スーパーインポーズによる複調(Deja Vu / AB'S)

 扨て、今回は《複調》という状況があからさまに判る位の例を挙げて理解してみようという主旨で例示したい曲がありまして、それが1983年にリリースされた芳野藤丸率いるAB'Sのアルバム『AB'S』収録の「Deja Vu」を取り上げてみたいと思います。


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 何はともあれ、芳野藤丸のギター・サウンドは「サイド・ギターのお手本」の様に扱われていた訳です。リード・ギターの様にディストーションとリード音を奏するのではなく、カッティングを主体にオブリガートやら伴奏として補足するというプレイに徹する。

 ところがエフェクトが高機能・高精度化して来る事によってサイド・ギターの音色キャラクターにも徐々に変化が見える様になり始め、シンセを食う位のキャラクターを演出する様に変化していった訳であります。

 そこに一役買っていたのがストラトキャスターのハーフ・トーンだったのでありますが、ナイル・ロジャース(元CHIC)はピックアップのルーティングでフェイズアウトをさせる様になる訳です。片側のピックアップの位相を反転させる訳ですから、ピックアップ・レイアウトが異なる所で音を拾っている為に完全に同一とはならないにしても低音が相殺される訳です。

 とはいえ、この低音が痩せ細った音にある程度ゲインを足してやると煌びやかな音に変貌を遂げる様になったというのがサイド・ギターのサウンド・メイキングとして飛躍的な変貌を遂げる様になった要因のひとつとなった訳でありまして、ハーフ・トーンまたはフェイズ・アウトでコンプレッサー、EQ、コーラス、フランジャー、ディメンション、ディレイを駆使して、直列ばかりではなく並列で、原音がなるべく死なない様センドで送ったりもして音質向上を図っていた訳です。

 そうしてギターのカッティングの音は大胆に変化していったという時代。スティーヴ・ガッドやらが居るスタッフでのエリック・ゲイルのイナタいカッティング・ギターが隆盛だったのが1978年の夏頃でしたので、そこから5年程しか経過していないのですが、音楽シーンでは相当密度の濃い、しかも変化が著しい5年であったかと記憶しております。

 芳野藤丸はサイド・ギターばかりでなくリード・ギターでも味のあるプレイを聞かせてくれていたりしていましたが、サイド・ギターでのプレイは非常に際立っておりました。何せOne Line Bandとして、西城秀樹のサポート・メンバーとして活躍し、その後もSHŌGUNを経てAB'Sへと繋がる訳ですがテレビ媒体も結構な後押しとなっていて、特に日テレの関与があったからこその人気を博していたという訳でした。

 60〜70年代の日テレというのは音楽と映像を絡めた提示が上手く、特に音楽面では選曲の良さも際立っておりました。何せ慶應閥で固めた音楽制作部門。11PM、ゲバゲバ90分などもそうですが、ルパン三世で一般的にも有名になる大野雄二もその一人。『ウイークエンダー』『ルックルックこんにちは』『アメリカ横断ウルトラクイズ』『24時間テレビ愛は地球を救う』などを取り上げてみても、音楽がどれだけウェイトを占めていたかもお判りになろうかと思います。

 本来なら影に居る部分の人々をも取り上げて音楽を楽しませるという風に、それこそバックメンバーを追ってテレビに齧り付く様に音楽番組を視聴する習慣を身に付けさせてくれた日テレの貢献度の高さは今猶評価される所であったかと。

 とはいえ90年代に差し掛かれば日テレに限らずバブルに胡座を書いたマーケティングで飽和状態となり、Vapレコードも採算性を上げなくてはならずにアイドル路線を貪欲に追求。そうして90年代後半にはSPEEDを生んでいたという事を思えば、まあ、20年そこらで音楽の質が激変していた事も痛切に感じ取っていた訳ですが、音楽の悲哀なる部分がなくクロスオーバーですら一般の人が耳にしていたという時代を経て一定の地位を築いていた頃のミュージシャンが繰り出す音は、器楽的素養がなければ本来なら難しいタイプの楽曲でも興味深く聴かせていた時代ではなかったろうかと思われます。


 前振りは扨措き、本題の「Deja Vu」を語る事としますが、本曲はベースの渡辺直樹作曲による物です。キャンディーズのバック、スペクトラムと渡り歩いてAB'Sと至りB.C.リッチのイーグル・ベースを引っ提げて来る訳ですが、アルバム冒頭を飾る本曲というのはハネた16分音符での執拗なEマイナーのフレーズが続くものであり、それに反してギターの白玉のクリーン・トーンはどんどん原調から遠ざかり違う調域の脈絡を奏している訳ですね。




 そうして原調から遠ざかるギターは結果的に楽曲全体で複調を齎すのですからその違和感・不協和感はかなり異質なものとなります。また、ベースはウワモノに負けじとEマイナーのフレーズを《強行》する。即ち、これはスーパーインポーズ。ウワモノに対して通常ならばリズムの音型だけを維持して変応してしまいそうですが、決して変応せずにEマイナーを執拗にスーパーインポーズさせている訳です。

