然し乍ら、夢の中でかかっていた曲というのが《高橋幸宏の新譜》というシチュエーションであった為、こういう夢は滅多にないであろうという事で形にしようと企図した訳であります。
思い返せばそれは2025年4月16日早朝の起床直前の夢でありました。私は夢の中で行きつけのオーディオ・ショップに足を運んでおり、顔馴染みの店員からBGMを紹介されるという状況だったのですね。そしてその店員が発した言葉というのが、
《これ、高橋幸宏の新譜なんですよ。もうアウトロですけど》
という状況で、私はそれを聴くなり《嗚呼、懐かしのサディスティックス風だな》などと思っており、この4小節は循環コードとしてアウトロで繰り返されており、そこで目覚めたという訳です。
何しろ夢というのはよっぽどの物ではないと記憶に残らず揮発性が高いものです。夢の中で今まで耳にした事が無い音楽を聴くという経験自体は物珍しくはないのですが、著名人の方が関わっている状況というのはレアケースである為、私は起床するや否やDAWの起動時間も勿体無い程急いでいた事もあり、身の回りにあったプリンタ用紙とボールペンで書き留めたのが次の動画での楽譜だったという事なのです。
夢の中で、楽譜の旋律を高橋幸宏がスキャットで口ずさんでいた4小節循環となるコード進行だったという訳です。
楽譜の最初の音だけ3度下の音が書かれているのは次の様な理由があるのですが、楽譜上部の注釈が示す様に、ダイアトニックの3度下でもハモっている(オーバーダブ)事を明記しているのです。
また、楽譜の「T」は当該箇所がトニック(主和音)である事を意味し(調号を示している以上、ダイアトニックな響きであるならばいちいちコード表記をする必要がなく、当方は書き留める事を急いでいる)ておりまして、2小節目付点四分音符直後の16分の連桁の間にあるのは、8分音符にスラッシュの入った装飾音で [b] から [f] にスラーが伸びている事を示しています。
同様にして、3小節目の「Ⅱ」は上主和音、つまりⅡ度上のコードである事を示しており、4小節目の最後の音符で連桁を断つのは、その後オクターヴ上昇部分の拍節がスキャットではなくハーモニック・リズムを示しております。
そのハーモニック・リズムの過程で生ずる「C♭」音は、そこが「D♭7」由来の音であるという事を示す私にしか判らない内容で書き留めていた物です(※本動画では「D♭7」の箇所が全く別のコードとして創作してしまっているので、夢の中でかかっていた《高橋幸宏の新譜》という物を再現(4K完全版譜例動画)の物がより厳格にコードが充てられた物であるので比較してみてください)。
楽譜のメモを取った後の私は、朝イチの予約を取っていた歯医者に出掛ける所までは脳裡に強烈な記憶として残って見事に再生されていたので、歯医者の予定さえなければMacを立ち上げLogic Proで制作を開始していたでしょうが、歯医者に出向いた時にはすっかり記憶から消えてしまっておりました。
夢の中の出来事というのは概してこういう実生活の行動が上書きして行って夢という《虚構》を不要な記憶として処理してしまって忘却を進めてしまうのでありましょう。この時点で私は《矢張りメモを取っていたのは正しい判断だったな》と痛感し乍ら歯医者に足を運んでいたものです。
そうして歯医者から帰宅して午餐を摂った後には楽譜のメモを書き留めていた事すら忘れておりました(笑)。しかし部屋の傍に置かれたメモの存在を思い出し、メモを見るなり夢の記憶が蘇ったという次第。
この夢の記憶というのは、楽譜に書ききれなかった他のアンサンブル状況です。これについてはフェイザーとコーラスが強くかかったローズ・エレピとギターのカッティングに、やたらと小刻みに動くベース・パターンなのですが、それらのフレーズは書き留めなくとも、コードのディグリーさえきちんと把握できていればヴォイシングやリズムの状況などは大雑把に判っていた事なので、楽譜にする事まではしなかったのであります。
それらのアンサンブル状況は、一番重要な旋律に随伴して来てくれる物なので、基の旋律さえきちんとメモに残してあれば記憶も蘇るという経験はこれまでもして来ている為に最も優先してメモを取る要素として残していたという訳です。
ベースからギターからローズまでと躍起になってしまうと重要な旋律の方が記憶から消えて行って《創作》になってしまう事もままある為、そこを気を付けていたという訳です。
まあしかし、夢の中でかかっていたアウトロ部分がサディスクティックスという風に形容するのも烏滸がましい位に卑近であるとも思います。なんにせよ、これは高橋幸宏氏が作った曲ではなく、私の記憶で作られた以上は私の曲なのでしょうから(笑)。
夢の中での事なので曲そのものが私の物であろうとも、この曲は「ユキヒロ節」の利いた高橋幸宏さんが私の肉体を利用して作ってくれた曲、という風に私はポジティヴに捉えております(笑)。故に私はこうして臆面もなくアップしているという訳ですが、普段から夢に見ている訳でもない方に夢で遭遇する様な出来事だった事に驚いたのが起床直後の率直な私の感想です。その驚きの記憶が揮発する前に、急いで楽譜を書いた訳であります。
あらためて思うのは、私の様に悪筆の楽譜を書く者であるからこそ、楽譜浄書ソフトは私にとって必要だったのであったという事をあらためて痛感するのですが、思えばMac Ⅱciを入手した時にFinale 2.61を入手した頃の初心に返る様な気分にもさせられたものです。
扨て茲から楽曲解説に入ろうと思うのですが、YouTubeにて〔コンプリート〕と称してアップしている譜例動画は、イントロの後のテーマは実質的に、歌が2番か3番のリフレインを歌っている様な物として捉えていただけると、その後のギター・ソロや最も重要なアウトロの感じがお判りいただけるのではないかと思います。
夢の中でかかっていたというアウトロ部分というのは、上掲譜例動画での40小節目からの部分となります。変ロ長調(Key=B♭)で、ベースがやたらと細かく動く。そう、それこそ小原礼の様に。しかもギターのカッティングはなんとなく高中正義を感じさせるイメージで夢で鳴っていたという状況。
当時の実際のサディスティックスでは有り得ないメンバーの取り合わせ。何しろ、小原・高中両氏は不仲どころか、出会したら即ケンカがオッ始まってしまうという位だったと言われ、サディスクティックスに高中正義の音がどうしても必要な時にはベースが後藤次利に変わっていたという位ですから。
勿論、後藤次利を欲する理由は世界を見渡しても当時からトップレベルのスラップ・テクニックを聴かせていた「チョッパー・ベース」のプレイと音が必要とされていた訳ですね。サディスティク・ミカ・バンドのロンドン・ライヴでの「何かが海をやってくる」のイントロのスラップなど、当時からお手本中のお手本。それこそ、後年マーカス・ミラーが散々聴かせた「Run For Cover」が巷間を賑わせる様な時代になっても寂れる事のない見事なスラップであります。
世のクロスオーバー・ブームに乗っかり、どうしてもスラップが必要だった事もあったのでしょう。唯、時として根音よりも上音を重視して《リード・ベース》の様に振る舞う後藤のプレイのそれを松任谷正隆は後年、《私は後藤次利をベーシストとは思っていない》とまで言っておりましたが、実際それは正しいと私は思っています。時折見せる上音への欲求が興味深いベース・リフを生むというのは後藤次利にもマーカス・ミラーにも共通する要素だと私は信じて已みません。
まあ、夢の中では現実には有り得ない組み合わせが平然と流れている。否、2025年の今になって現れる《新譜》だからこそ実現しているのであろうと心の中では仄かに言い聞かせている私がサディスクティックス風の音だと8小節を超えて聴いていたら目が覚めた、という訳です。
いずれにせよバンド・アンサンブルの音としては、
