複声部表記に於ける全休符の特権にまつわるFinaleとDoricoとの比較考察

 扨て、Finale開発終了のアナウンスから2ヶ月ほど経った事もあり、私としても彌々Doricoを覚える必要があろうと判断し、所有してはいたものの殆ど弄らぬままにしていたDoricoに重い腰を漸く上げて作業に勤しむ事となるのですが、33年使い続けたFinaleを一気に捨て去る事が出来るほど他のソフトが育っている部分があるのかというとそれも疑問でありまして、《矢張り》というかDoricoではまだまだ不完全な点があるという事をまざまざと感じ取っている所であります。

 そうして今回は、複声部表記に伴う《全休符》を取扱うという状況に於てFinaleとDoricoではどれくらいの差があるのか!? という比較考察を繰り広げる事になるのですが、正直な所Finaleの柔軟性の高さに軍配が上がります。無論、歴史の浅いDoricoですから将来改良すべき余地は十分残されているとは思うので今後に期待したい所でもあります。

※(2024年12月25日追記)
 下記で縷述しているものの、Dorico Proでの複声部にてひとつの声部に音符が充填されている時の片側の全休符の表示法は既に用意されており、Dorico Proでは本記事懸案の事例に関しては実現可能という事が判明しました。Shift+Bでポップアップが出た時に 'rest' と入力する事により片側声部の全休符が小節中央配置で為されます。私自身がこの入力方法を熟知していなかったに過ぎず、Doricoオペレーションマニュアル(5.1.50対応版)では269頁に記載されておりますのでご注意下さい。


 その前に、「全休符の特権」とは何を意味するのか!? という所から語っておかないと理解が進まない方も居られると思うので全休符の表記の前提を語っておく事としますが、全休符の最大の特徴は《拍子に依存しない》という所にあります。

 全休符のそれを「四分休符×4」の歴時であるかの様に理解に及んでしまっている初学者の方も居られるでしょうが、拍子記号に依存しない全休符であるのですから、3/4拍子、5/8拍子、6/8拍子や7/8拍子、13/8拍子、5/16拍子であろうとも小節に充填される音がない状況の小節は総じて全休符で表されるというのが、全休符を表す事の特権的な表記だと言える訳です。

 そうした特権的な表記を全音符にも適用してしまおうとするのも初学者に多い誤解なのでありますが、全音符には全休符のそうした特権はありません。

 とはいえ4/2拍子など、拍子の母数が「2」や「1」などの「全休符」は単に倍全休符の半分という地位になり、こうした拍子構造では倍全休符・四倍全休符・八倍全休符使用を優勢に採るというのが慣例なのでもありますが、殆ど多くのケースでは全休符は特徴的な取扱いを受けると理解していて構わないでしょう。

 現在の全休符の表記のそれは17世紀に確立されました。そうして2小節の休みを表す倍全休符、4小節の休みを表す四倍全休符、4小節を超える長休符を「タチェット」と呼ぶのであり、Doricoで使われている「タチェット」という呼称もこうした記譜法に基づいて使用されている呼称なのであります。Finaleの方では「長休符」という呼称で日本語では統一されておりますけれども。

 そうは言っても斯様な全休符の特権とやらも《複声部》が生ずる状況では少々取扱いが異なるという現実に遭遇する事となります。

 複声部というのは、同一譜表=同じ五線の段を使って上声部/下声部を生じている楽譜なのでありますから、複声部のどちらかに音符が満たされ、もう一方の声部で全ての拍を休符で表す時には全休符でなくとも構わないのです。寧ろこちらの方が正統表記とする位の取扱いなのでありますが少なくとも複声部での全休符の取扱いについては次の様に、

他の声部にて既に音符が明示されている
基の拍子が複合拍子である(単純拍子ではない)

という状況である時は、もう一方の声部で表す休符が全休符とされない場合が多くなります。こちらの選択を正統または慣例表記とする事が多いという訳です。

 そうは言っても例外となる表記は往々にして存在するもので、例えば次のギデオン・クラインに依る弦楽三重奏の第1楽章でのチェロのパート譜冒頭にある様に、チェロは本来ならば全休符で済むものの、わざわざヴァイオリンのパートを音部記号を変更してまで明示してあるのです。

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 しかも、複声部として書かれたパート譜のそれは、上声部が上向きの符尾で書かれずに下向きを維持したまま、下声部に全休符が置かれているという自筆譜である訳です。

 斯様な例外表記に外野があれこれ口を挟む必要もなく、これを新たに書き取って印刷物として示す場合、顰に倣ってその原譜通りに写譜する必要があります。そうした場合、Finaleでは再現可能であるものの、Doricoでは複声部にて併記される全休符が小節中央に配置されないという弱点があるという訳です。

