インコグニート「Colibri」に用いられるアンブシュアおよびビズビリャンドによる微分音と楽曲解説

 扨て今回は、微分音使用楽曲を取り上げるに当たって、非常に判りやすい例となる楽曲を引き合いにして語りたいと思い、そこでインコグニートが92年にリリースしたアルバム『Tribes, Vibes, Scribes』収録の「Colibri」に白羽の矢が立つ事となった訳です。

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 当時の世はアシッド・ジャズ系やUKソウルなどと形容される様に、他のジャンルでも60〜70年代の懐古主義(アナクロニズム)が起こり、レニー・クラヴィッツやジャミロクワイの1stアルバムなどが当時のムーヴメントを牽引していた頃にインコグニートというバンドが登場したという訳です。

 英国ではアヴェレージ・ホワイト・バンド(AWB)やジェフ・ミューレンの様なアーティスト達が、シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)やチェイス等に共通する「汗かき系」の様な血が迸るタイプのブラス・ロックとは一線を画す様にして洒脱な演奏と一定のリフを聴かせ乍らインタープレイで楽しませる様なアンサンブルを聴かせていたのが主流でした。

 また、英国のジャズ・ロック系統としてプログレに括るもプログレよりもジャズ風味が強いけれども洒脱で高次な和声感を演出する事に成功していたのはブライアン・オーガーの名を挙げなければなりませんが、ブライアン・オーガーが米国西海岸人脈と交流をしていた事で西海岸勢が洒脱なジャズ・ロック傾向が強まり、東海岸勢がジャズ人脈で汗臭くなっていたという変化も見られ、90年代に入ると突如として《洒脱系》のアンサンブルが持て囃される様にもなったという訳です。

 80年代の英国とてシャカタクの成功があった様に、そうした成功の地盤はAWBの成功があった様に思われますし、何よりプログレのカンタベリー系人脈で知られるアラン・ゴウエンとて汗かき&土着系ファンクのアサガイに参加していたという位ですから、そこでアサガイでも活動していたと言われるシャカタクのロジャー・オデルがその後洒脱系へと変化するのは英国でも汗かき系が廃れてバンド・アンサンブルの聴かせ方として一定の醸成が見られた後に変化が起こったのだと思います。

 インコグニートというバンドは突然変異を起こして登場したのではなく、ジャズを基盤にし乍ら洒脱に演奏を聴かせるというプロット自体は存在し、そこで時代が求めるアナクロニズムとミニマリズムが融合した事で生まれたのであろうと思います。


 そういう訳で今回はあらためてインコグニートの「Colibri」の楽曲解説をする事になるのですが、本記事は基本的に次の様なテーマで大別させて語るのでありますが、

・アルト・サックスおよびトロンボーンのソロに用いられる微分音
・ローズ・ソロでのジャズ・イディオムとは異なるクロマティシズム追求のアプローチ

という部分に焦点を当て乍ら楽曲を語って行こうと思います。とはいえ、それだけの話題になるという訳ではなく、本曲を短くまとめて編曲した短尺版アレンジとして小節順に語って行くという流れとなりますので、譜例動画の方に充ててある小節番号に注意してもらい乍ら語って行こうと思います。


 それでは茲から楽曲解説に入りますが、本曲のコード進行は基本的に「Em9 -> A7(♭13)-> Dm9 -> Gm9(13)」という4つのコードによるツーファイヴ循環であり、途中でこのコード進行とは異なる部分を介するものの、楽曲の大半はこの循環コードで占められます。




 その循環コードで象徴的なのがブルーイの奏するカッティング・ギターのリフであります。思えば94年。ドラマーにリチャード・ベイリー(☜ジェフ・ベックのアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』でお馴染みの)を擁するインコグニートが来日(※「初来日」は93年であるようで私の記憶違いであり、94年の初来日というのは訂正しました)し、私は渋谷公会堂で彼等のライヴを観賞した事がありますが、ブルーイはギブソンのES-335を用いていたのが印象的でした。

 また、335でのリフ使いで象徴的だったのが、1弦のミュートが非常に巧みで内声の使い方がかなり巧みなプレイヤーであると感じたものです。それと、シングル・ノート・カッティングも絶妙で、私の個人的な感想としてはアル・マッケイに比肩するプレイと思えた程でした。

 そうしたブルーイの特徴的なプレイについて併せて本曲のリフを語る事にしますが、当該循環コードの冒頭部分である「Em9 -> A7(♭13)」は、2本の弦が非常に際立っているものの、実際には3音で奏されます。また、1弦のミュートとピッキングがかなり巧みなので、1弦は実際には鳴っていない箇所が多いものの、時折1弦ミュートを織り交ぜる事もあるようです。

 こうした1弦ミュートで代表的な曲というと、Charさんの「Smoky」のカッティングでもありますが、ブルーイの方は和声を稼がずにかなりシンプルかつ音色も軽い、低域をカットした音で奏しているのが対照的でもあります。