・ローズ(フェイザー&コーラス)
・小原礼風のジャズ・ベースによる小刻みなリフ
・ギターのコーラスの利いたカッティング
・少々ウェットなドラム音
という、クロスオーバー期を追懐させるオーソドックスな音をApple Logic Pro上で実現させて、アウトロ部分を制作していたという訳です。
そのアウトロ部分の制作を済ませた翌日辺りには、妙に《夢の曲の続き》を匂わせる様なフレーズが脳裡に浮かんだ訳です。ニコク(=国道1号)をウォーキングしていて、川崎の「遠藤町」の交差点の歩道橋を歩っていた辺りで。また、この歩道橋も結構古臭くて風情がありまして、一挙に昭和40〜50年代の記憶が蘇り、朽ち迆(ゆ)く肉体を連れ沿っていようとも、萎み迆く脳とは雖も遉に覚醒を始め創作意欲にブーストがかかったのでありましょう(笑)。
本曲アウトロ部は後ほど詳述しますが、このアウトロの雰囲気を維持した感じで楽曲を創作して行くのも面白そうだと思い、遠藤町付近で浮かんだAメロと思しきフレーズを形にして楽曲の創作を進めて行ったという訳です。
私が描く楽曲の全体像としては、ローズのフェイザー&コーラスが際立っていてオーソドックスなアンサンブルであるというのを特徴とする物です。それでいて変ロ長調はなるべく維持する方向で楽曲を創作しようと企図。そこで《トーナル・プロット=Tonal plot》から見立てて、変ロ長調という世界観をどの様に進めて行くか!? という所から計画して類推を重ねる様にしました。
・変ロ長調からオルタード・メディアント(短三度上方の調性)に進行する揺さぶり
・但し原調は維持
・Bパターンは平行短調
・Cパターンはフランシス・レイの「男と女」を想起させる
という風にトーナル・プロット(=別名「調性プラン」)を描きます。
必然的にAパターンは「B♭」と「D♭」を行き来する様な世界観となり、Bパターンが平行短調「Gm」になるのであれば、寧そ(いっそ)の事ハーフ・ディミニッシュを引き出して短調の側を強調し乍ら、平行短調の「♭Ⅵ」(=サブメディアント)つまり「E♭」への世界観を引き出そうとした訳です。
ならばCパターンが「E♭」となる様に結んで、Bパターンは平行短調の世界観をあからさまに強調する事で乙張りを付けるという風に企てます。
自ずとCパターンは「E♭△7 -> D7 -> D♭△7 -> C7」系統の類の進行となります。これを一旦「E♭」に解決する様に帰結させ、ブリッジで原調の「B♭」へ着地ができる様にブレイクを作る。
そうしてトーナル・プロット側から楽曲を設計する様にしたのですが、初めからトーナル・プロットを立てていた訳ではなく、私の創作アイデアは枯渇しておりました。そうして枯渇してしまっていた所まで作ったのが下記の動画。
上掲動画を制作した後、トーナル・プロットを立ててコード進行の側から楽曲全体を俯瞰する事に。そうして導いたのが先の平行短調へ進んだ以降の進め方となる訳です。そうして設計を終えて、アンサンブルには〔アルト・サックス、テナー・サックス、バス・クラリネット、コントラバス・クラリネット、トランペット〕の計5管を追加し、
・アウトロ以外は「Elastic Dummy」を彷彿とさせるセクショナル・ハーモニー
という風にアンサンブルを形成する事にしたという訳です。
然し乍ら、Bパターンの平行短調に進んでから創作アイデアが枯渇。ここで、Cパターンが平行短調の「♭Ⅵ度」=「E♭」へ進もうとしているのならば、茲をドラスティックに聴かせるべきであろうと思い、ハーフ・ディミニッシュをそれこそ大野雄二の様に活用した訳です。
そうして、
・Cパターンのブリッジは「今日、恋が」のコンボ・オルガン(ファルフィサ)風の音をシンセ・リードとして活用
とビブラフォン、そして「今日、恋が」に使われるコンボ・オルガン風のリード音をシンセに活用するという事にしたという訳です。その音は、下記動画の埋め込み当該箇所から奏される音を私がプロフェット5を使って作っていた音のADSRのサステイン部を更に上げて活用したものです。
こうして楽曲の創作はそこそこに育まれて行き、「コンプリート」の状態になったという訳です。茲で再度コンプリート版の譜例動画を挙げて、楽曲冒頭からの楽曲解説に進もうと思います。
1〜3小節目はイントロであり、当初はローズの白玉バッキングとギターが八分のシークエンス・フレーズだけを刻んで、原調のトニック(=B♭)から見て「♭Ⅶ△7」から増二度上昇して「B△7」してトニックに着地するという簡便的な物でした。
唯、こうしたデモの制作には理由があり、楽曲制作に於てひとつの楽節ばかりに拘泥せずに他のアイデアで楽節を構築する過程を見せておきたかった訳です。無論、この時点で私は既にビブラフォンの動機は出来ていたのですが、あくまでも過程を確認してもらう為にビブラフォンを抜いたデモで《アイデアの枯渇感》を演出していたのです。
ギターの、何の衒いもない八分音符のシークエンス・フレーズ。少なくともこういう楽節に一緒になって随伴させる様なアンサンブルを構築してしまっては雰囲気が仰々しくなります。その逆に落ち着かせたいのであれば、少なくとも八分音符の音価の半分以下で収まる別の動機での楽節作りを企図したい物です。この時点で私はビブラフォンのフレーズは浮かんでいるのですが、当初のデモではそれを省いたという訳です。
そうする事で、何れは完成の形を見る時の乙張りにもなりますし、楽曲の制作過程というのもあらためて能く例示する事ができるであろうという狙いがあっての事なのです。また、落ち着きのあるイントロのしかったのは、その後にアンサンブルを印象付ける事となるセクショナル・ハーモニーによるホーン・セクションの存在があるというのも大きな理由です。
扨て、4小節目からAパターンとなりますが、既にメロディーは移勢(シンコペーション)しておりアウフタクトで入って来ております。メロディーそのものはトニック上でのメジャー7th音を歌っているのですが、この時の伴奏というのはきっちりとトニック・メジャーを鳴らしているのではなく、敢えてリディアンの響きである「♯11th音」をトニックであるにも拘らず用いている所が本曲のクセのある使い方であると言えるでしょう。
これがリディアンであるならば真の原調は「ヘ長調」であると言う方も居られないでしょう。トニックであると見せかけてリディアンを香らせて響きを逡巡させているという意図があるのです。そこには《夢現(ゆめうつつ)》という酩酊感が欲しかったからでもあります。
Aパターンは基本的に4小節の繰り返しであり、概ね2拍毎にコード・チェンジが現れており、細やかなコード・チェンジにより伴奏の側がメロディーに対して響きを細かく揺さぶりをかけている状況と言えます。無論、そうした意図が現れるのはメロディーそのものが何の変哲もないダイアトニックな動きで私自身は卑近であると捉えている訳です。
とはいえ、このメロディーの抑揚、音価などに対して私個人としては「ユキヒロ節」と称したい物でありまして、和声付けの方に関しては少々「毒」をまぶしたいというのが私の正直なる意図でありました。どちらかと言えばウォルター・ベッカーが好みそうなコードを用いております。
そうしたコードの揺さぶりですが、4〜5小節目での冒頭4つのコードを確認していただければお判りにの様に、〔Ⅰ・Ⅳ〕の進行でドミナントを経由せずに揺さぶりをかけている状況となります。
それら〔Ⅰ・Ⅳ〕コードの構成音はいずれもが四和音以上ですから、少なくとも〔1・3・5・7〕 と〔4・6・1・3〕として全音階を網羅している訳ですから、ドミナントの根音を使わずとも全音階を網羅する状況にある訳です。こうした動きの中でⅣからⅠに進む際は自ずと《変進行》である訳です。