 楽譜表記の正当性として、拍子の概念を明示する事は基本中の基本です。但し、複声部で表されるという状況に於て、一方の声部が正当な拍の概念を明示して表記されているならば、もう一方の声部は、概念的な拍子構造を墨守してまで表す必要は無いと私は考えています。

 例えば次の様に、3/4拍子に於て上声部はしっかりと各拍のイマジナリー・バーラインに則って拍節が明示されているとしましょう。然し乍ら、下声部は「全休符」であっても好いにも拘らず、態々3拍4連の休符で明示されているとしたら、下声部は、3拍子を4等分するリズムを強く意識する必要があるという事を強く示唆しているという意図を読み手は感じ取る必要があろうかと思います。

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 上掲3拍4連は実質的に、次の様な「付点八分休符×4」の状況である訳ですから、もっと深く示唆を斟酌するのであれば、《上声部は3/4拍子、下声部は12/16拍子》であって欲しいのだろうという意図を酌む事が出来るという訳です。

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 すると、3/4拍子と12/16拍子の併存という訳で、これはバロック期にも多くあった単純拍子と複合拍子の混合表記にもある状況をも示唆するという訳で、上声部の八分音符の連桁は単なる平滑化された八分音符を奏するよりも、若干いびつに奏する方が好ましくなるという表記という事まで読み取る必要がある訳です。Doricoではこうした混合表記が可能となるので、それは非常に便利な所です。

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 そうした深部にまで意図を酌むと、休符として奏される事のない下声部が及ぼしている影響力の大きさがあらためてお判りいただけるかと思うのですが、Finaleの場合は残念乍らバロック期に能くある拍子記号である混合表記、例えば「3/4(12/16)」という表記はできない訳です。少なくとも音符開始位置をずらして音楽記号として括弧で括られた拍子記号のスペース分を確保して表すか、Illustratorにエクスポートして編集する事となる訳です。

 楽譜の読み書きが出来ない人は往々にして《音楽の精緻な状況を線と玉だけで表せる訳がない》《自己陶酔》だのと非難したりする物です。読めない癖して何故そこまで断定するのだろう!? と思えてならないのですが、「本」や「文章」を読む時に喩えると楽譜の読み書きの重要性があらためて判ろうかと思います。

 例えば、「本」や「文章」を読んだとしましょう。そして、その文言とやらは実際に明示化されていない言外の《イントネーション》や《読み》を読んでいます。AIの人工音声がイントネーションが少々異なる部分に違和を覚えるのと同じ様に、実際には指示などされていない所に準則して読もうとするのは、読み手に一定以上の《語法》および《素養》が備わっているからです。

 ルビなど振られていない文言も正しく読む事が可能であり、読み手が自由きままに漢字を読んで好い訳でもありません。それは、言葉そのものが共有しうる伝達手段である訳で、楽譜に於ける記譜法も亦共有する語法であるのです。

 故に、その語法と素養を高いレベルで有している人ほど深く読み取る事が出来る訳であり、楽譜のそれを音楽の状況を正確に表した物ではないなどと断じてしまう者は、音楽の素養を身に付けていないが故に断定してしまう訳です。我々はこうした戯れ事を見聞きした瞬間、その発言者の言う事はアテにならないと判断して然るべきでしょう。

 楽譜が線と玉だけとは軽んじる事毋れ。線と玉だけでも深部を読み取れるにも拘らず、多くの演奏指示なども付記されたりする物です。素養を欠いた者にとっての「本」が単なる文字どころか線の集まりでしか無い様に、音楽素養を欠いた者の楽譜観というのも亦推して知るべしでありましょう。

 先の様な拍子の混合表記はDoricoでは非常に手軽に実現できるのですが、それでも複声部での全休符配置となると弱点を露呈してしまうものです。そうした弱点を例示するに際し、次の様な複声部表記に於ける7/8拍子を理想とする状況を考えてみましょう。

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 上掲の譜例はFinaleで編集した物です。譜例の特徴としては、

・単一譜表内での複声部である


・7/8拍子であるものの、小さな4つの拍節がある


・小さい拍節を包摂する大きめの拍節構造のそれは(3+4/16)×2という構造である


・7/8拍子から「7/16拍子」×2という構造が読み取れる


・(3+4/16)拍節構造にある「4/16」拍子側の1拍3連音符の拍節構造で惑わされない為には、楽譜の言外にある「7/32」拍子を読む必要がある


・下声部の休符は上声部の拍節に拠らず全休符


・下声部の全休符は小節内中央配置である



 つまる所、上声部の拍節構造は「7/32拍子×4」の構造を読み取る必要があるものの、上声部の1拍3連符がそれに準則しないポリメトリック(※拍頭しか揃う事のない拍節構造が同時に現れる状況を指す.例:1拍3連符と16分音符と1拍5連符の併存)構造となっているのであり、パッと見では平易に見える拍節構造であっても、実際には非常に複雑な構造となっているという訳です。