 続いて循環コードの後半部分となる「Dm9 -> Gm9(13)」ですが、4つ目となる「Gm9(13)」というコードはイントロ部分ではそうしたコードを明示的にする音は奏されていません。ギターのリフを楽譜上では使い回して表記しているので、イントロの洒脱でシンプルなリフとは異なる音が明示的にされているのは違和感を覚えるでしょうが、曲全体の為だという風に目を瞑っていただきたいと思います。

 最初のアップロード時は、Doricoでの異弦同音の処置を誤ってしまって、タブの押弦位置がトンデモ無い場所に表されてしまっておりましたが、それも修正して新たにアップしております。

 また、「Gm9(13)」というコード表記に於て、《マイナー・コードの♮13th音というのはアヴォイドではないか!?》という風に疑問を抱く方が居られるかと思います。確かに機能和声的にはアヴォイドですが、ジョン・パティトゥッチの「Baja Bajo」とか、ジョージ・デュークの「Faces In Reflection No.1」とか、マイナー・コード上で♮13thの使用例など挙げれば枚挙に遑がありません。

 響きとしては「Gm9(13)」は実質的に四度上のコードの和音の断片即ち「C11」からC音の根音を省いている様な状況に近い断片の姿として振る舞わせる事も可能ですが、[g] という根音の主体を持たせ(とはいえ、ベースのリフも [g] 音を際立たせている訳ではないものの)ているという体裁でコードを表記しております。

 本曲で主要な位置を占める循環コードに於けるギター・リフの概略化とベースとの兼ね合いについては上述の様に注意していただいて解釈してほしいと思います。

 また、本曲のツーファイヴ循環コードで特徴的なのは、先行2コードが《同主調》のツーファイヴの音脈(Key=Dに於けるⅡ→Ⅴ)であり、後続の2コードが原調(ⅱ→ⅴ)という所にあります。

 ボーカル・パートが入る譜例動画9小節目の3拍目を確認していただければお判りかと思いますが、ボーカルおよびユニゾンのピアノ高音部で生ずる [d] 音。これこそが〔Em9→A7(♭13)〕の解決先である主音である訳ですが、抑もこの主音は現れるべきではない箇所であり「A7(♭13)」の効用下にある《逸音》に過ぎません。

 然し乍ら、このツーファイヴは元々「D△」という状況を《ツーファイヴ解体》したものという風に理解すれば合点が行きます。そうする事で「D△」上に生じていた旋律は異なる和声により一層弾みが付き、逸音 [d] では強烈な反発力を得る事にもなる訳です。

 加えて、適宜異なる調性へ解決する、という着地を狙った状況でもなくツーファイヴが繰り返される訳ですから、後続のツーファイヴ〔Dm9→Gm9(13)〕はKey=Dmの「ⅰ→ⅳ」の戈法五度進行をツーファイヴの連環として述べているに過ぎず、本来のDmでの「Em7(♭5)→A7」あるいはDドリアンであるドリア調での「Em69(※Em7でも良い)→A7」でのツーファイヴではないのですが、調所属が適宜明確になっていない状況での連環ではツーファイヴと呼んでも差し支えないのです。

 更に付言すれば、後続ツーファイヴとした〔Dm9→Gm9(13)〕は、その「Gm9(13)」を「ドミナント・マイナー」という風に解釈した場合、調所属となるフィナリスはKey=Cmに伴う [c] 音を主音と仮定する事も可能なのですが、Gm上での [e] を生ずる事で、仄かにCmはC△へのピカルディ終止を匂わせる脈でありながら、Key=Dmでの「ⅰ→ⅳ」をも示唆しているという事になり、そうするとKey=Dmでの主音 [d] 音が「Dm9」上で2拍目に一瞬現れるという状況にもなっている訳です。

 主音がなかなか見えて来ない調的には多義的にもなる状況。然し乍らメロディーはシンプル。この洒脱な状況は、メロディーが先行してツーファイヴ解体という形で和声付けを行っているのではないか!? という推察が成り立つのでありますが、ツーファイヴ解体が前以て視野に入っている状況であれば、それを見越してフレージングを施す場合もあるので一概には言えません。

 とはいえ、主音の介在のさせ方の妙味を踏まえると、メロディーが先行して生まれツーファイヴ解体させたものではなかろうかと私は解釈しております。

 また、「Colibri」の循環コードでのメロディーが際立っているのは、11小節目2拍目で生ずる [b] の上接刺繍音です。この刺繍音は「Em9」というコードの構成音からは全く外れた埒外の音ではありますが、原調をKey=Dmと措定した時、重要な原調の《余薫》でもある訳です。

 そうした余薫が「Em9」上で鳴らされる時、複調的な要素を孕む事となります。コードの側は明らかに [h] を明示する必要がある中で刺繍音が [b] を固守する。しかもそれはユニゾンでピアノの高音部も弾いている。これは偶発的なものではなく意図された複調的状況です。