すると、そうしたドミナント回避したコード進行を少々大きく捉えると《属音を省略したドミナント》的状況にも重ねる事が可能となる訳です。つまり「Ⅳ」という「E♭何某」のコードも「Ⅴ音」を省略した《Ⅴ度上に現れる上音》として捉える事で、後に現れるセクショナル・ハーモニーに於てオルタレーションされた音をドミナント以外のコードでも用いている理由なのです。
フレーズがドミナントを匂わせても、コードの側がそれを安易に許さずトニックとサブドミナントの細やかな動きだけで仄めかすという様な状況です。まあ、完全にスルーする事は出来ないので騙し騙し使っている様な物と言えば解りやすいでしょうか。
こうした状況はドミナントを欠いた2種の和音機能で細かく揺さぶりをかける事で簡単に実現できますし、もっと俯瞰すればひとつのモードで多くのコード進行を俯瞰してモードをスーパーインポーズさせて充ててしまう、そうマイルス・デイヴィスのアプローチにも通ずる物でもあります。
ジャン゠フィリップ・ラモー以降、英国のアルフレッド・デイは《変進行Ⅳ→Ⅰの「Ⅳ」の実際とは、属和音である属十一・属十三の根音を省いた上音の断片に過ぎない》と解釈されてもおりました。これにて分数コードの感が次第に強まって行くのでもありますが、ドミナント(属音の根音省略)を回避しているというのは共通する世界観であるという訳で、先人の確かなる調性感覚と音楽素養の凄さをあらためて知らされる思いでもあります。
6小節目は「D♭△7」へ進むので、原調から見ると「♭III度」へ進んだクロマティック・メディアントである訳ですが、この進行後に和声的にはかなり揺さぶりをかけているのがお判りいただけるかと思います。
何せ、直後には「Fm△9」が現れるので、原調の余薫さえ感じ取れれば、《「♯4」を維持し乍ら「♭7」》を使っている状況にもなります。つまり、原調は《リディアン・ドミナント7th》のアヴェイラブル・モードにも転じている事がお判りいただけるかと思います。
つまり、原調からは〔♯4・♭7〕の様に変ずる様になる「Fメロディック・マイナー・モード」という事になるのですが、そのまた直後の「A△7(on B)」というのは《F♯メロディック・マイナー・モードの「♭III on Ⅳ」》の姿でもある訳で、一連のコード進行はこうして揺さぶりをかけて、調域が半音上がったりという風になっている訳です。
加えて「Fm△9」の和音外音すなわち〔4・6度〕にある音 [b・d] 音に注目する必要があります。九度音 [g] が根音と第3音との間の和音外音だったとした場合、結果的に 〔2・4・6度〕の和音外音 [g・b・d] を列挙する事が出来る訳ですが、後続に現れる和音「A△7aug(on B)」のベース音以外の和音外音とを比較してみましょう。
比較対象となる「A△7aug」の和音外音の想起として列挙される音は、〔2・4・6度〕に位置する [h・d・fis] 音という事になります。これらの音は「Bm△7」の断片として想起する事が可能であり、先に現れていた「Fm△9」とは、基とする四和音同士が三全音の関係となっている訳です。
こうした三全音の関係がドミナント・コード同士であれば《トライトーン・サブスティテューション》=三全音代理であるのですが、ドミナント・コード(属和音)以外を用いて三全音調域で見立てるという事は三全音調域の《併存》即ち《複調》が視野に入れられている状況であるのです。
また、三全音調域の併存が視野に入っているという状況は、常に虎視眈々と半音階を意識している事でもあり、三全音調域同士のコード「Fm△7とBm△7」という状況に対して、経過和音として「A△7aug(on B)」を辷り込ませているという状況でもあるのです。このオンコードは「F♯メロディック・マイナー・モード」に於ける「♭III on Ⅳ」の状況でもあり、半音階的な世界観の橋渡しとして介在しているコードでもあるのです。
実は、こうした和音外音同士に脈絡を持たせているコード進行というのはウェイン・ショーターやウォルター・ベッカーには能く現れるもので、こうした系統の和音が顔を出している時の経過的なアプローチには注力して傾聴した方が好ましいかと思われます。
そうして7小節目には「Edim△7」へ進行します。このディミニッシュ・メジャー7thは決して「C7(♯9)」からの根音省略という意図ではなく、表記を同義音程和音に変換すると「E♭△/F♭」という風に、《E♭メジャー・トライアドの半音上の音がベース音》となっている状況として解釈してもらいたいのです。
そうした意図は、下属和音=すなわち原調から見たサブドミナント・コードである「E♭△」に対して度=「F♭」が付与されているという状況で和声感に溷濁を与える様にしている訳です。加えて、原調から見た時に突如として脈絡としては埒外の半オクターヴである減五度が姿を表す事で、ダイアトニック(全音階的)なメロディー・ラインに対して半音階的な世界観で揺さぶりをかけているという訳です。
因みにホーン・セクションは5小節目から入って来ますが、最初の内はコントラファゴットを除いた四声・4管で入ります。開始部分こそ開離音程で入って来るのですが、次の実音で書かれる譜例バスクラリネットの [b] とテナー・サックスとの [f] という風に、三度音程で埋められておらず空隙を生じています。
これは [f] を明示的にしている為ですが、楽曲冒頭ではトニックであるにも拘らず、わざとリディアンの響きを出して [e] を明示的にしておりました。その対比もあって開離音程を忍ばせております。
尚、余談ではあるもののジャズ・フィールドでのホーン・アレンジ(☜概してセクショナル・ハーモニー)というのはコードの構成音に則って、例えば「G7」を「四声」「Cm9」を「五声」などと言いますが、実はセクショナル・ハーモニーを西洋音楽的に厳密に言うと、コードがどれほど重畳しい物であろうとも各声部が同一のリズムを維持して動いていれば「単声部」に過ぎません。
コードが「Cm9」であろうが「Gm11」であろうが、動きが同一ならば「単声部」という訳で、これは西洋音楽の和声法です。セクショナル・ハーモニーというのは各声部が《独立した旋律》ではない為、ひとつの動きに則って肩を寄せ合い乍ら全音階音組織として用意された状況を上げ下げして凝集状態のまま動くというのが大きな特徴です。
また、セクショナル・ハーモニーを際限なく断片化してしまえば、本来表しているコードとは全く異なるハーモニーを生んでいる事もあります。セクショナルはこれで好いのです。あるべき姿は《全音階音組織の示唆》と《凝集の維持》であるのです。
例えばトニック・メジャー「B♭△9」というコードを4管のセクショナルを形成しようとしましょう。この場合無視して良い動きは根音ですが、トップノートを扱うパートが [c・d・e] (ドイツ語音名)で動くとしましょう。
そうすると、最高音が [c] の時の4管は [d・f・a・c] であり、同様にして [d] の時は [es・g・b・d] となり、この時の最低音となる音は全音階を維持して構わない(寧ろ次の最高音を示唆すべきではない)のであり、この状況を断片的に見れば、コードが「B♭△9」であるにも拘らず「E♭△7」が経過和音的に生じている状況であるとも言えます。何はともあれ、セクショナル・ハーモニーの場合、コレが望ましいのです。
そうして最高音が [e] となった時、[f・a・c・e] となって好いのであり、先行する最低音の声部 [es] と、その後続の [e] とでは短九度の対斜を生じているものの、これで構わないのです。寧ろ、最高音がダイアトニックを堅持して [c・d・e] と進んだ方がもっと手軽なのでありますが。
セクショナル・ハーモニーは和音が開離ではなく密集で充填されている方が望ましいのです。全てではありませんが、多くの場合ボイス・リーディングとして最高音が選ばれ、この音の動きに随伴して充填されるハーモニーを形成するのが目的であります。
