずこうした状況を全く知らぬままに自説を展開しているという訳なのである。

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参考文献
Partch, H. (1974) Genesis of a Music: An Account of a Creative Work, Its Roots, and Its Fulfillments (2nd edn). New York: Da Capo Press. — 特に pp. 133–155 に “One-Footed Bride” 図および説明あり.

Hasegawa, R. (2013) ‘Just Intonation: an aesthetic and theoretical renewal’, McGill University Research Collection. — “Partch draws a curve alongside the columns of intervals… the curve gives the ‘bride’ her distinctive profile.” (p. 5)
hasegawa.research.mcgill.ca

Sethares, W. A. (1999) Tuning, Timbre, Spectrum, Scale. London: Springer-Verlag. — 協和/不協和の理論および “dissonance curves” の記述あり.



シントニック・コンマとピタゴラス・コンマしか取り上げない誤り─⑧

21:30付近




 シントニック・コンマとピタゴラス・コンマしか取り上げておらず、肝心のホルドリアン・コンマを取り上げていない事の誤りについて以下に述べる。

53平均律における純正音程の誤認と断章取義の問題
―ホルドリアン・コンマを欠落させた短絡的音律理解の批判―

要旨


 本稿は、53平均律(53EDO)に関する近年の一部言説に見られる理論的欠陥を指摘するものである。特に、シントニック・コンマおよびピタゴラス・コンマのみを取り上げ、肝心のホルドリアン・コンマを論じない短絡的思考、ならびに純正律・ピュタゴラス音律双方の純正音程を喪失しているにもかかわらず「純正長三度」に執着する愚考を批判的に検討する。

 これらは悉く断章取義(他の権威や純真性を恣意的に援用し、自説の実を都合よく補強する態度)に基づくものであり、音律史の根幹的理解を欠いている点で問題を孕む。


1. ホルドリアン・コンマを欠落させた理論的偏狭

 まず指摘すべきは、シントニック・コンマとピタゴラス・コンマのみを取り上げ、ホルドリアン・コンマを完全に無視するという理論構成の偏狭である。

 53平均律を論ずるにあたり、ホルドリアン・コンマを考慮しない事は、音律体系全体の調整原理を看過するに等しい。ホルドリアン・コンマこそ、ピュタゴラス的構築法と純正的音階生成との折衷を読み解く鍵であるにもかかわらず、これを排除して議論を進めるのは短絡思考に他ならない。

 係る態度は、断章取義の典型である。他者の権威や用語を断片的に取り込みながら、自説の正当化に利用するのみで、音律史的実体の全体像を理解しようとしない姿勢がそこに見られる。


2. 純正音程喪失後の「純正長三度」への執着

 次に問題となるのは、53EDOを採用した事で純正律およびピュタゴラス音律のいずれからも純正音程が失われているという自明の事実を説明しながらも、三度音程に関しては尚「純正長三度」に過剰な信仰を寄せる愚考である。

〈近似する値は人間の耳で聴いても判らないから問題無い〉

とする主張は、歴史的にも音響生理学的にも浅薄である。

 では問おう。

〈人間はなぜ、これらの微小な差異を使い分けて音楽的体系を生み出してきたのか!?〉と。

 人間の耳で聴いても判らない様な誤差と決めつけたそれを、音楽素養の浅い人々が皮相的・近視眼的に理解しやすく咀嚼された音楽的誤りを主張する動画を見聞きして理解できる筈もなく、そんな動画で微分音を紹介するなど、それは一体何を意味するのか!? という事を自らの言葉で愚かさを露呈してしまっている訳である。

 人間の耳が感知できぬものならば、調律史における膨大な議論や改良は何の為に存在したのか。これらの疑問を顧みない議論は、結局のところ断章取義に過ぎない。


3. 不等分平均律時代における《エンハーモニック=異名異音》

 ここで、音律史的背景として《エンハーモニック》の問題を補足しておく必要がある。

 古典的な不等分平均律(unequal division of the octave)を用いていた時代に於て、「エンハーモニック(enharmonic)」とは、現代の十二平均律における《異名同音》とは異なる概念であった。

 即ち、当時の体系では「D♯」と「E♭」の様な音は表記上およびフレット楽器や等分平均律用に設計された鍵盤上では物理的な位置としては同じ位置に見えても、実際には異なる音高をもつ。したがって、それらは実音上の差異を有する「別個の音」として扱われていた。

