その共通理解に於て重要な点というのは《楽譜の読み書きが出来なくとも可》という部分でありましょう。つまり、コードの表記ルールさえ覚えてしまえば、和音の各構成音がどのような音程で構成されているかを瞬時に判る事ができる訳であり、読譜が行えずともコード表記のルールさえ知ってしまえば、そこからアヴェイラブル・モード・スケール体系、や調性関連の理論的な体系をざっくりと知る事ができるという物。
こうした合理性の追求に依って生まれている体系化である訳ですから、何と言っても楽譜が読み書き出来ない者でも共通理解に及ばせているという点は、これ以上の物は無いと言える程平易で合理的な仕組みであろうかと思われます。
然し乍ら、YouTubeなどで楽譜を全く明示する事なく手前勝手な音楽論が蔓延ってしまっている昨今、読譜要らずの音楽知識が茲まで跋扈する様になるとは思いにもよりませんでしたが、正当な音楽素養に基づいていないので臆断や造語が多く、初学者の耳目を惹く魅力を持ってはいても正当な音楽方面では全く無益な物となっているというのが実際であります。
本記事では、読譜力を必要とするとまでは言いませんが、コード表記の基本位置を知る為の最低限の読譜力は必要とした上で説明を重ねて行きます。
例えば、
「7」というサフィックスはなぜ短七度が常なのか!?
「dim7」の「7」は短七度ではないのは何故なのか!?
クラシック音楽の方の記号の「7」は短七だったり長七だったりするではないか!
「△9th」の時に包含される七度音が減七の時はあるのか!?(☜あります)
など、こうした疑問を抱える事があろうかと思います。
とはいえ、表記ルールという根幹がしっかりしているからこそ、思い(疑義)を抱く事も可能な訳であり、特にジャズ/ポピュラー音楽界に於けるコード表記というのは個々人の勝手ルールを允さない程に揺るぎない地位を保っています。
そうした確固たる立ち位置と矛盾なども踏まえ乍ら、コード表記が示す《音程の基本位置》を今一度確認した上で、多くの例外をも取り上げて説明して行くのが本記事の主旨であります。
扨て、コード表記というのは元々は西洋音楽(クラシック音楽)の通奏低音(数字付き低音)に端を発する体系であります。コチラの世界での表記ルールもJ.S.バッハでも結構な程に峻別に迷う様な表記が生まれたりしていた訳ですが、コルネーダーの言によればマッテゾンの頃には70種、ルソーの頃には120種と増えていたそうです(笑)。
そうして一般的なジャズ/ポピュラー音楽でのコード表記体系が《間接的に》援用する事になっていたのは、ジョージ・フレンチ・フラワーズやヴィルヘルム・マーラーの表記ルールであります。
何れにしても、コード表記体系が基準を置いていた《ブレない》基準というのは《属和音》であり、これに関しては西洋音楽もジャズ/ポピュラー音楽でも変わりはなく、属和音=ドミナント・コードが基準であるというのが重要なのであります。
音楽体系をこれから学ぼうとする人からすれば、音階の最初の音「Ⅰ度」つまり主和音=トニックを基準にしてくれれば学びやすいと思われるかもしれませんが、コードの基準というのは音階の「Ⅴ度」つまり属和音=ドミナントが基準に置かれる訳です。それは何故か!? という事説明を補足する必要があろうかと思います。
コードは現在、《3度音程を積み上げて最高13度音程を用いて全音階を表す》
という事を体系化しています。
これは全音階音組織の7音を3度音程を使って示しているという表記ルールである訳ですが、現今社会でこそ13th音を示す事があっても、和音の歴史から言うと、和声法黎明期では和音体系は全てトライアド(三和音)だったのであります。その後、属和音=ドミナントのみ七度音の付与が允されたのであります。
全音階音組織に於て、属和音以外の和音を《副和音》と呼ぶのですが、副和音で七度音を使う様になるのは音楽の歴史的に相当後の事です。
ドミナント・コード上から見た臨時記号の要らない七度音とは、自ずと「短七度」となります。つまり、ドミナント・コード上で積み上げられる《臨時記号の要らない》音程位置は7・9・11・13度という風に積まれる事になります。それらは次の様に示す事ができます。
上掲の《臨時記号の要らない》位置は、厳密には《正位位置(せいいいち)》と呼ばれる物です。つまり、ドミナント・コードの13th音までの和音構成音の音程は次の様に、
完全一度(根音)
長三度
完全五度
短七度
長九度
完全十一度
長十三度
という風に成立している訳であります。