また、密集した充填はボイス・リーディングの動きに依存しているので動きには制限を受けているにも等しいのですが、これは対位法書法の様な独立した声部の動きから対照させた時の《制限》なので、密集状態で凝集される状況が悪い訳ではないのです。寧ろ、動きが制限されている状態では、声部の動きは上か下かに随伴するしかなく、その随伴とは、まずは想起される「全音階」であります。
そうした点から、ボイス・リーディングを行う声部よりも前に音階外(ノン・ダイアトニック)としての音として変応してしまう必要はなく、声部の凝集を保って、全音階音組織の状況を保ち乍ら動く事で済むという訳です。
また、今回のデモではコントラファゴットが入る時には両外声で2オクターヴ・ユニゾンという形式を採っており、トランペットとコントラファゴットが2オクターヴ・ユニゾンとなっています。状況によってはコントラファゴットは強い溷濁を生ずるのですが、これはセクショナルという事で好意的に捉えてアレンジしております。
中には、セクショナルを採るホーン・セクションと他のパートとの間で二度音程が凝集する状況をも生ずるのですが、そうした響きも敢えて形成しているので解説してまいります。
尚、ホーンセクションのダイナミクスは基本的に「f=フォルテ」を基準にしており、アクセント記号「>」の箇所は1段上、マルカート「^」は2段上のダイナミクスとして書いているのですが、フォルテから2段階上が「fff」なのではなく、フォルテの1段上は「mff」フォルテの2段上が「ff」という風に捉えていただきたいと思います。
メゾフォルテ以外のダイナミクスに「メゾ」を付記するのはリチャード・バンガーの書法なのでもありますが、原譜のそれとは異なりダイナミクスの解釈を変える演奏は能く見られるものです。
8〜9小節目にかけても「Ⅰ・Ⅳ」を繰り返しますが、その後9小節目ではAパターンで唯一となる《長七度を持たないコード》である「Cm9」が登場します。上主和音であり「Ⅱm9」に過ぎないのですが、ベースが [c] に進む揺さぶりが欲しかったのでこうなったのです。
また、同箇所での歌メロ部分では [es - f - g - a…] と増四度を忍ばせる全音音程のフレーズが現れ、これは高橋ユキヒロ作曲「Solid State Survivor」からのオマージュであります(下記動画埋め込み当該箇所)。歌メロが [es - f] から入って来るのは「Cm9」でのアンティシペーションによる誘引です。また、歌メロのその [es] は「B♭△7」上ではアヴォイドですが、弱勢で入って来る事と、全音音程が連続する事による旋律的な《苦味》は後続和音で希釈される為の先取り=アンティシペーションという訳です。
YMO活動期での高橋作品で私が最も好きなのは「Solid State Survivor」なのでありまして、そうした個人的な嗜好はどうしても避けられなかったという訳です。他にも「Camouflage」や「Stairs」「今日、恋が」とありますが、何れも坂本龍一の助力無しではなり得なかったのではないかと思うのであり、「Solid State Survivor」は高橋幸弘の良さが詰まっている様に思います。坂本も浸潤する事の出来ないユキヒロのセンスが充溢している曲だと思います。
10小節目でのコード「G♭△9(♯11)」箇所は、リフレイン前ではクロマティック・メディアントとなる「♭III度」となる「D♭△7」に進んでいた部分ですが、その四度上の和音で聴かせているという状況になるのです。そうする事で、原調から見た「♭Ⅵ度」へ軸足を移したとも言える訳で、こちらの場合はクロマティック・サブメディアントとも呼べる訳です。
そうして同小節3拍目では何とも見慣れない「B△7(♭9)」という姿のコードが登場し、そのあまりに見る事のない《エラー》などの類の表記に思われないコードなのですが、これは実は《全音上のメジャー7thコード》をスーパーインポーズする為の脈絡でもあり、その為の「♭9th」の付与なのであります。言っている意味が能く判らない!? それでは次の様に紐解く事にしましょう。重要なのは「B△7」から想起されるアヴェイラブル・モードでの和音外音です。
私自身は、本曲の「B△7(♭9)」というコードでは《BリディアンとD♭アイオニアン》がスーパーインポーズされている状況であると考えます。
まず基底と考えられる「B△7」はBリディアンを想起しており、この和音外音はB音から数えて [2・4・6] 度に位置する [cis・eis・gis] です。これらを異名同音に読み替え [des・f・as] に、「♭9th」だった [c] を加えると「D♭△7」という脈絡が見える事になります。
つまり、機能和声的にはアヴォイド・ノートである音を和音から想起される和音外音と接続させてスーパーインポーズさせるという手段を採っている訳です。それを示唆しているに過ぎない和声的状況であるという訳です。
例えば、B△7上で [c] を鳴らしただけの場合、それは強烈なアヴォイド・ノートが響き渡る訳ですが、この [c] 音を基軸に「D♭△7」の分散和音でも鳴らし、経過的に「C△7」の分散和音まで辷り込ませて「B△7」に着地するだけでも何の怖い事もない。フレーズとしてスーパーインポーズを用いて使う方が和声的に使うよりも簡単です。和声的であるだけの状況として [c] 音が付与されているのはなかなか類推できないでしょうから。
そうした類推への後押しとなるのが、和音外音である《空隙》を利用した喚起なのでありまして、こうしたフレーズを使えば高次な複調の世界を呼び込むという訳です。
更に付言しておくと、「B△7(♭9)」をダイアトニック・コードとするモードは存在します。例えば次の様に、フリジアン・スケールの第5&6音を半音下げた「ブルース・フリジアン」をモードとするもので、[h] 音から数えた「♯4th」である「E♯」音から「E♯ブルース・フリジアン・スケール」を形成すれば、そのモードの第5音上で生ずる五和音が「B△7(♭9)」と成るのです。
上掲のE♯ブルース・フリジアンは、B♮音をモーダル・トニックとする第4モードですから、モーダル・トニックを根音とする音を赤く示し、そこから [3・5・7・9] 度音を示しているという事になり、九度音は自ずとルートから数えて短九度という事になるのです。
ブルース・フリジアンは実質的に、フリジアンの [♮5・♭6] が [♭5・♭♭6] となる事が [♭5・♮5] として認識される可能性があります。6番目の音がなく7度音が現れるという、特にギタリストはこうした誤った概念で度数を理解してしまう可能性が高いのではないかと思いますが、あくまで「フリジアンの第5&6音が減五度・減六度へ変化」という風に理解する必要があります。その減六度が実質的に完全五度と同じ位置に現れてしまう事が厄介な点であるとは思いますが、茲はグッと堪えて理解したい所です。
11小節目では2度ベースによる「A♭△7(on B♭)」ですので、先行の様な強烈な苦味は緩和されますが、原調を背いているのは明白です。先ほど現れていた2度ベースが「A△7aug(on B)」であり、augの無い2度ベースとなり、全音階的に寄り添う乙張りがお判りいただけるかと思いますが、これも実は直後のコードへのワンクッションであるに過ぎないものです。
何せ同小節3拍目に現れるコードは「G♭△9(on A)」という状況。メジャー9thコードとして長九度音がメジャー7thコードに付与されている状況であるにも拘らず、増九度音までもがベースになってしまっているという状況です。
そこで、「G♭△9」の和音外音を確認する事にしましょう。〔4・6度〕の音は [ces・es] であります。「G♭△7」と想起すれば自ずと〔2・4・6度〕となり [as・ces・es] でありまして、これらを次の様に異名同音に変換すると、
[gis・h・dis]