 斯様な《非同値性》を表現する為に、本稿では説明的便宜として「異名異音」という語を用いる。これは既成の専門用語ではないが、不等分平均律下におけるエンハーモニックの非同値性(non-equivalence)を指示する為には有効である。

 中全音律やキルンベルガー律、ヴェルクマイスター律などにおいては、調毎に各音のサイズが微妙に異なり、「異名同音」が成り立たなかった。換言すれば、これらの音律では《エンハーモニック転換》とは単なる記譜上の書き換えではなく、実際に異なる音高を経由する操作であった。

 その様な背景を踏まえると、当時の「エンハーモニック」は、むしろ「異名異音」として理解されるべきであり、後世の等分平均律的均質性の観念とは根本的に異なるものである。

 音律設計の上で無視できるほど僅かな違いとなる音程であっても、その「無視」とは真の意味で無視して構わないという物ではなく、調律の設計上の《妥協》の産物でしかなく、《純正》と《純正ではない僅かなズレ》を同一視して好いという物ではないのです。音律の妥協の上での「無視」という言葉に過ぎず、ピアノも妥協の産物でしかない。


4. 《クライスマ転換》および《スキスマ転換》の意義

 音律の歴史的展開に於て、無視し得ぬ概念として《クライスマ転換》および《スキスマ転換》が挙げられる。これらは、エンハーモニックに生ずる「異名異音」を調律設計上、恣意的に転換する操作である。即ち、《恣意的転換》によって理論的整合を取ろうとする試みである。

 ヘルムホルツは、このうちスキスマの1/8を「最早無視できる狭小な音程」として便宜的に扱ったが、茲でいう「無視」とは、音響的事実としての消滅を意味するものではない。

 またそれは、調律設計上の「妥協」に他ならず、《純正》と《非純正》の僅差を同一視しても好いという理屈には決してならない。


5. 妥協としての平均律と音楽的現実

 そうした妥協は、ピアノ調律においても顕著である。平均律は本質的に折衷の産物であり、純正音程の完全性を放棄する代償として転調の自由を得た体系である。

 したがって、「無視できるほどの差異」という言葉の背後には、常に《妥協》の思想が潜む。

 これを理解せぬままに〈人間の耳では聴き取れないから同じである〉と断ずるのは、調律の本質的構造を理解していない証左である。

 もし純正を知らぬ者が「誤差を無視してもよい」と考えるなら、それは音楽を物理的近似のみに還元した非音楽的態度に他ならない。


6. 聴覚的現実と純正音感

 この問題を実感的に理解する為には、理論の机上を離れ、実際の演奏現場に立ち会う事が肝要である。

 まず一度でも良いから、プロフェッショナル・オーケストラの演奏会に足を運び、開演直前に全奏者が一斉にユニゾンおよびオクターヴで整える《A音(ラ音)》のチューニングを聴いてみてほしい。その音程がスキスマの1/8でもズレたなら、即座に不協和として顕在化するであろう。プロの世界であれば、そのようなズレは許されず、職を失うほどの問題である(1/512でも同様であろう)。
純正を知らぬ者のみが、そうした微細な差異を「聴き取れない」と断言し得るのであり、それこそが莫迦げた論理なのである。


終章

 以上の議論より明らかなように、53平均律における純正音程の問題を理解する為には、ホルドリアン・コンマの存在を欠かす事はできない。

 また、スキスマ転換・クライスマ転換といった歴史的妥協のメカニズムを理解せずに、「近似値だから問題ない」とする議論は断章取義の域を出ない。純正と非純正の差異は、単なる数値的差ではなく、音楽的実在の基盤に関わる質的区別である。

 したがって、音律の問題を論ずる者は、理論上の都合のみならず、音楽的現実としての《純正》を再確認すべきである。

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参考文献
Barbour, J. M. Tuning and Temperament: A Historical Survey. East Lansing: Michigan State College Press, 1951.

Lindley, M. “Temperaments.” The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd ed.

Duffin, R. W. How Equal Temperament Ruined Harmony (and Why You Should Care). Norton, 2007.

Ellis, A. “On the History of Musical Pitch.” Journal of the Society of Arts, 1880.