 無論、複調が生ずる以前に奏される8小節に亘るベースのEマイナーのリフという提示が無ければ、聴き手は唐突に複調部分を耳にする事となる為、提示が無ければ非常に奇異な響きとして捉えられるだけで良さが半減してしまっていたかもしれません。

 それほどまでに提示という前置きと人間の記憶が音楽観にどれだけ作用しているかがあらためて判るのですが、その乙張りの為の手順を踏んでいるのは、作曲者が如何に複調部分を重要視しているかという事が理解できましょう。

 しかも複調部分となる前半の8小節は「メジャーadd4」コードが半音ずつ下行して進行しているという形であり、単に半音ずつ平行進行で下がっている脈絡ではなく、音楽的な重要な示唆を感じ取る事が出来る物です。

 重要な示唆と言えるそれは、この「add4」の正体が《ドミナント11thの断片》の姿として見做す事が出来るからであります。

 複調部分の後半8小節の部分を一見すると下属和音の様に見えているだけに過ぎませんが、半音下行進行はドミナントのトライトーン・サブスティテューション(=三全音代理)と同様の脈絡であるという訳なのです。

 つい先日も私のブログ記事で属七・副七を語っていましたが、七度音を纏っているコードというのはどう振る舞おうと不協和音なのであります。ドミナント7thコードである属七が不協和音であるのは当然の位置付けであるとして、副七から進行して行くそれは不協和という状況を属和音の違いを明確にする必要がある為、《副七の第5・7音は下行平進行を採る》という風にして属七の第3・7音が互いに反進行するのとは異なる声部の動きで違いを演出していたという訳であります。

 そうして、和音が11th、13thなどと積まれていった時、各声部に独立した動きをしようとするよりも、和音の充填を維持したまま平進行を保った方が統率が取れる様になる訳で、セクショナル・ハーモニーはこうして成立する訳ですが、本曲の上声部(ギター)のコードが下行進行を採るというのは全て、属和音の重畳しいハーモニーから得られた近代和声的な動きに依拠した脈絡という風に解釈する事が可能なのであります。その上での、ベースが弦長を固守して複調を生ずる、と。そういう世界観であるという訳です。


 譜例動画の方を確認していただくとして、複調部分を示しているのは原曲13小節目からの箇所であり、動画の開始部分のコードは「C△9(on E)」という風に、上声部はadd4コードを充てておりません。この理由は、上声部のコードが実質的に「Gadd4」であっても、ベースが作り出している「Em」の世界で生ずる音組織とのコモン・トーン(=共通音)である為、ホ短調の音組織に吸着される事になります。

 ですので、この開始部にて「Gadd4/Em」と表記するのは唐突であり、しかもギターはホ短調(Key=Em)での「♭Ⅵ度」を示すに過ぎない所で複調感は生じておらずコードを態々複調を示すのは勇み足であろうと解釈して、開始部については《原調に収斂している》状況を捉えた上でのコード表記となる「C△9(on E)」としている訳であります。

 とはいえ、次のコード・チェンジからは流石に「add4」の半音下行とEマイナーの執拗なスーパーインポーズが現れる事となるので、茲からは複調を示す必要が生ずる訳です。「F♯add4/Em」という風にコード表記が変化します。

 扨て、「G♭add4/Em」から露骨な程に複調が現れるものの、先行和音「C△9(on E)」とて、その実体は「Gadd4/Em」であり、これらの過程で生ずる上声部での「add4」コードは総じて《後続和音から見た♭Ⅱ度上のドミナント》と解釈する必要があろうかと思います。

 つまり「C△9(on E)」=「Gadd4/Em」での「Gadd4」は嬰ヘ長調(Key=F♯)から見た「♭Ⅱ度」という風に解釈するという訳です。全音階的に「Ⅴ度」上に現れるドミナント・コードという事ではなく、そのⅤ度の三全音代理=トライトーン・サブスティテューションによる「♭Ⅱ度」上のコードという解釈という事です。

 旋律的に紐解く事ができない為に、単なる和声的状況に過ぎない「Gadd4/Em」は
「C△9(on E)」として形が収まっているに過ぎない訳ですが、そこで含まれている「Gadd4」というのは「♭Ⅱadd4」という意味になるので、実質的には「Key=F♯」の調域で生ずる「♭Ⅱ度」という事を意味するのです。

 その状況を言い換えれば、単一の調性で現れる「C△9(on E)」というコードを複調として解釈する事も可能であり、その一つとして「Gadd4/Em」として解釈するならば、その「Gadd4」はKey=F♯での♭Ⅱ度上で生ずる三全音代理という風に解釈する事も可能であるという訳です。
ジャズ的なインプロヴァイズを求めるのであれば寧ろこうした曲解は功を奏するかもしれません。
 
 更に言えば、その「♭Ⅱ度」の和音は「♭Ⅱ度上のドミナント11thコードの断片」という状況で解釈するという訳です。このドミナント11thというコードが意味しているのは、11度音が本位十一度つまり「♮11th」であるという事です。単音程に転回・還元した時、それが「add4」になる、と。