となるので、私はこれらに対して「E△7」の断片を見ている訳です。つまり、「G♭△9」に対して唐突に現れる [a] 音は、「E△7」を引き連れている調域を誘引する物なのだという事です。この《現れない》「E△7」は、原調のトニック「B♭△7」に対しての三全音調域という状況でもあり、その直後に経過和音として現れる「A△9」への進行の脈絡でもある訳です。そうした経路から忌憚なく埒外な音を付与させている様に見えている訳ですが、アウトサイドなウォーキング・ベースのフレージングに手馴れた人であれば、こうした経路を見付けるのは比較的容易だと思います。
いずれにしても和音外音とは、和音本体である構成音が使っていない脈絡であり、埒外な音とのコモン・トーンとする事で関係が強固になる訳であります。無論、半音階的世界観に慣れていない方からすれば、埒外な音を使いこなせる訳でもなく結局は、《全音階的世界観に於て不必要な音》という程度にしか扱えきれないとも思います。それを防ぐには原調への全音階的な固執を希薄にした上でノンダイアトニックな世界観を受け入れる下地を養うという事が重要となります。
本曲の場合、歌メロは非常に全音階的である訳ですので、そこにノンダイアトニックなコードを付随させる事で揺さぶりをかけている状況を強烈な違和感を伴わない程度に仕立て上げる事が重要な訳ですが、苦み走った程度の個性という程度に聴こえさせる様な忍ばせ方が重要になるのかと思います。
そうして12小節目ではAパターンのリフレインとなりますが、ホーン・セクションのセクショナル・ハーモニーが勢い付いて来る箇所でもあります。特に13小節目では「B♭△7 -> E♭△7」というコード進行中でのオルタレーションを利かせたセクショナル・ハーモニーのフレーズにはあらためて注目しておきたい所でもあります。
それらのオルタレーションの最大の特徴は、ドミナント和音以外でのオルタレーションであるという所にあります。
私の考えでは基本的に、ドミナント・コードが現れなくとも「Ⅰ△9 -> Ⅳ△7」という循環だけでも、それら2つのコードで全音階の7音を示唆している状況であるので、ドミナントの要素は常に忍ばされており隠匿されているに過ぎない状況であると捉えています。
単に「Ⅰ△9 -> Ⅳ△7」という進行が1回だけ現れているのであればそうした想起をする必要もありませんが、「Ⅳ -> Ⅰ」という変進行があって循環されているという状況がドミナントを隠匿しているという風に私は解釈しているという事です。
そこで、ドミナントを回避している状況でのオルタレーションというセクショナルの音群を《実音表記》で確認する事にしましょう。移調楽器が多い中での解説は混乱しかねないので、実音表記で見る事に。
余談ではありますが私は、Doricoの移調音/実音の切り替えに対してショートカットを当てております。
実音(Concert Pitch)=control+R
移調音(Transposed Pitch)=control+T
という風に。英語のメニュー名から勘案すれば実音は「control+C」でも好いのでしょうが、real-sounding という事を勘案して「T」キーの隣にもある事で「control+R」という判断をしてショートカットを作っております。
概してDorico関連の動画類は、英語で頒布される事が多く、内容もまた英語でのメニューの実例を挙げて進められます。日本語ユーザーはDoricoのデフォルト言語を 'App Language Chooser' などを用いてデフォルト言語を一時的に変更する事で確認しやすくなる事でしょう。
扨て、実音表記であらためてオルタレーションを採ったセクショナルの部分を確認する事にしますが、最高音のトランペットの動きにセクショナルに動くという状況です。最高音であっても楽譜上でトランペットがグループの一番下に示されているのは、トランペット以外が木管楽器類であり、記譜の慣習としては木管楽器が金管楽器の上段に来るからであります。
そういう面で、最高音を最も下に見るのは、特にジャズ/ポピュラー音楽の方々からは忸怩たる思いをする事もあろうかと思いますが、この辺りは顰に倣って読んでいただきたいと思います。
12小節目からのリハーサル・マークは「A'」としており、茲からセクショナル・ハーモニーが賑やかになって来ますが、クレッシェンドの松葉記号は低音パートのバスクラリネットとコントラファゴットには充てておりません。ダイナミクスが必要無いと判断しての事です。
また本来クレッシェンドの記号は、本曲の例の様に松葉の閉口部を開ける必要はなく、通常は組段および改頁で必要な書法に過ぎないのですが、私の場合、随所にダイナミクス記号を充てているのではなく、冒頭でも念押ししていた様に、通常のダイナミクスを「f」としているという事に加え平時が省略して書いているという物、更にはニエンテである必要も無い事から態と開けています。
また、開口部は更に開いておりますが、これはブーレーズの書法に倣って、Doricoではごく普通に再現できる事で使っただけの事です。
ホーン・セクションのオルタードの動きに於ては、基本的に属音 [f] 音から見た時のオルタレーションで確認していただきますが、ジャズ・イディオムでのオルタレーション [♭9・♯9・♯11 or ♭5・♯5 or ♭13] というオルタレーションが実質的に生じているものの、異名同音として表されている音もあるのは注意が必要です。
これは各声部間での《横の動き》という音程の跳躍を重視している為で、コードの慣例表記のオルタレーションに則っている訳ではないからです。抑もドミナントを回避している状況で「ドミナント何某」のコード上での動きでもないので、各パートはコードに準則したオルタレーション表記よりは《横の動き》に倣った音程移動の方が譜読みとしては楽な筈です。
そうした点から、例えば13小節目2拍目のトランペットのパートでの [f] 音を基準に見ていただくと、プロセス中に現れる [e・cis・as] を表す事が重要なのではなく、[f] 音以降、《短二度下行、増一度下行、減三度下行、短二度上行、増四度下行、増一度上行〜》という音程跳躍である事の方が重要なのであります。
例えば、同箇所で現れる [e] 音の存在というのをジャズ・イディオムで対照させると [e] という状況はトニック・メジャーをアイオニアンではなくリディアンで嘯く時に必要とされる「♯11th」の音脈であり、下属和音(Ⅳ度上の和音=E♭△7)や属和音(Ⅴ度上の和音=F7)では途端に不必要とされるトニックのオルタレーションを用い乍らも、[f - e - es] というダブルクロマティックは必要な運びである為、斯様に表している訳です。
その後、3拍目で生ずる [as] というのも、ドミナント基準で見れば属音から見た「♭3rd」の音であり実質的には属和音上の増九度=「♯9th」の異名同音なのでもありますが、[a] が下方変位した音として [as] を書いているのです。実質的にはドミナント基準からは「♯9th」と同様ではありますが、解釈は異なります。
こうして、トランペット以外のセクショナルは、《横の音程跳躍》を維持して移高している状況に過ぎない訳なのであり、アルトサックスはトランペットの3度下で書かれる為、トランペットでの音程跳躍をそのまま移高すると [ces] が生じているのがお判りいただけるかと思います。
これは、ドミナント [f] から見れば「♭5th」よりも「♯11th」として表した方がジャズ・イディオムとしてのオルタードとして理解しやすい音脈でありましょうが、抑もオルタレーションという半音上下に可変的に変位する技法のそれは、属和音での特に第5音の特権的な技法であった訳であり、属七和音の第5音が半音低く採られれば《硬減七》、同様に属七和音の第5音が半音高く採られれば《増七》となっていたのがオルタレーションの歴史である為、ジャズ・イディオムが先にある様な状況が罷り通ってしまっているのは本来ならば宜しくは無いのですね(笑)。