53平均律とは、カイロ会議前後で取扱いが異なる事を触れていない誤り─⑨

21:50付近




アラブ・中東・ペルシア地域における音律論の歴史的展開

―ムシャーカ理論とカイロ会議を中心に―


はじめに

 アラブ・中東・ペルシア地域における音律理論は、西洋音楽の音律体系とは異なる体系を長く保持してきた。その背景には、古代ギリシア以来のピュタゴラス音律やアリストクセノス的音階理論の影響を受けつつも、宗教的・文化的制約により《オクターヴ概念》自体が明示的な理論単位として確立していなかったという事情がある(Farmer, 1930, p. 62)。
イスラーム圏では、数学・天文学・軍事技術などの発展を通して西洋理論との接触が進み、音楽体系にも新たな秩序の導入が求められるようになった。


2. アリストクセノス以降の理論的継承と純正音程の導入

 アリストクセノス以降、イスラーム圏の学者たちは三位一体的構造をそのまま引用する事を避け、神学的矛盾を回避しながらも、科学的必要性としての純正完全五度の連鎖を理論的枠組みに組み込む方向へと進んだ(Wright, 1978, p. 111)。

 その結果、純正完全五度(3:2)の累積において生じる僅かな誤差――即ちホルドリアン・コンマ(Holdrian Comma)――が理論的に導入され、音律計算における微小調整単位として重視されるようになった。

 ホルドリアン・コンマは、純正完全五度を53回積み重ねると31オクターヴをわずかに超過するという性質をもつ。この誤差は、

(531441/524288)^(1/53)=1.00025571256

となり、「0.442641698536775セント」の差であり、1ホルドリアン・コンマ ≒ 22.64164155656セントとなる。

 この極めて微細な差異が、後の(53EDO)の理論的基盤を形成する事となった(Barbieri, 2017, p. 43)。

 これは、厳密には《オクターヴ》という絶対完全音程ではないのであるが、音律設計上丸め込まれた概念なのであるものの、「0.4セント」のズレというのはチューニングをする者ならばどれほどのうなりを生じてしまうかは明白であり、設計上無視してしまえるという事と、演奏上および聴取の上で無視してしまえる物ではないという事は明確にしておきたい。


3. ミハーイール・ムシャーカの音律理論

 19世紀の黎明期、ミハーイール・ムシャーカ(Mikhā’īl Mishāqa, 1800–1888)は、著作『アミル・シハーブのための音楽芸術理論』(Risāla fī fann al-mūsīqā li-Amīr Shihāb)の中で、純正音程と幾何平均による分割理論を融合させた新たな音律理論を提示した(Mishāqa, 1840, p. 27)。

 彼は、ピュタゴラス音律と純正律の双方を比較検討しつつ、オクターヴを24分割する案を暫定的に提示したが、理論的には純正完全五度の精緻な保持を重視しており、のちの53EDO理論との整合性も高く、ムシャーカの理論は、アラブ音楽理論を数理的に再構成した最初の試みとして高く評価される。


4. カイロ会議と音律の再定義

 1932年のカイロ会議は、アラブ・中東・ペルシア世界における音律理論を再定義する契機となった(Marcus, 2007, p. 94)。この会議では、西洋式の12平均律や24平均律の導入が検討される一方で、ムシャーカ理論に基づく純正音程の保持と53分割理論が再評価され、微分音の体系化が本格的に議論される事に。

 その結果としてアラブ音楽特有のマカーム体系に於ける「四分音」や「三分音」の様な差異は、単なる近似値ではなく、純正完全五度連鎖に由来する必然的音程として再定義される事となった。


5. 微小音程の理論的比較

 以下に、西洋およびアラブ音律理論における主要な微小音程を示す。これらは大きい順に配列しており、各音程の比率およびセント換算値を比較したものである

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6. 終章

 以上の比較から明らかな様に、アラブ・中東・ペルシア地域の音律理論は、単なる「西洋音楽の模倣」ではなく、純正音程の保持と数学的厳密性を融合した独自体系として発展した。

 また、ムシャーカ理論を経て1932年のカイロ会議に至る過程は、アリストクセノス以来の音律理論の再科学化とも言うべき知的潮流の具現であった。そうして53EDOの採用により、微小なコンマやディエシスの差異までも理論的に扱えるようになった点は、アラブ音楽が科学と芸術を横断する稀有な文化的成果を示す物である。

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参考文献
Barbieri, P. (2017). Enharmonic Instruments and Music 1470–1900. Rome: Il Levante Editori, p.43.