 これらの「add4」はドミナント感が希釈化されたドミナント11thコードだと思っていただいて結構です。そう考えると「C△9(on E)」という風に単一の調性に収斂するだけの状況を無理矢理にでも複調に解体する事は可能でもある訳です。

 ギターが四和音の「add4」だけを弾かずに、復調に基づく調域での音組織によるフレージングを組み立てた上で、ベースがEマイナーを強行するという事になればポピュラー音楽の枠組みを超えた西洋音楽の様式に寄り添う事にも成り得ます。そうした可能性も含んではおりますが、そこまで仰々しくする事なく原調だけに固執する様な世界観とは異なる酩酊感のある様な状況を醸し出す為の複調の呼び込みなのでありましょう。

 何れにしても複調は見事に成立している訳ですから、凄い世界観をやってのけているという訳です。また、聴き手としてもこうした技法に触れる事が出来るのは幸運であるとも言えるでしょう。


 扨て、15小節目での「G♭add4/Em」というのは、コード表記の上部に調域をMusGlyphsでオシア小節の様に明示している事であらためて判りやすいと思いますが、ヘ長調調域(Key=F)での♭Ⅱ度上の和音という振る舞いであるという事が読み取れるであろうと思います。

 以降の複調も同様にして、17小節目「Fadd4/Em」は「変ホ長調の♭Ⅱ度/ホ短調」という状況となり、19小節目「F♭add4/Em」という事になります。この「F♭」は変ホ長調(Key=E♭)での♭Ⅱ度である為、決して「E♮」ではない訳です。

 21小節目からの8小節の複調は、それまでの「add4」とは異なり「△7sus2」が半音下行進行を採る様に変化しますが、上声部のコードのそれは「下属和音」であるものの、実質的には《》属和音の第7音を根音とする属十三和音の根音省略》という風に解釈しています。斯様な解釈に至る事で、半音下行進行に伴う三全音代理というドミナントの振る舞いと副和音の下行進行の為の脈絡を補強する事となるという訳です。

 各声部では機能和声を遵守する様な形であっても、複調を生ずるという点では特異な状況に変わりはありません。寧ろ複調という状況を「らしく」聴かせるには、各声部が特異な状況に応じて変応してしまうよりも、声部が受け持つ調性を固守し乍ら複調として纏まる方が功を奏する事が多いと思います。

 例えば、今回の例での上声部が長調ではなく平行短調側で解釈してしまった場合、その短調は単調の♭Ⅵ・♭Ⅶ度は場合によっては♮Ⅵ・♮Ⅶ度へと変応する可能性があります。こうした適宜変化してしまう短調の世界では逆に複調の世界観を相殺してしまう事にもなりかねないので、長調基準で見立てた方が好ましいであろうし、実際に楽曲での上声部は白玉でしか提示していないのですから、余計な解釈を避けて複調を捉えるべきであろうという私の解釈で斯様に判断しているという訳です。

 そうした事から21小節目のコードは、複調として形成するよりもベース側の調域に収斂して「G△7sus2」というコードの中でホ短調に収まる形とはなるものの、23小節目以降は先行のsus2コードがそのまま半音下行進行を採る形となって複調を聴かせる事となる為、「G♭△7sus2/Em」での上声部は変ニ長調(Key=D♭)での下属和音の様に振る舞っているという訳です(実質的には「A♭13」の第7音を根音見立てたもの)。つまり調域は「変ニ長調/ホ短調」という解釈に至る事になります。

 同様にして23小節目での「F△7sus2/Em」では「ハ長調/ホ短調」という調域同士での複調であり、25小節目での「E△7sus2/Em」では「ロ長調/ホ短調」という調域同士での複調となっているという訳です。

 ベースのフレーズはEマイナー(ホ短調)を執拗に固守していますが、ドリアンを匂わす事もなければ導音化させたりする事もなく、マイナー感を仄めかしているフレーズであり、このパート単体では調性という世界観を照らし合わせると特段難しい事をやっている様なフレーズではないものの、複調という状況で非常に難解な苦々しい世界観を演出しているのは素晴らしい所であろうかと思います。

 扨て、今回あらためて解説して参りましたが、YouTubeの方で私が譜例動画をアップした当初は、コード表記が誤っておりリテイクとさせていただいた訳です。

 私が譜例動画を取扱う際、コード表記を重視していない理由は私自身がそもそもコード表記に拘っておらず注意すら払っていない確認不足を招いている事が大きな原因であるのですが、私の作業環境としてのコード表記用に用いるテキストボックスのテンプレートに文字入力をしたが好いものの、そのままになってしまっていたりなど、全く注意を払わずに楽譜の方での校正作業が済んでいればオッケーという様な姿勢が禍いしている所があります。

 また、今回は楽譜浄書としてDoricoの方でのエンハーモニック(異名同音)変換を見過ごしてしまって、それをコード表記のテキストボックスにそのまま反映させてしまったという事もあり、それらを見直しあらためてリテイクとしてリリースしたという訳です。当初の動画で混乱を招いてしまって大変申し訳なく思います。