処が読譜力を欠いてでも、和音記号の厳密なる音程解釈と共通理解があるからこそ、コード周辺の知識の無い音楽素養の人々の間でも誤りなくコードが伝わるというジャズ方面の理論体系は大きく貢献しているのであるものの、コード理論ばかりを絶対的に理解していれば何でも通用する訳ではないのが音楽の正統な体系である訳です。
概してジャズ・イディオムばかりしか備わっていない者は、その場に留まっていれば好いものを、自説の実を上げようと食指を伸ばしてしまい、知りもしない音楽体系を臆断で語ってしまう人が多く存在し、正統な理論と対立してしまうのが顕著でもあります。そうした思想対立を生んでしまうのは理論体系が大きく異なる物なのではなく、素養の浅さが禍いしているにも拘らず、己の疑義を深くリサーチせずに正当知識を当たれずに臆断で語った方がラクだという手段を選択してしまう事が発端なのですね。
ですので、そうした臆断から誤謬を生む事だけはしたくない私はこうして、口を酸っぱくして縷々語っているという訳です。時間をかけてでも正当知識を得られれば結果的に余計な対立は生まなくなる物なので。
そうして小節は進んで19小節目の頭までは同じコードとしてAのリフレインとなっていますが、茲で登場する「A♭△7(on B♭)」というコードで留めておいて、そのままBパターンへと移ります。Bパターンは原調の平行短調となるト短調(Key=Gm)へ移ります。
扨て、Bパターン冒頭である20小節目のコードが「Gm9」というのは好いとして、次の21小節目でのコード「E♭m7(♭5)」というハーフ・ディミニッシュをこの音度で見る事は極めて稀だと思います。「Em7(♭5)」ならヘ長調の導七という風に現れますが、「E♭m7(♭5)」という事は「変ヘ長調の導七!?」とか後ろ指指されて嗤笑されるレベルに匹敵します(笑)。それならば「D♯m7(♭5)」がええんとちゃいますの!? みたいに頤を解かれるに等しい訳ですね。
ですが、オルタレーションとは属和音だけの特権でもありませんし(元はそうでした)、長和音・短和音からオルタレーションされても問題はないのが現在の理論体系です。仮に「E♭m7」という状況から第5音が半音低く変じられているとしたら!? という状況を想定するだけで十分なのであります。
しかもメロディーはE♭に対して長九度音を歌っているという状況なので、和声的状況を断片的に抽出すれば「E♭m9(♭5)」である訳です。このコードをダイアトニック・コードとして見る事はまず無いのですが、「E♭m7(♭5)」の和音外音が [f・as・ces] という事も念頭に置き乍らネガティヴ・ハーモニーで脈絡を確認する事にしましょう。
和声的状況としてメロディー音も加えた「E♭m9(♭5)」を基準とするネガティヴ・ハーモニーは [c・fis・a・d・b] 即ち「B♭△9aug」という事になります。つまりこのコードは、それが《短調のⅢ度》という事を強く示唆するものである訳ですから、「B♭」が短調のⅢ度として現れるのはト短調が和声的短音階(ハーモニック・マイナー)か旋律的短音階(メロディック・マイナー)かという事となります。それは、「B♭」から見た時の第5音が増音程=「aug」となっている事で主音への導音=「M7」を生じているからです。
オルタレーションされたコードとして「E♭m7(♭5)」が生ずる以前のコードが「E♭m7」として想起すると、Gm9から短六度上方の「E♭m」つまり変ホ短調に転調しながら、その第5音(属音)もが変じている状況という事を見ているのでありますが、ネガティヴ・ハーモニーの脈絡としては「B♭△9aug」であり、オルタレーション前と解釈する変ホ短調での「E♭m7」を想起するとネガティヴ・ハーモニーは「B♭△9」。いずれにしても、その直後に現れる「A7(♯9、♯11)」の半音上からのメジャー7thコードからの進行というのは、その後のCパターンのコードを示唆しているとも言えます。
とはいえ、同じ手法でコード進行を進めてしまえば効果は薄いので、異なるアプローチで調性を《転がし》ているのです。
トニック・マイナーから「♭Ⅵ度」へ進行する事自体は何ら珍しくはありませんが、「♭Ⅵ度」というのは通常四和音では「♭Ⅵ△7」。これがハーフ・ディミニッシュとなっている状況なので、相当に変じられているという訳ですが、ハーフ・ディミニッシュでマイナーをドラスティックに演出する人と言えば、ルパン三世でもお馴染みの大野雄二。そういう意味では大野雄二っぽさもあるのですが、歌メロそのものについてはユキヒロ節を堅持していると思うのでご理解いただければと。
22小節目では三全音進行で「A7(♯9、♯11)」という風に進行しますが、《先行和音の根音を後続和音の上音へ取り込む》という風に定型スタイルは保っているので、唐突な印象は受けないであろうと思います。
23小節目ではごく普通に下方五度進行して「D7(♭13)」に進行しております。ある程度変わっていると言えば、ジャズ界ではなくポピュラー音楽および西洋音楽での属和音の「13th」音の取扱いというのは、五度音を省略する様に教えます。
その理由は、旋律形成の為に和音が第5音を提示するまでもなく、旋律にその音を使わせる余地を持たせる為であります。
無論、その副産物として、第5音との和声的溷濁を回避して明澄度を上げる事にも貢献するのでありますが、純然たるジャズ・ヴォイシングに手馴れた方ならば、「♭13thと♮5th」とで形成される短二度・長七度という溷濁は好んで使われ、ジャズの場合は旋律形成の為に使われるであろう音を和声の側が提示する必要はない、などという暗黙のルールがある訳でもありません。
抑もジャズ・ヴォイシングとはトライアドの響きでは卑近と感じた事から、より生硬な響きを求めて形成されて来た訳で、最初に、和音の五度を溷濁させる為に6度が付与されました。
そうして今度は根音を混濁させる為に7度が付与されました。この7度の付与の瞬間、五度音に付与した6度音の地位は同時に13度音となる訳です。そうして今度は3度音の混濁の為に2度=9度が付与され、13度音と貫く為に11度音も使用される様に至ったのであります。
つまり、ジャズ・ヴォイシングは生硬な響きを得る為に四和音である七度音付与が最初なのではなく、五度音の溷濁を企図した六度音が実質的に十三度と機能する事で発展した世界観であった訳です。
西洋音楽の側で連続五度が禁則となるのは、旋律形成の為の音の脈絡を和声の側で前以て使う必要はないからであり、旋律形成の為に一旦の「五度音程」を見るというのはとても重要な事でもある為避けられる訳です。
但し、5th音と♭13th音を併存させるならば、そのハーモニーの響きとしてはとても重く、ジャズ・ヴォイシングとしても非常に重く豊かな音となります。
そうした響きがポピュラー音楽などでは──スティーリー・ダンなど、ジャズを仄めかす様な重々しいハーモニーを要求される様な場合を除いては──、伴奏の側でそこまで重々しくする必要がないので省略されるケースが多いという事でしかなく、決して禁則ではないのです。
然し乍ら、オルタード・ドミナント・コード上での「5th音と♭13th音」との併存を避けた結果として、《augと♭13th》との区別が付けられない素養の浅い者が増えてしまっているのも事実であり、コード表記体系がこうした状況を看過してしまっているが故に、重要なコード表記体系までもが愚かな連中に壊されてしまっている状況には嘆息してしまうばかりであります。
そうしたオルタード・ドミナント・コードを「重々しく」なるのを避けようとする人にあらためて問いたいと思います。本曲の「D7(♭13)」の箇所は重々しい響きに聴こえるでしょうか!? と。左手七度の歴(れっき)としたジャズ・ヴォイシングで弾いてますけれども(笑)。勿論、このアンサンブルは「5th音と♭13th」の併存です。