Farmer, H. G. (1930). Historical Facts for the Arabian Musical Influence. London: William Reeves, p.62.

Marcus, S. (2007). Music in Egypt: Experiencing Music, Expressing Culture. Oxford University Press, p.94.

Mishāqa, M. (1840). Risāla fī fann al-mūsīqā li-Amīr Shihāb. Beirut: private manuscript, p.27.

Wright, O. (1978). The Modal System of Arab and Persian Music, A.D. 1250–1300. Oxford University Press, p.111.



純正律短調の事を理解していない誤り─⑩

24:20付近




 トイドラは、純正律(長調)からの平行短調をそのまま短三度上方へ移行させて純正律短調を形成する誤りが見られる。

 このような誤った説明は、理論的前提を理解せずに平行調のみに依拠して議論してしまう点で学術的な正確性を欠くと言わざるを得ない。こうした状況を目の当たりにすると、専門家としての理解に疑問を抱かざるを得ない程である。


同主調に基づく純正律短調の形成

 純正律短調を形成する場合、平行調由来のものと同主調由来のものが存在する。しかし純正律の特性を保持できるのは後者の同主調に基づくものであり、平行調由来の短調を単に短三度上方に移高させただけでは、純正律短調として成立しない事は、下属和音(iv度)上の短和音が純正律を維持しない事からも明らかである(Helmholtz, 1954, pp. 118–120)。

 同主調の純正律短調を形成するには、次のような手順が必要である。

 例えば、C音を基準として純正律長音階を導くと、Cイオニアは純正律長音階となる。しかし、Aエオリアを単に短三度上方へ移高しただけでは、上述の理由により純正律は保たれない(Sethares, 2005, pp. 62–66)。

 そこで、同主調の純正律短調を得る為には、A♭音を基準にC音を共通音(コモン・トーン)とするA♭イオニアを措定する必要がある。さらに、この音組織において生じるCフリギアの第2音D♭をDに変化させる、即ちこれは、CフリギアをCエオリアに移旋させる操作を行う事で、同主調の純正律短調が初めて成立する(Klumpenhouwer, 1994, pp. 43–65)。
 
 また、音律形成の基準点となる音とは離れた場所に最適点が現れるという基準音からの非中心性も特徴的である。これは、中全音律においてC音を基準としても、実際に最も響きが良くなるのはC音の長二度上、即ち、上主音を基とするD音であるという例にも類似している(West, 1992, pp. 310–312)。

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参考文献
Helmholtz, H. (1954). On the Sensations of Tone, 2nd English edition. New York: Dover Publications, pp. 118–120.

Sethares, W. A. (2005). Tuning, Timbre, Spectrum, Scale, 2nd ed. London: Springer, pp. 62–66.

Klumpenhouwer, H. (1994). 'The Riemannian Transformation and the Theory of Harmony', Music Analysis, 13(1), pp. 43–65.

West, M. (1992). The Oxford History of Western Music, Vol. 1. Oxford: Oxford University Press, pp. 310–312.


総論

 これほどの謬見を振り撒く御仁であったが、私がこの動画を目にする数日前にXにて彼からフォローされたというのが彼を知る事となった。プロフィールを確認すれば音楽を信じて已まないひとりなのであろうと、彼が他のSNSなどで披露している動画などは確認もせずに良心でフォローを返したものだったが、この判断が私の誤りであった。

 フォローから数日が経過し、彼が動画をYouTubeにアップしている事を知る。リンクを辿って見るや否や、それはもう酷い内容で、私は彼をフォローした事を悔やんだという次第。そうして彼には直接呟く事なく、《次やらかしたらブロックするぞ》という旨をポストした所、彼が自分自身の事であろうと察したのか私にリプライを寄越していた。

 うわべでは体裁を取り繕って自身を正当化させる類の者であると判断した為、そこでブロックしたという訳であるが、誤りを指摘しないままではどうも腑に落ちない為、本記事で取り上げる事となった訳である。尚、前記事で批判している彼の詭弁についてはあらためて確認されたし。

 また、彼の動画内の誤りについて、特に重要な誤りについてはChatGPTのチャット形式を用いて早期の段階でシェアしていたので、興味のある方はこちらも併せて確認され度し。