 つまる所、メロディー側からすれば音階外のコードこそが異端なのだと。そう言いたげな程にメロディーは原調を固守するのです。それが〔Em9→A7(♭13)〕で起こっている、と。

 無論、ダイアトニックとなる音の半音上に「音階外」という装飾が為される事はプラルトリラーとして存在し、その装飾が短い音価であれば和音本体の響きを毀損しない事も知られ、これはジャズ・イディオムどころか機能和声の社会でも十分知られている所ですが、ジャズの場合はどちらかというとこうした装飾は消え、想起し得るモードやアヴェイラブル・モード・スケールは多義的な解釈はあっても「多層的」にならないのが殆ど多くのジャズ・イディオムであり、装飾ですらアヴェイラブル・モード・スケール内に準則しているのが実情です。

 装飾的な音の彩りは、半音階的に上部に奏するだけでなく、下部に装飾するモルデントという奏法も存在します。仮にそれらが微分音という非常に狭い音程での装飾となれば、これは一般的にビズビリャンドとして知られている装飾であり、ビブラートの中に括られようとも、僅かに音色面も変化する拡張的な装飾として要求されるシーンもあります。

 唯、現今のジャズ・ミュージシャンとて、微分音を微分音の音脈としてではなく、ビズビリャンド的なイントネーションの差異を狙って、スライド・バルブを有した構造を持つトランペットを使用したり、或いは替え指で意図的に微分音を出す事はあっても、その殆どはイントネーションの誇張に収まっているに過ぎないものですが、本曲にはビズビリャンド、アンブシュアにより既知の調性体系からイントネーションの誇張に収まらない微分音という音脈使用の例が見られる好ましい作品であります。

 管楽器類は気温の変化によって音高が極めて大きく変化するので、ビズビリャンド、アンブシュアという部分を明示する必要がなくともチューニングを揃えるという観点だけでも微分音を意識させられる事が多いでしょうから、演奏中に微分音を用いるという事も対応できるものだと思いますがそうした演奏の前提を踏まえた上で微分音へのアプローチを見ると、本曲を更に興味深く知る事ができるであろうかと思います。

 単なるジャズ・アプローチで楽曲を制作するならば、Em9上で [b] 音を生ずるのは「罷りならん!」という風になっていた事でしょう。少なくとも米国東海岸のイディオムならば(笑)。90年代、東海岸のジャズ勢が廃れてしまったのはジャズ・イディオムから逃れる事のできなかった所にあり、こうした複調の状況を生じにくくさせていた所にあるのではなかろうかと思います。

 ランディー・ホープ・テイラーの様に、フィンガー・ピッキングのグルーヴを押し通してナンボというベーシストが生まれ、東海岸でもミシェル・ンデゲオチェロという素晴らしいアーティストが登場しましたが、主流のどこぞのマイルス門下のベーシストは「ンペンペ」かまびすしいスラップを聴衆はもうすっかり飽きているのにやっていましたねえ(笑)。矢張り、この差ではないでしょうかね、当時のムーヴメントを思い返せば。

 扨て、16小節目のアルト・サックスのパートを確認していただきたいのですが、本小節4拍目からアウフタクトでサックスのソロは開始されますが、本曲の譜例動画中に示している微分音変化量の数値は《実音》基準での幹音からの増減量を表しているので、移調譜としての変化記号からの増減値ではないので注意をしていただきたいと思います。

 先の箇所では微分音は「2箇所」出て来ます。それに加えて途中にビズビリャンドが発生しておりますが、その辺も「実音」基準に語ってみるとしましょう。まずは移調譜として表記されている「Eのセミフラット」についてですが、これは偶々移調譜、セント増減値共に揃っている訳で表記の矛盾はありませんが念のために語っておきましょう。

 扨て、移調譜としての「Eのセミフラット」ですが、実音表記だと「Gのセミフラット」という風に表される事となります。いずれにしても両者共に《幹音から50セント低》という状況なので、増減値のそれは移調譜と矛盾しません。

 同様に、2つ目の微分音である移調譜の「Gのセミシャープ」というのも実音では「B(=英名)のセミフラット」ですから、幹音からの増減値も同様です。ビズビリャンドの説明は、セント増減値の矛盾を説明してから語る事にするので、このまま17小節目のアルト・サックスのソロへ話を進める事にしましょう。

 17小節目3拍目。2つ目の微分音として移調譜では「F♯の25セント高」という風に表されています。これをもしも実音表記だと仮定した場合「幹音からの増減値」であるので「+125セント」と表記しなくてはならない筈ですが、実際にその様に表記する必要がないのは実音が幹音から25セント高いだけの状況であるからです。

 仮にもその音が増減値の通り「25セント高」で済むのであったら、Fのナチュラルから矢印が伸びた記号にすれば好いのではないか!? と思われるでしょうが、この音を実音表記にすると《Aの25セント高》という事になるので、それは幹音から25セント高い音という風に《物理変化量》を示す必要性が生ずる訳です。