そうした音程の正位位置を基準とした時、マイナー3rd(短三度)やメジャー7th(長七度)というのは上述の正位位置に逸れた所に位置する事となる訳で、正位位置から逸れる事になる音程位置を示すには、正位位置とは異なる《サフィックス》=記号を作る事で、表記の合理性を追求している訳です。
特に、トライアド(三和音)に於て正位位置から逸れて位置する音程群で最も目にしやすいのはマイナー・トライアド・コード(短三和音)でのマイナー3rd=短三度に位置する音程であります。それは現在「m」という小文字の「m」が当てられたり、場合によってはダーシである「─」で示される事もある訳で、メジャーなのかマイナーなのかを峻別するに当たり非常に象徴的なサフィックスのひとつでありましょう。
こうしたサフィックス付与に伴う視覚的合理化の追求は数学や化学分野での記号表記を援用していると言われており、1846年では英国の音楽理論家ジョージ・フレンチ・フラワーズが主要な和音群をサフィックス化させる表記ルールを 'Essay on the construction of Fugue, with ... new rules for Harmony' という論文で発表しており、メジャー・コードのサフィックスで「△」が使われたりするのはその名残りであるとも言えるでありましょう。
上掲のフラワーズによる論文のノンブル2頁で示されているのでサフィックス類がお判りになろうかと思いますが、現今社会では廃れてしまった《硬減和音》=(〔hard diminished chord〕メジャー・トライアドの第5音を半音下行させる和音)などにもサフィクスが充てられているのは要注目であります。
その後、ヴィルヘルム・マーラー等の和音記号やシリンガー等の援用が重なり、米国ジャズ界で現在まで通ずるコード表記が体系化されて行くという事になる訳です。唯、バークリー流の音楽教育でのコード表記の敷衍が大きく影響があったと雖も、バークリー音大自体がコード表記を発明したなどという姿勢は一切取っておらず、彼等をはじめ多くの援用から体系化が整備されたという風にしかアナウンスされていないのが実際です。
オリジナルをアナウンスする程の体系でもなく、西洋音楽界では近現代の発展目覚ましい和声(一般的なコード表記では表せない程の高次な和声)が用いられ、シャイエ等が『調性和声概要』などで示した《減七上の短九度・長九度の和音》=「dim9、dim7(-9)」および《半減七上の短九度》=「m9(♭5・♭9)」などは、ジャズ/ポピュラー音楽では殆ど用いられる事はなく、近年になって漸く明文化される様になったものの、現状では到底一般的と呼ばれる物ではないでしょう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Chord_notation
仮に、イレギュラーなコードが存在したとしても、正位位置がブレる事なく体系化が為されているので、無理矢理にでも記号の側が強弁して特殊な状況を表す事は可能でありましょうが、それが通用するのも正位位置あっての事であり、凡ゆる状況を包摂してコード表記の種類を増やすよりも、楽譜で表した方が理解が深まるのではないかと思うのですが、そうすると、これまでの敷居の低さによる共通理解をややこしくしてしまう様では自縄自縛に陥りかねず、体制側としては難しい判断を迫られる事もあるでしょう。
いずれにしても、西洋音楽で培っていた属和音の正位位置が壊される事なく援用されたのは好ましい体系化であったと言えるでしょう。
加えて、属和音を基にしていたという所は、スクリャービンの「神秘和音」やらで生ずるオルタレーションされる高次倍音(微分音も含)などの音響的な因果関係がドミナントに属するという理解も踏まえた上で丁度良い好都合な物でもあり、あらためて西洋音楽に於ける体系化が科学的根拠にも基づいていた事を証明するきっかけにもなったであろうと推察されます。
斯様な状況から、ドミナント・コード基準での音程正位位置から逸れる音程を示す為には別の記号が必要になるという事から、メジャー7th(長七度)は「M7」という風になる訳で、正位位置での七度であれば単なる数字一文字での「7」だけで済む所に「M」が加わるという訳であります。
また、先述した様に和声の歴史では、属和音以外の副和音は三和音でしたので、和音記号と言ってもそれほど複雑な状況に至ってはいなかったでありましょう。しかし、ドミナント・コードに許されていたのは七度音の付与ばかりではなく、《五度音のオルタレーション変化》つまり、半音の上げ下げによる変化という事です。
これに伴いドミナント・コードの5th音の増減が発生するという事になります。半音高くなる《増》の場合はみなさん能くご存じの「オーギュメント」でして《aug》というサフィックスで示される訳です。