そうして23小節目は先行の「D7(♭13)」がトライトーン・サブスティテューション(三全音代理)の脈絡を用いて「A♭7」へ進行します。念の為に語っておきますが、先行和音「D7(♭13)」有する三全音 [fis・c] と後続和音「A♭7」が有する三全音 [c・ges] が異名同音を変換する事で三全音を共有する異度にある同種のコードを紡いで来るというというのがトライトーン・サブスティテューションの醍醐味でもある訳ですので、半音階的世界観を誘引する様に用いているという訳であります。
その後23小節目最後に現れる和音「B♭m△9(♭5、13)」というコードは「B♭dim△9(13)」として表す事も可能なのではありますが、ただでさえ「dim7」の七度音を長六度音と同様だと誤って理解する者が多い所に、ディミニッシュを基底とする所に13th音の付与という表記は混乱を来すであろうという思いから「B♭m△9(♭5、13)」という表記にしたのであります。
因みに、ディミニッシュ・メジャー7thの上音に九度音を付す場合、体系的には《短九度》《長九度》それぞれどちらかが付与される2種類のコードがあります。つまり「dim△7(♭9)」と「dim△9」の2種類が存在し、これらは『調性和声概要』にしっかりと明記されているので、興味のある方は確認されてみると良いでしょう。
この「B♭m△9(♭5、13)」というコードは実質的には「A7(♭9, ♯9)/ B♭」という風に捉えていただいても構わないのですが、通常オルタレーションされた音度というのは同度由来の音を併存させる流儀はなく、非常に稀な例としてベルクの『ヴォツェック』で現れるのが正統な方面ではあるものの、複調が視野に入れられていない場合、オルタード・ドミナント・コード上での同度由来のオルタード・ノート併存は避けるべきだと私は考えております。
唯、こうした脈絡からベース音を除いて先行和音「A♭7」から進行して来ていて、三全音進行として「E♭△7」へ進行しようしているのだという事がお判りいただければと思います。
扨て、24小節目からはCパターンとなりますが、これはフランシス・レイ「男と女」のオマージュであり、クロマティックにメジャー7thとドミナントを介在させて行く、最早古典的な定形スタイルとも言えるでしょう。
思えば、スティーリー・ダン「Peg」のイントロも「男と女」のオマージュでありますし、高橋幸宏「Drip Dry Eyes」のイントロ然り。嘗ては化粧品のイオナのCMもそのひとつでありました。
同小節冒頭のコードは「E♭△9」で、原調から見れば「Ⅳ度」であり、調号にも変化はありませんが、実質的には変ホ長調へ転調していると解釈してもらって構いません。然し乍ら、メジャー7thとドミナントの半音下行を繰り返すという進行のそれは、変ホ長調に軸足を移したとしても新たな調は直ぐに他調へ転じてしまうので、変ホ長調という軸足は余薫として強く残らないのが実際であると考え、調号に変化は生じさせずに強行しております。
フランシス・レイの場合、下行時のドミナントは通常のドミナント7thなのですが、私は短属九即ちドミナント7th(♭9)を必ず介しております。これは、先行和音の根音を後続和音が上音として受け止める機能連鎖の為であります。
これらのコード進行を大局的に見ると、〔メジャー7th -> 半音下のドミナント〕という状況を全音下方に転調している状態であり、逐次現れるドミナントのそれが同時に「♭Ⅱ7」という三全音代理を担当している訳でもあります。
とはいえ、「男と女」の場合はスルリと「♭Ⅱ7」という風に転じている事を楽譜から匂わせる事なく「D△7 -> C♯7 -> C△7……」という風に進行する訳でして、「C△7」の為の「♭Ⅱ」でしたら表記は「D♭7」にする筈ですが、フランシス・レイはそうではない、という意味です。
そうして29小節目の「B♭7(♭9)」まで半音下行を繰り返し乍ら、下方五度進行で30小節目の「E♭△9(13)」で一旦解決させます。一応、変ホ長調を強固にするのですが、原調「変ロ長調」の姿の方が重要なので、ブレイクを作って揺さぶりをかけます。
とはいえ、すぐに変ロ長調へ転ずる事なく、ギター・ソロ用にCパターンのコード進行をもう一度繰り返したいので、1回目のブレイクでは最後のコードが「Ⅱ on Ⅴ」になる様に結んでおります。とはいえその「Ⅱ度」上のコードはマイナー・メジャー9thコードであって「Fm△9/B♭」へ結んでいるので、変ホ長調の調域とは異なる脈絡で結んで半音階的な揺さぶりをかけています。因みにこのブリッジは加藤和彦を意識して作りました。
基本的に、このブリッジで用いているコードというのは、2度ベースの時がメロディック・マイナー・モードでの「♭III on Ⅳ」で、4度ベースの時がメロディック・マイナー・モードの「Ⅰon Ⅳ」という意味なのです。
つまりブリッジ最初のG♭△7aug(on A♭)というのは、変ホ短調がメロディック・マイナー化した時の「♭III on Ⅳ」なのでありますが、それらが細かな転調で繰り広げていると、これらの調域に各パートをそれらのダイアトニックに準則させてしまうとトンデモない状況になるので、シンセ・パートを基準に、そのパートが異名同音的に最も読みやすい音程推移で書かれています。
同様にして「Dm△7(on G)」も、ニ短調がメロディック・マイナー化した時の「Ⅰon Ⅳ」という事で、調域としては〔変ホ短調→ニ短調〕という風に半音下がっている状況を、コードの側が半音下行を仄めかさない様な分数コードに仕立てているという訳です。
それらが更に移高して、後続「A△7aug(on B)」の調域は「嬰ヘ短調」での「♭III on Ⅳ」であり、その次の「Fm△9/B♭」はヘ短調の「Ⅰon Ⅳ」という事になり、ブリッジ調域推移を包括的に見ると、〔変ホ短調→ニ短調→嬰ヘ短調→ヘ短調(E♭m -> Dm -> F♯m -> Fm)〕という風になっているという訳です。
ホーン・セクションは移調楽器である為、実音表記でない限りややこしい事になってしまいますが、ブリッジ部のコードの調域がどうなっているのかはあらためてお判りいただけるかと思います。
因みに、同ブリッジのシンセ・パートに描かれる 'coll' 8va' 表記は、表記音のオクターヴ下とオクターヴ・ユニゾンを意味しております。ポピュラー音楽の楽譜ではあまり見掛ける事が無いと思うので一応語っておく事にします。
扨て、そうして32小節目からはフルアコでのギター・ソロとなる訳ですが、Cパターンと同様のコード進行ですので特段の解説は不要かと思われるのですが、一応ビブラフォンがメロディーの音形をモチーフとしてフレージングしているのはお判りいただけるかと思います。
39小節目で生ずるブリッジも、先のブリッジとほぼ同様なのですが、原調に戻る為にコード進行を若干変えています。それが「A△7aug(on B)」の後の「F7(13)」なのですが、先のブリッジの調域と対照させると、
1度目
〔変ホ短調→ニ短調→嬰ヘ短調→ヘ短調(E♭m -> Dm -> F♯m -> Fm)〕
2度目
〔変ホ短調→ニ短調→嬰ヘ短調→変ロ長調(E♭m -> Dm -> F♯m -> B♭)〕
という風に、最後だけ調域が減四度(物理的には長三度)上行する様に変化しているという事になります。
この様なブリッジの動機を容易に生み出す事が出来るのは、インプロヴィゼーションを要求されぬ様な楽曲に於ても常にインプロヴァイズまで視野を拡大してコードやアヴェイラブル・モード・スケールを意識しているからであります。