 つまり、セント数の物理増減量は物理的には同一な訳ですから移調させる必要がない訳です。ところが移調譜では実音と表記が異なるので、楽譜上の増減と、それに併記してある物理量がこうしてややこしい矛盾した結果を生ずる事になってしまうという訳です。

 勿論、後に登場するトロンボーンでも微分音は登場しますが、こちらは移調譜で書かれる必要のない実音表記ですので、変化記号のそれと微分音の増減値は一定で矛盾を来す事はありません。

 
 扨て、16小節目4拍目の2つの微分音の間に生じていたビズビリャンドの件ですが、これは [cisis] と [d] との間で生じているということを意味しています。

 物理的に [cisis]=「Cダブルシャープ」は「D」と同じ音高になりますが、[cis] からスラーを経た [cisis] と直後の [d] は異なるキーで発音させる必要があるという意味でビズビリャンド表記を用いているのです。

 17小節目3拍目で生ずるビズビリャンドも、拍頭の実音 [a] と、直後の [g] の+175セント高は、実質的に [a] より25セント低という状況ですから、これらをビズビリャンドで対処せよという意味を持たせています。

 微分音の使い方が巧みですが、特に巧いと思うのは先ず21小節目1拍目での「Em9」上での微分音の数々。背景のコードをあらためて思えば [g] 音由来の変化音は実質減四度の音脈であり、これは実に勉強になる物です。

 更には22小節目1拍目での、実音で [a] より50セント高い音の使い方。「Dm9」上でこの音というのも凄いのですが、フレージングとして完全に「歌って」おります。能く思い付くものだなあ、と感心してしまいます。

 22小節目3拍目から24小節目までの高速パッセージでの微分音は圧巻ですが、やはり替え指を駆使し乍らのプレイというのが瞠目すべき部分である事。また、23小節目4拍目での [f] 音では、符頭に×印の付いた音がありますが、これはビズビリャンドを意味しており、その後の24小節目2拍目でのビブラート記号を付けた部分にアンブシュアの注釈を充てて使い分けております。

 この辺りの微分音の使い方は圧巻で、中でも23小節目4拍目最後の音の「Bセミフラット」の使い方は素晴らしいと思います。つまり、「A7(♭13)」上にて《♭9thより50セント高》というオルタード・テンションを用いている訳で、このテンションは《35次倍音》に相当する脈絡なのです。

 例えば本曲に対して5リミット(☜第5次倍音を新たな基準とする)の音脈をスーパーインポーズするとなると、その5リミット上の第7次倍音(☜5×7=35)という脈絡ですし、同様にして7リミット(☜第7次倍音を新たな基準とする)にて第5次倍音(☜7×5=35)を脈絡とする物です。

 そこで仮に31等分平均律(=31EDO)という音律をスーパーインポーズさせた事を視野に入れてエフェクティヴに落とし込もうと仮定した場合、31EDOというのは自然七度および純正長三度とも相性が良い音律ですので、自ずと〔自然七度=7〕〔純正長三度=5〕脈絡とも親和性の高さがあり、31EDOも視野に入れて用いる事もできれば、ジャズ・イディオムをも遥かに超えた脈絡を使用する事にも繋がる訳です。

 その脈絡とは、第35次倍音は転回還元位置にて基音より「155セント」高い所に現れる脈絡ですので、これを「150セント」と均す事によりこれを新たな足がかりにして《新たな三全音》を構築する事が可能となります。これはもうフリアン・カリジョが用いた脈絡です。更に付言すれば、元の根音より150セントでセパレートして現れる《新たなる減七》を構築させる事も可能となるので、更に超越したアプローチを聴かせる事のできる脈絡でもあるのです。こうした脈絡をサラリと使いこなせるケヴィン・ロビンソンは只者ではありません。ジャズ・イディオムなど遥かに超越しています。

 その後の24小節目1拍目の微分音にしても、根音 [a] を回避する様にしつつも根音に極めて近い微分音的な重増七度や長三度周辺にある長三度よりも僅かに低い微分音などの、まるで蹂躙するかの様に焦らしている様な音使いの数々には舌を巻くばかりであります。


 扨てLogicの内蔵音源であっても今回のデモ位は余裕でこなす事が可能なので、あらためてLogicの奥深さを実感するのでありますが、今回の譜例動画はFinaleが開発中止のアナウンスを発してから1年経った後のDoricoでの採譜ですので、不慣れ乍らもFinale風の爪痕を少しだけ残しつつDoricoでも問題なく譜面を起こせる様になったのは我乍ら喜ばしい点でもあります。

 32小節目ではsus4コードの平行和音を用いたブレイクが生じている箇所ですが、このブレイクで用いられているコード全体が《半音階の断片》である様に耳にした方が、これが後のクロマティシズムの為の追求であるという事がお判りいただけるかと思います。旋法的に聴いてしまいそうですが、留意していただきたい箇所であります。