扨て、ドミナント・コードの5th音が半音低くなる《減》の場合は!? というと、これが「ハード・ディミニッシュ」つまり《硬減》という状況であり、ジャズ/ポピュラー音楽体系ではコード・サフィックスとして充てられる事がなくハネられてしまった境遇となるコードであります。恐らく硬減和音がハネられた原因というのは、このコードが抑も二義的な背景があるという所にあるからでありましょう。
つまり、硬減和音は必ずしも長和音の第5音が半音低く変化した物ではないという所。なにしろトゥイレは『和声法』での半音階的全音階での章でハンガリアン・マイナー・スケール(=ジプシー音階)を取り上げ、和声的短音階からジプシー調(=和声的短音階の第4音が半音高い)への変化を見れば、ⅱ度上の和音(=ディミニッシュである)の第3音が半音高く変化した物として説明しており、これを「硬減和音」としているからであります。
無論、減三和音(=ディミニッシュ・トライアド)が、その三度下にある属七和音の根音省略である事を勘案すれば、短調のⅱ度上で生ずる和音を比較した場合、和声的短音階での「ⅱm(♭5)」とジプシー調での「ⅱ△(♭5)」とでは、変化のそれが決してメジャー・コードの第5音の半音の変化なのではなく、短三度から長三度への変化を示している状況であるので、硬減和音の立場が二義的になるという事はこうした理由であります。
また、トゥイレ/ルイの『和声法』が上梓される頃の音律は、それまでの不等分平均律が廃れ始め「等分平均律」の普及が顕著になります。
硬減七の和音というのは [ソ・シ・レ♭・ファ] という状況ですが、異名同音で見れば [レ♭・ファ・ラ♭♭・ド♭] とも同等になった訳であり、そこに等分平均律という音律が後押しをする事となり、「G7(♭5)」と「D♭7(♭5)」というそれぞれの和音構成音をギターのフレットや鍵盤上では物理的に同一の箇所を読み替えている事だけでしかない等価な状況を生み、「半オクターヴ」という絶対的に半分という不協和の骨頂という状況を生む事で、後のシェーンベルクの「十二音技法」の誕生を後押しする事となった訳です。
等分平均律上の半オクターヴという状況はジャズの世界でも発展を遂げる事になり、半オクターヴの等価という概念がジャズ理論の発展を後押しする事にもなる訳で、「三全音代理=トライトーン・サブスティテューション」やレンドヴァイの「中心軸システム」のジャズへの援用(☜スロニムスキーの功績)が見られる様に変化した訳です。
そうして《変化和音》としてコード表記の体系化が為されるのは《増和音=オーギュメント》《減和音=ディミニッシュ》という2種に留まり、硬減和音が除外されて行ったのは体系として一義的にまとめられない理由があっての事でありましょう。私個人としては「hard diminished chord」というコード体系はあっても良かろうにと思う訳ですが、折角理解しやすいコード表記が複雑になってしまうという弊害も視野に入れて考えなくてはならず難しい所であろうと思います。
また、和声学の分野では更に厳密に取扱われる《複導音和音=Deppelleittonklang》という物があり、これは長三和音または短三和音の構成音の一つを短二度上方/下方へ変化させる技法であり、最も多く使われる物が《長三和音の根音の半音上方変位》と《短三和音の第5音の半音上方変位》であります。複導音和音と硬減和音の類が視野に入ってさえいれば、高次な和声感覚が養われる事に繋がると思います。ジャズ/ポピュラー音楽の世界では先ず教わらない事だと思いますが極めて重要な事であります。
そうしたオルタレーションがマイナー・コードに現れないのは何故なのだろう!? という疑問を抱く方も居られるかと思います。例えば「マイナー・オーギュメンテッド・コード」。つまり短和音の第5音が半音上がるという物。これは厳密に言うと存在しますし、使用例もあります。現状では廃れておりますが、シェーンベルクの 'Harmonielehre' (☜日本語版は完訳されておらず、山根銀二訳『讀者の爲の飜訳』社刊の『和声学 第1巻』が当該図書となるものの、マイナー・オーギュメンテッド・コードの部分は未刊)では、きちんと 'minor augmented chord' は例示されているのです。ブログ内検索をパーシケッティでかけていただければ、当該記事『短増三和音(マイナー・オーギュメンテッド・コード)の存在を確認する』を引っ張って来れるので、興味のある方はそちらも併せてどうぞ。
Schönberg, Arnold. "Harmonielehre" 3rd edition. p.423. Universal Edition, 1922.