そこには、オクターヴという構造を如何様にして《対称的に分割》できるか!? という事を虎視眈々と機を窺っているという訳でもあります。そうした事から、歌メロとは全く別物の《筋》が見えて来たりするという訳です。
そうして40小節目からの部分が夢で見たパターンとなる訳でありますが、この部分が4小節の循環コードとなってアウトロとして高橋幸宏さんがスキャットで口ずさんでいたという状況を夢の中で私が聴いていたという訳であります。
歌メロはダイアトニックを維持した二声での所謂3度のハモり。この二声はどちらもユキヒロさんの声で、一方の声はオーバーダブという事になる訳ですが、ザ・ビートニクスの様にオクターヴ・ユニゾンで下を鈴木慶一氏が歌うという状況とも違う三度のハモりです。
高橋幸宏作品で歌メロを3度でハモるというのは、結構少ないのではないか!? と思うのですけれどもね。「Kid-Nap, the Dreamer」のイントロのハミングでしょうか。
それにしても、「Kid-Nap, the Dreamer」の歌詞は、「Nice Age」にも通ずる、クリス・モスデル氏特有のロンドンっ子が鼻に着く様な独特の感じと言いましょうか、デヴィッド・ベッカムが喋っている時の様なあの感じがあって好いですね。
41小節目。同義音程和音について語っておこうかと思いますが、例えばこれら2つの和音構成音を全て《単音程へ転回・還元》した時(☜その際・ベース音も単音程へ転回される)、「A♭dim△7(13)」[as・ces・eses・g・f]と「G7(♭9)」[g・h・d・f・as]というコードは、異名同音を変換しさえすれば物理的に同じ構成音だという事が判ります。
これらの和音の違いを決定付けているのはベース音の [as - g] という変化だけでコードが変化しているという訳でありますが、同義音程和音というのは和音を転回位置で抜粋しただけでは同一であるのに別種のコードになる和音の事です。
つまり、先のコード「A♭dim△7(13)」の根音(ルート)と「G7(♭9)」の最高音をベースが倒置させているという訳であり、ベースから見ると《為て遣ったり!》という状況でもあるのです。判り易く団子に喩えれば、5つの玉が串に刺さって上下逆さまにしたという事をベースだけが満喫している訳です。ベースは半音下行しただけにも拘らず。
42小節目では「Cm9」の後に「Em6(♭5)」が出て来ます。同義音程和音として「Edim7」という風に表す事も可能なのですが、この場合全車の「Em6(♭5)」であるべきで「Edim7」は有り得ません。それは、歌メロの高音部に [cis - d] という旋律が示してくれており、[d] 音というのは根音 [e] から見た時の第7音に相当する音なのであります。
仮に茲で「Edim7」としてしまうと、7番目の音は [des] =「D♭」である訳ですから、6番目の音が [cis] =「C♯」である訳でもない。6番目の音の可能性としては [c or ces] という事になります。
斯様にして、歌メロが重要な和音外音を提示している以上はコード表記が自ずと「Em6(♭5)」となる訳であり、「Edim7」の表記が有り得ないと断じたのはそういう理由があっての事です。
43小節目では珍しく下方五度進行が頻出して来ますが、坂本龍一さんの「I'll Be There」のブリッジ部分をあからさまにドミナント7th化させた様な感じですね。矢張り夢というのは色んな記憶を掻き集めているのでありましょう。
扨て、43小節目も一応はブリッジの様になっておりますが、この一連のコード進行は最初が《短調のⅢ度》特有のオーギュメンテッド・メジャー7thなので、Cメロディック・マイナー・モードで生ずる調域のコードを用いて入って来るという訳ですが、
E♭aug△7 -> A♭7 -> D♭7(♯11)-> E♭7(♯9)/G
という風に推移しており、最後のドミナント・シャープ9thが3度ベースという所が通常とは少々違うのでありますが、これらの4つのコード進行もきっちりと機能循環する様に、《先行和音の根音を後続和音の上音に取り込む》という大原則を遵守しております。
ドミナント・シャープ9thで3度ベースという状況にしたのでは、根音を書いた時「Gdim△7」と同様になるという事で、それまで使用して来たコードとの整合性も兼ねて半音階的揺さぶりを与え乍ら用いているという訳です。
45小節目4拍目でのビブラフォンのパートでは、休符に括弧を与えているという珍しい表記がありますが、この休符は「手の動作」の休息に過ぎず、音を止めるという物ではないのです。抑も、レゼヴィブル・タイが音符に掛かっている為、音を伸ばして好い状況なのですが、そのレゼヴィブル・タイの音すらも止めてしまう休符として解釈してもらいたくない為に休符は手の動作のみという意味で括弧を与えております。
こうして、夢で見た《高橋幸宏の新譜》という物を具現化してみましたが、創作となった部分は冗談とオマージュを散りばめ乍ら形にしております。できれば、肩の力を抜いて耳にしていただければと幸いです。冗談混じりに形にしてはいても、要所要所では音楽的に重要な事は忍ばせているので、その辺りを併せて吟味していただければと思います。
何より、今回の制作に役立ったのはRolandに買収されたDWの音源DWeのドラム音源でありまして、このドラム音源に内蔵されるスリンガーランドのキットが役立ったという訳です。初期YMOの頃でもスリンガーランドのスネアを使っていた頃もあったでしょうが、サディスティックスの頃と言えばスリンガーランドだったかと思います。
高橋幸宏の音としては、キーペックスのかかりが少ないアンビエンスの効いた音になっておりますが、それにしてもDWeのオーバーヘッド類の収音は素晴らしいクオリティーですね。これらを巧みにミックスする事で、実音の定位が眼前に現れます。このシャープさは凄いです。特にキック類が前に出て来ます。
また、全体的には70年代中期〜後期にあったクロスオーバー・ブームの時代を踏襲する感じでオーソドックスな編成の音に仕上げており、ローズはMK-Ⅰのフェイザー&コーラスを強調。世界観としては、ヨアヒム・キューンの「Lady Amber」の前奏での世界観で、メジャー7thの世界観としてピッタリだろうという事で、この音は脳裡から離れませんでした。
アンサンブルにシンセサイザーばかりが横溢する様な音とは異なり、オーソドックスなAOR風の編成での音でどうにか形作ろうとしたのが本曲であるという訳です。
ブリッジ部のオクターヴ・ユニゾンでシンセ・リードが鳴っているではないかと指摘されるかもしれませんが、実はこの音は先述した様にファルフィサ風のリード音をプロフェットを用いて使い、若干ADSRのサステインを長めに採った音なのです。
また他のエフェクトとして重要なエキップメントとして挙げておきたいのが、Busコンプに使用したArousorであり、特にドラム類ではこれが主にかけられていて、ドラムの金物と他のアンサンブルにはWavesのSSL CompをBusコンプにしているという状況です。
高橋幸宏さんがご逝去されて三回忌も過ぎたという状況でありますが、こうして人々の夢を借りて遊びに来てくれているのかと思うと感慨頻りでもあります。
私が思うに恐らく成仏とは、途方も無い時間をかけて成すものであって死者の魂のエネルギーは亡くなってもそうそう消えずに存在し続けるのではなかろうかと。そうして、そのエネルギーが別の次元にあるからこそ通常はアクセスできず、肉体を持つ人々がその次元の呪縛を最も受けにくい状況が睡眠時の夢なのではなかろうかと。あれだけハーモニー感に富んだドラマーであったからこそ、まだまだ音楽では遊び足りなかろうかと思います。
単に夢とやらが、生きる者の想像力の果てにある物だとしても、こういう関与があっても面白いではないですか、と私は受け止めたいと思います。まあ、なんにせよ不思議な夢でした。