 33小節目ではシンセ・クラビ系の音と如何にもチープなデジアナ系のシンセ・ブラスの音が使われますが、90年代前半ではこういう音ですらもアナログ回帰を大きく魅了する音色であったもので、RolandのJX-8Pやらを懐かしがり乍ら《なんであの時買ってなかったんだろーなー》などとほんの数年前の状況を懐かしんでいたモノでした。

 というのも、その数年前というのはフェアライトやイミュレーターなど、サンプラーとDXというFM音色で埋め尽くされていた様な時代なので、殆ど多くの人はこういう世界観に少しでも近付こうとしていた訳で、アナログ系の音が排除されていた訳ですね。

 ところが直ぐに飽きられ、アナログの漸次変化が求められる様になったのですが、KORGのM1という存在がシンセとしての立ち位置の原点回帰に貢献したというのもあるでしょう。オーソドックスな音色があらためて求められる様に時代が変化して行ったという訳です。

 90年代前半に「Colibri」を再現しようとすると、少なくとも視野に入るのはRoland JX-8P、Jupiter-8、E-mu Vintage KeysにRoland JV-80 KORG 01/W あたりが必要ではなかったかと思いますが、まだまだこの時期ですとローズの再現性もかなり弱く、Voceのelectric piano+とかでもウーリッツァー系が使える物で、RhodesブランドでRolandから出ていたMK-80とかでどうにか体裁を保つ様な感じだったかと思います。

 チック・コリアの様にエレクトリック・バンドがローズのMark-Vを使っていたのですが、遉に90年代となるとMIDI出力の要求の声が多かったものです。そういう事もあって、意外にDTMでの本曲の再現性は、細かなレベルまでとなるとなかなか難しかったものです。




 扨て、40小節目3拍目からアウフタクトでトロンボーンのソロが開始されますが、トロンボーンの真骨頂である「微分音」が明示的に使用されています。とはいえ、この微分音とやらはピッチの悪さに起因する様な物とは異なり、微分音たる明確な意図を持った音脈を用いて堂々と繰り広げられている素晴らしい演奏だという事を肝に銘ずる必要があろうかと思います。

 先ず最初に現れる微分音が49小節目4拍目。茲はイントネーションの揺さぶりとして用いている様で、ボクシングで喩えると「ジャブの様子見」みたいな物でしょうか。まだまだこんなモノでは済まないのですけれどもね。因みにこの音は「A7(♭13)」上での「Gセミフラット」でありますから、ほぼ自然七度の音脈に寄せているアプローチであると言えます。

 それというのも、自然七度が四分音に寄る場合、元の音である根音から上に「969セント」という音は「950セント」に均されて取扱われるからです。

 51小節目4拍目では「A7(♭13)」上にて「完全五度音より50セント高い音」という、ヴィシネグラツキー流に言えば四分音による「長五度」という脈絡でもあります。

 このソロで最も凄いアプローチと思えるのが53小節目2〜4拍目で生じている微分音で、アイヴズ流の「重増九度」が現れ、それより50セント高い所に長三度がありそれを奏している訳です。そうして元の重増九度の1オクターヴ高い音を再び用いているのですから畏れ入ります。短九度と重増九度を使い分けてもおりますね。

 それは、長三度音と明確に使い分けている事で単なる偶発的なピッチの悪い音ではない事も同時に判るのです。無論、本当にピッチの悪い人ならば他の箇所でもピッチはブレブレで定まった演奏など出来ないでしょうけれどもね(笑)。

 55小節目2拍目では先の「長五度」があらためて使われ、同小節3拍目では短九度より50セント低い減九度の音も使われます。この減九度は短九度よりも50セント低く、根音より50セント高い音です。四分音を最小単位とする時、最小単位音程だけ根音より高い微分音を「スーパーオクターヴ」という風に呼ばれます。つまり、スーパーオクターヴという音脈も平然と使いこなしている訳です。

 この音脈は、150セントセパレートして生ずる減七の半音下という事になり、35次倍音の半音したの脈絡、という事になります。減七がどの様な《経過和音》として介在するのか!? という事を一度思い返せば、この脈絡も理に適ったフレージングであるという事が自ずと判りますが、ジャズ・イディオムを平然と超越しているのは言うまでもありません。

 尚、ソロ終了部のディミヌエンドでのニエンテ記号ですが、コレは奏者のダイナミクスではなく卓側での強制的なフェードアウトの様ですので、ニエンテ記号を付したのは電気的な「ゼロ」という意味もかねてこの様に付しています。
 64小節目4拍目弱勢からホーン4管が顕著になりますが、私が94年に渋谷公会堂でのインコグニートのライヴではトランペット、アルト・サックス、トロンボーンの3管だった様に思います。また、トランペットのパトリック・クラハであったかと思いますが、スライド・バルブ付きのトランペットを使用していたであろうと思います。

 スライド・バルブ付きのトランペットはジャズ・プレイヤーでも多く使用されていますが、殆どのケースではロング・トーンでのイントネーションを深くアプローチするという物で、深いビブラートがビズビリャンドが実質的にビズビリャンドとなる訳です。