ところが、国内でも水野久一郎の訳で有名なパーシケッティ著『20世紀の和声法』での〔合成和音〕の章にて次の様な一文がありまして、
〈ほとんどの合成和音が減あるいは増三度を有する和音を、1個から数個を作り出し、またこれらの三和音が一次的和音になる場合が多いという事実によって和声上の問題が引き起こされる。これらは通常四つの基本的な長、短、増、減、の三和音のいずれかに半音階的改造がなされる〉
つまり、《半音階的改造》が意味するものは、《その音程を維持するのではなく半音階的改造=すなわち異名同音への変化をする》と読み取れる物なのですので、これにより譜面上で仰々しい音程が突如現れる様な状況を避けて《暗黙の》平易な音程が生まれる訳で、「ド・ミ♭・ソ♯」という和音は「ド・ミ♭・ラ♭」という変種調号を示唆する音組織からの解釈の様に読み取った方が平易な訳であり、こうした一文が「半音階的改造」を避けて尻込みをさせてしまった事につながっているのであろうと思われます。
正直な所、西洋音楽の楽譜では《減七和音》が登場する状況であっても、減七の各和音構成音は「短三度」であるものの、旋律線の音程は短三度が維持されずに減七が「マイナー6th(♭5)」或いはその転回と為している事など真砂の数ほどあります。
そうした状況であっても、それらを「減七」と体系化して西洋音楽の教育では強行するのでありますが、アヴェイラブル・モード・スケールを想起する状況ではそうした状況を「減七」にしてしまうのは陥穽に陥ってしまうのです。西洋音楽で許されていた理解をそのままインプロヴァイズが必要なシーンに持ち来してしまうとNGなのです。
ドミナント・シャープ9thコードの根音と第3音を省略して出来上がるのが「マイナー・オーギュメンテッド・コード」の実際です。何の問題もない訳ですが、殆ど使われないので尻込みしてしまう。所が他の面倒臭くない所では根拠もない所で身勝手な臆断でありもしないコードを強弁していたりとか、こういうのが後を絶たないのが現状なのでありますね。
コードの5th音の半音増減の変化は属和音の特権でもあった訳ですが、コード種の体系整備がどうあれ、これらは「♭5」「♯5」としても示される様にもなっている訳で、オルタレーションを示すこれは他の音度でも採用されています。しかし、そこで嬰変の変化記号ばかりでなく「+」「−」での記号で増減を示す事もありますが、西洋音楽での数字付き低音での仕来たりと混同しない様にしましょう。
まあ、いずれにしても《属和音基準での正位位置》という基本的な理解さえあれば、それらの正位位置とは異なる音程にて何某かのサフィックスが必要となるという風に留意していれば、コード表記に於てそれほど迷う事はないと思うのですが、何しろこの体系を属和音基準などとは明示せずに唐突にコード表記の体系ばかりを教えてしまう様なのばかりなので、初学者はいつの日にも迷妄に陥っている訳であります。
しかも敷居が低い所での迷妄ですから、初学者でも臆断を強弁してしまえる様な側面さえあります。そんな所で勝手ルールが跋扈する様になり、麻雀のローカルルールよりも厄介な臆断を蔓延らせてしまっている状況の人も特にネットに高依存している方には顕著であろうかと思います。
音楽的な背景が判っていない人たちからすれば、主和音(トニック)を基準に覚えようとしてしまうでしょうから、長音階のトニックでの四和音では「M7」「△7」となり、これが基本的な正位位置とばかりに思い込んでしまっている人が多いという事ですね。
和声的な歴史から照らし合わせると、四和音が許されたのは属和音のみ。七度が付与されるのは属和音の特権であった訳ですが、そこから今度は下属和音での付加六度がジャン゠フィリップ・ラモーによって示されます。
その後時代は進んで、属和音以外の副和音でも七度が付与されたり、副和音でもやがては総和音(=全音階の総合)が使われる様になります。F.リストの「不毛なオッサ(枯れたる骨)」でのフリジアン・トータルはダイアトニック・トータルの骨頂とも言えるでしょう。
和音構成音が四和音・五和音・六和音・七和音という風に増えて行くだけならば特に問題はないでしょうが、多くの場合三和音か四和音が殆どであり、ちょっとコードに五月蝿い人が和声的に欲張って五和音・六和音という程度がせいぜいでありましょう。