 本曲のホーン・アレンジが巧みなのは、徹頭徹尾セクショナル・ハーモニーなのではない所にあります。ユニゾン(オクターヴ・ユニゾン)を介して、対位法的に反進行となったりセクショナルを形成したりという乙張りをユニゾンを介してアレンジの違いを忍ばせています。

 先のアウフタクトからは同方向と同一リズムを刻んでセクショナルで入って来ます。そうして67小節目でユニゾンに《収斂》する形となり、フレーズは一旦ひと塊りとなってエネルギッシュに収束します。

 69小節目では、ホーン隊の最高音(トップノート)であるトランペットが短二度上行で [e - f] と順次上行進行するのですが、トロンボーンとテナー・サックスを見ていただければお判りになる様に反進行しています。この反進行はセクショナルでは有り得ない動きなのであり、この箇所だけセクショナルを解除して対位法的な動きに変化しているという事になります。

 つまり、茲ではホーン隊の凝集を知らしめる為の方策ではなく、反進行による《唄心》で線を強調しようとしているのです。

 そうして70小節目ではセクショナルに戻っており、テナー・サックスを除けば3管はそれぞれ二度で犇き合っているのです。クラスター状態ではありますが、こうした二度和音の状況を生じても違和が少ないのがセクショナル・ハーモニーの醍醐味でありまして、先行小節が対位法的になったかと思えば次の小節ではセクショナルになり、そうして71小節目ではユニゾンで〆る、と。こうした乙張りの利いたアレンジとなっており、セクショナルだけで行わないアレンジが米国ジャズとは異なる西洋音楽的な側面が見られ、この多様さは素晴らしいと思います。


 そうして73小節目からローズ・ソロに入る訳ですが、このローズ・ソロもなかなか素晴らしい瞠目すべきアプローチが忍ばされているのですが、追々解説して行きますので小節順に眺めてみましょう。

 アッチャカトゥーラ(短前打音)を存分に利かせて入って来るローズ・ソロですが、先ず注目すべきは74小節目2拍目の付点16分音符です。これは [3・3・2] の拍節構造となっていますので、単なる16分音符という風にリズムを均さずに感じ取って欲しい部分でもあり、本曲のローズ・ソロの醍醐味ともなっているリズムですので留意して欲しいリズムであります。

 77小節目では、コードが「B♭△7(on C)」であるにも拘らず、ローズは全く自然に音階外のフレーズを施し、[h・cis・dis・gis] などの音が使われています。何故こうした埒外の音を自然に聴かせられるのか!? とか、どういう脈絡で用いているのか!? という所に疑問を抱かれる方は少なくないかと思います。答は簡単です。これは《三全音複調のアプローチ》であります。

 約言してしまえば、「B♭△7」の和音構成音 [b・d・f・a] 音それぞれに対して三全音関係にある音をスーパーインポーズするという事になるのです。三全音関係となる音を列挙するとなると [e・gis・h・dis] であり、B♭から見たコンフィナリス(=副次終止音)は自ずと長六度関係に生ずる音ですので、その音である [g] をも含めた上で更なる三全音 [cis] を持ち来しているという事になりますが、ヘ長調と三全音関係にある《ロ長調》の全音階をスーパーインポーズしてしまえば事足りる結果となる訳です。

 とはいえ、「B♭△7(on C)」上で唐突にロ長調の長音階を愚直に弾いてしまってはいけません。あくまでも「B♭△7」から想起し得るアヴェイラブル・モード・スケールとして第一候補に挙げられる「B♭リディアン」に揺さぶりをかける様にして半音階的なイントネーションを用いて弾けば唐突さを回避してフレージングする事が可能になる訳です。

 また、ロ長調としての脈絡というのは、和音構成音 [b・d・f・a] からの三全音が [e・gis・h・dis] である訳ですから、少なくとも [dis - e] という短二度による順次進行および [gis - h] の短三度の過程で生ずるであろう [ais] が元の和音の [b] とコモン・トーンを形成して軸となし、「B♭△7」では想起し得ない [gis - ais - h] という順次進行が新たなる脈絡で揺さぶりをかけてフレージングに彩を添えるという可能性もある訳です。

 故に、茲でのローズは単純に上行を1オクターヴを超えて延々と進行しているだけではなく、音階外の音が介在する事によって、愚直に想起し得る「B♭リディアン」に揺さぶりがかかっているという状況になっている訳です。2拍目拍頭から和音外音である倚音から上行が開始されるのも強烈な反発力が牽引力となっている訳です。直後の [g] とてアヴェイラブル・モード・スケール内の音ではありますが、和音外音ですので二重の反発力がある訳です。

 こうしたアプローチを平然と行う理由として、常にクロマティシズムの追求が備わっているからでありましょう。ですので、容易に三全音の関係は視野に入っているという訳です。三全音複調というアプローチもどちらかといえばジャズ・イディオムではなく西洋音楽的であります。

 80小節目では、コードそのものは「D7」であるもののローズ側は意図的に《短属九》つまり「ドミナント・フラットナインス」を想起してオルタード・テンションを他にも忍ばせている訳です。「♯11th」相当の [gis] もかなり明示的に使用されています。これは、後続和音が「Gm7」である事に配慮して唄心あるオルタード・テンションとして機能する様にしているのでしょう。インプロヴァイジングであり乍らも唄心を忘れない姿勢は恐懼の念に堪えません。


 82小節目でも付点16分音符が出て参りますが、この箇所のこのリズムを聴く事で、この [3-3-2] フレーズの重要性があらためてお判りいただけるかと思うのですが、ローズの深い鍵盤ストロークと相俟って、こうしたリズムは好い具合に弾みが付く物です。

 83小節目では、コードが「Am7(on D)」であるにも拘らず、想起し得るアヴェイラブル・モード・スケールとは埒外となる [gis] 音を生じていますが、これは後続和音「D11」に対して揺さぶりをかけているアプローチであるのですが、本来であれば「Am7(on D)」はAドリアンとして奏しても十分問題はない状況であり、Aドリアンと想起するならばそのオンコードは自ずと「Ⅱ on Ⅴ」というディグリーを想起する事になるのですが、この「Am7(on D)」を「III on Ⅵ」と読み替えるマジックが潜んでいる訳です。

 そうするとAフリジアンが視野に入る訳ですが、そのAフリジアンの近縁種として「Aドリアン♭2」を想起する事で、このモードの鏡像音程は「Aメロディック・マイナー」を生むのです。以前にもレイ・A・フラーによる「Partido Alto」に関する記事で説明した事がありますが、「Am7(on D)」の上声部の第7音 [g] とで恰も [gis] がぶつかっている様に見えてしまうのは、そうした鏡像音程としての呼び込みが視野に入っていないからでありまして、ここはミラー・モードで揺さぶって後続の「D11」へ《三全音の音脈》を使って揺さぶりをかけているという訳であります。

 そうして84小節目に入り、本ソロでは殆どが右手1本でしたが明示的に左手が現れます。しかもポリコードのスーパーインポーズです。本曲のローズ・ソロの真骨頂と言える見事なアプローチです。

 本小節の左手部分を見ていただければお判りですが、「Fm -> F♯m -> Gm -> G♯m」という風にマイナー・トライアドを半音上行させている訳ですが、コードは「D11」である為、完全に埒外なのですね。ジャズ・イディオムでもありません。これは一体どういうアプローチなのか!? と繙いてみる事にしましょう。

 当該箇所のコードは「D11」です。言うなれば「C△/D△」とも同様なので、左手のポリコードまで視野に入れれば三層のポリコードとも言える訳でして、左手の脈絡は上層部となるコードの鏡像音程=ミラーコードなのですね。

 つまり、《Cメジャー・トライアドの鏡像はFマイナー・トライアド》であり、これをクロマティックに上行させてクロマティシズムを強めている訳です。それというのも、右手のフレーズが [gis] 音以降クロマティック上行を進めている状況ですので、クロマティシズムの世界観としては十分に誘引材料である訳です。そこに右手のスーパーインポーズされる和音が随行してクロマティシズムの世界観を強めているという訳です。

 尚、先行和音「Am7(on D)」も同義音程和音として穿った見方をすれば「C6(on D)」とも表す事が出来、後続和音の「D11」が「C△/D△」の同義音程和音である事も考慮すれば、これらを端的に見れば「C(on D)」の音脈として解釈する事も可能なのですが、他のハーモニー状況を勘案しても「C(on D)」という風に和音構成音を簡略化した状況として見立てるのは危険である為、私は決してそうした簡略化した表記を採らなかった訳です。響きとしては「C(on D)」とか「C/D」っぽい感じに聴こえるかもしれませんが、そういう風には済ませられないのです。

 そうして87小節目では「Em9」に進みEドリアンを奏している事は歴然でありますが、結句部分となる88小節目「B7(♭13)」は決して「B7aug」ではない事はお判りですよね!? それは、[fis] 音が用いられているからです。「B7aug」とは [fis] が [fisis] になった時初めて用いられる状況の和音ですから全く異なるという訳です。「aug」と「♭13th」を同一視してしまう初心者は少なくないですが、己の知力の合理化の為にそれらは同一視していいという訳では決してありませんので、あらためて肝に銘じて本曲に臨んでいただければ幸いです(笑)。

 余談ではありますが、本小節での4拍目でのベースのグリッサンドは [a] から長六度下行して [c] までの滑奏ですのであらためてご注意のほどを。

 残りの小節はそれまでの演奏を繰り返して述べる事となるので説明は省略しますが、30年以上の時を経て、世がローファイの再燃となって来た様に、当時の90年代は再び脚光を浴びていると思われますが、12EDOの耳に均されてしまってはいけない称賛すべき作品は、あらためて謬見が生まれない為にもきちんと微分音を明示した方が良かろうと思ってDoricoを用いて今回あらためて採譜したという訳です。後世に遺すべく名演である事がお判りいただけたかと思います。