和音構成音が増えて行くという状況で非常に重要な前提があるのですが、換言すれば三和音を超えた和音で必要な前提の理解という事であります。それは、《和音外音への類推》です。
つまり、《ド・ミ・ソ・シ》という和音が「1・3・5・7度」を積み上げている状況であるならば「2・4・6度」も同時に類推する必要があるという事なのです。それらは《和音外音》《非和声音》とも呼ばれていますが、この類推ができない人というのは「♯5thと♭13th」を混同したりする訳です。
和音外音を読み取るという事は、同時にアヴェイラブル・モード・スケールを確定する事にも繋がります。ところがこうした便利な方策を、ジャズでのインプロヴァイズを必要としないシーンでは類推する必要すらないと言わんばかりに安堵してしまおうとする為か、アヴェイラブル・モード・スケールなど考えもせずに眼前のコードだけを頼りにしてしまうが故に、和音外音という大きな音楽的示唆に気付かないという人は少なからず存在するのです。
和音外音を無視できてしまうと強弁するならば、ノンダイアトニック・コードが出てきて「マイナー7thコード」が出てきて、それが偶々フリジアンを必要とする状況の時などどーすんの!? と言いたくなるレベルであります。こういう状況では「♮9th」を使えず自ずと「♭9th」になってしまう訳で、和声的にアヴォイドである訳ですね。
更に、フリジアンが必要とされる様な状況であるのに「マイナー7th(11)」という付加四度とか。こうした和声的状況であっても「♮9th」を強行するのは莫迦気ている訳であり、こういう状況の時どうやって対処するつもりですか!? と問いたくなる訳ですね。《私、和音構成音しか弾きません!》という方ではオブリガートもままならないでしょうから、推して知る可しですね。
そういう風になってはいけないので、和音外音まで類推する必要があるのだよと言いたい訳ですね。和音構成音と和音外音が同じ音になる訳もない訳ですから、♯5thと♭13thが同じなど有り得ない訳であります(頤を解く)。
皮肉な事に、そうしたコード表記の揺るがぬ根幹という共通理解があるからこそ成立しうる物であり、私とあなたとで解釈が全く異なってしまう様な各人各様の状況が罷り通ってしまう様では《何の為の共通理解なのか!?》となりかねません。即ち、特殊な状況を多く取り込んでしまうと自縄自縛に陥る可能性を秘めてしまう訳であります。
とはいえ、読譜を難しいとする人からすればコード表記体系の決まり事を徐々に増やして行って拡張する事の方が好都合でもある訳です。恐らく、こちらの方が多くの支持を得る事でありましょう。
抑もコード表記とは、そのコード表記にある言外の状況を制約する物ではありません。コード表記からすれば例えば「A△7」というコード表記があれば、これがイ長調のトニックであろうがホ長調のサブドミナントであろうが何ら構わない訳です。
ところが、状況によってはアヴェイラブル・モード・スケールを確定しなくては和音構成音のみを奏するだけで雁字搦めとなりかねず、結局は《言外》にある状況を読み解く必要性が生ずる訳です。これが《和音外音の類推》なのであります。
単に機能和声の柵(しがらみ)だけで十分な音楽素養で済ませるのであるならば、これまでのコード表記体系でも十分かもしれません。然し乍ら、我々は複調を示す状況の体系化もまだ出来ていない訳であります。異なる調性を同時に聴こうが単一の調性を聴こうが1つの脳で判断するのであればどちらの情報処理も同じなのでありますが、これらを明確に示す事は現状ではポリコードで表す事が精一杯であり、ポリコードという状況を単一のコードとして記す方策を知っている訳でもありません。
いずれは、複調としての異なる調性の組み合わせによる新たなる世界観を《新たな調》として表現する時代が来るのかもしれません。和音機能もそれぞれのトニック、ドミナント、サブドミナントをスルリと転ずる事も可能なのかもしれません。
そうして軈ては微分音を視野に入れたオルタレーションなど、そうした状況まで和音記号に組み入れられる時代が来るのかもしれません。
世界がどれだけ拡張しようとも、根幹が揺るがない状況を踏まえておくという事が重要であり、それが「正位位置」であるという事です。コード表記体系は少なくとも属和音での正位位置をきっちりと教えるべきであろうかと私は思います。決して蔑ろにしないで欲しいと冀うばかりであります。