 本曲は、核となる循環コード進行を使い回していますが、実は各パートの旋律(=リフ)が強い主張を持ってそれらが絡み合ってアンサンブルを作っているという事を順序立てて見せているというのが本曲を飽きさせない聴かせ方という風になっています。

 楽曲冒頭からギターだけがカッティングのリフを聴かせ、ドラムが乗って来る。そこにベース・リフも入って来る。ベースのリフを聴かせた後にボーカルとピアノのユニゾンと共に伴奏が入って来て楽曲アンサンブルが初めて見えて来るという構造です。こうしたアンサンブル形成を順に聴かせる事で、各パートが白玉コードに依存しただけの平易なフレージングとなっておらず、リフ形成があり、それらが複数絡み合っているという状況を紐解いて見せているという訳です。

 ひとつの循環コードを飽きさせない為に、リフの主張を順に組み立てて行くという手法はハウス系では良く見られる物ですが、原点と言えばラヴェルの『ボレロ』になるのでなかろうかと思います。

 ハウス系では、リフ形成ばかりでなく音色変化の為にフィルターの漸次変化なども組み合わせ乍ら聴き手を飽きさせない様にしていたりする訳ですが、そうしたアイデアを生演奏に持ち来しており、同時にそれは『ボレロ』にも通ずる原点回帰でもあるという訳です。


 94年の来日時、インコグニートのドラマーは本曲のスタジオ録音でクレジットされているアンディー・ギャンガディーンではなくリチャード・ベイリーでありました。ジェフ・ベックのアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』で知られる「あの」リチャード・ベイリーでありました。

 そして、ベースのランディー・ホープ・テイラーは私の記憶が正しければ当時、キャンディ・アップル・レッドのジャズ・ベースを奏していたかと思います。ヒップショットのDチューナーは必須だった事でしょう。途中、完全にひとりでのスラップ・ソロでリズムが躓く場面もあったのですが、すぐに挽回してグルーヴを最大限に活かしたスタイルはライヴでも全く色褪せない素晴らしい演奏であった事を追懐します。

 扨て、ヒップショットのDチューナー必須という事で、本曲も冒頭から「ドロップD」という風に明記しているのですが、曲の最初から落としているのであろうと思います。

 加えて本曲では徹頭徹尾、音価が長い所以外ではメゾスタッカートで奏されるのが特徴的なベースラインでもあり、メゾスタッカートおよびスタッカートの真骨頂となるプレイは《開放弦》に現れると思っています。

 それというのも、ツーフィンガー奏法で特にマスターしなくてはならないのは、右手の人差し指 or 中指のどちらかで弦を弾いた瞬間、もう一方の指を弾いた直後の弦に当てる、というのを身に付ける必要があるのですが、これのミュートをマスターした時、弾く弦が開放弦であってもスタッカートが行える様になる訳です。熟練すれば開放弦のスタッカーティシモも行える様になります。

 つまり、ランディー・ホープ・テイラーの場合、一連の循環コード進行にて冒頭の [e] 音というのは4弦ベースのレギュラー・チューニングに於ける最低音なのではなく、4弦2フレットから奏されている可能性が高いという事を言いたいのです。

 来日時「Colibri」は演奏していたと思いますが、私はランディー・ホープ・テイラーよりも注視していたのがリチャード・ベイリーやホーン隊だったので、彼がベースをどの辺りのポジションで運指を行っていたのかまでは詳しく覚えていないのですが、4弦を全音下げで弾いた直後のダブル・クロマティック上行の運指の音はA弦ではなくD弦の開放弦から入っているのではなかろうかと推察するのです。

 低音弦による音色の飽和感も少なく軽やかである為、恐らくD弦でのダブル・クロマティック上行なのではなかろうかと思う訳です。

 無論、本曲では4弦の全音下げによる開放弦の最低音である [d] 音は譜例80小節目4拍目の箇所で現れるので、この小節の1小節前で休符が長く採られる箇所でヒップショットのレバーを下げて81小節目の休符の時にヒップショットのレバーを戻すという事を行えば、通常のレギュラー・チューニングでの運指を殆ど踏襲する形で演奏に臨む事が可能でありますが、その場合通常の循環コードでの運指は、E弦開放の直後のダブル・クロマティック上行はA弦5フレットの運指を試みようとする人が大半なのではなかろうかと思うものの、本曲のメゾスタッカートのそれと音色のクリアさを考慮すると、ダブルクロマティック上行フレーズはD弦によるものだと私は推察しており、本曲のデモもD弦を意図して作っております。

 今回大活躍したローズはRhodes V8 Proを用いておりますが、飽和感のある濁りに相反する煌びやかな高域。こうした音の調整は矢張りRhodes V8 Proならでは、という事をあらためて実感した次第です。