 但し、複声部は全休符を表示したい。遉にFinaleであっても同一譜表内での複声部で一方の声部に音符が充填されていれば、もう一方の声部が全休符で充てられる事はないので一工夫必要になります。

 Finaleにて先ず必要な手順は、全休符として表示したい声部の側を先ずは《7拍8連》として定義させる必要があります。この際、高速ステップ入力ツールを選択して、「option+shift+8」キーを使って8拍7連の休符を8回クリックして「8連符」を入力する事となります。

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 すると、入力した筈の連符が表示されず、単に「二分休符+四分休符+八分休符」として下声部が埋められてしまうだけになるのですが、茲で1回だけ「command+Z」でひとつだけ取り消しを実行します。すると、「八分休符×8」が充填された8連符が姿を表します。

 八分音符を選択し乍ら「option+shift+8」キー操作によって、八分休符による「8連符」は入力できるのですが、この段階でFinaleの高速ステップ入力ツールは「7拍に対する8連符」という所まで意を酌んでいる訳ではないので、この「8連符」はデフォルトとして「6拍の8連符」として連符が入力されてしまいます。それが次の譜例です。

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 とりあえずは「7拍8連」に修正する必要があるので、連符ツールにて次の様に連符を《8分音符8個を8分音符7個分に入れる》と定義させます。

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 連符定義ツールのウインドウが閉じたらすぐさま、高速ステップ入力ツールで連符が表示されるレイヤーである下声部側をクリックし、7拍8連に充填されている《八分休符の2つ目以降の休符を全て削除》します。そうして高速ステップ入力ツールの編集ウインドウのまま、7拍8連の拍頭の休符にカーソルを当てて「7」を入力します。茲で初めて全休符に変更させるという訳です(全休符を8分割)。

 この下声部での全休符は「見せかけ」の物に過ぎない訳です。Finaleとしては上声部には既に音符を充填していて「7/8拍子」として算出している以上、全休符を表示する必要はないのです。然し乍ら、全休符として表示する必要があるので「7拍8連」として表記を欺く必要があるのです。それと同時に、「7拍8連」上で表される8つの八分休符のパルスは4/4拍子の時の8つの八分休符のパルスのそれとは全く異なるという事を念頭に置く必要があるという訳です。

 加えてFinaleが優れている点は、7拍8連の八分休符全てを全休符に変えた時点で、小節内中央配置になるという所です。これにより理想の形に近づいて行くという事になります。

 そうすると、下声部の構造は次の様に変化する事が見て取れます。また、上声部の連桁はこの時点で初めて連桁を分割させる様にしないといけません。

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 早々と上声部の連桁を分割してしまうと、「7拍8連」の連符定義の後にFinaleは拍の計算のエラーで余計な休符を充填させてしまいます。この問題を避ける為に、上声部の既に充填されている連符を連結したままにしておくのです。これは非常に重要な手順となるので注意が必要です。

 その後次の図版の様に、下声部の「7拍8連」に対して付随されている連符の数字と連符の鉤は非表示にさせる必要がある為、ペイン内にある「表示」の数字と図形の2つのプルダウンメニューから「表示しない」を選択して《見せかけの全休符》という状況を達成する事になるのです。

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 Finaleでの編集状況を確認してみると、次の様に下声部の全休符(←見せかけ)が中央に配置されているという訳です。下声部はレイヤー2での赤色表示ですので、それが明確化されているという事になります。

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 尚、Doricoでは次の様に「7/8(28/32)」拍子という表記は労せずして行えるもので、人によってはこれだけでも魅力的でありましょう。

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 上掲譜例での下声部に見られる全休符は、Finale同様見せかけの全休符であり、入力状況としては「7拍8連」として連符の数字と連符の角括弧それぞれを非表示にしています。また、下声部は下向き符尾の声部として入力しており、入力の実際としては次の譜例の様に、7拍8連での「八分休符×8」として充填された休符は拍冒頭の八分休符を「拍の強制」を使って全休符として入力しているものです。

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 そうして、下声部の全休符にある連符の数字や角括弧は下ゾーンのメニューからそれぞれ非表示に設定し、第2線に置かれる全休符を下ゾーンでの「休符の位置」で「-6」程度ずらせば、下にずれて配置されるという訳です。

 充填されている7拍8連の休符は「全休符」の形で満たされてはおらず、「付点四分休符+付点四分休符+四分休符」という風に置かれてしまっております。これらの休符の内、拍頭以外に置かれている2つ目以降の「付点四分休符と四分休符」を「編集メニュー」の中にある「休符を削除」を選択して消す必要があります。

 その次に、表示が残された拍頭にある付点四分休符を記譜モードでハイライトさせつつ、「デュレーションの強制」を選択しながら「全音符」「休符」のパレットで《全休符》を入力させるという手順を踏む事が必要となります。

 すると、次の様に同一譜表内での複声部に於ける下声部での全休符が表示できる様になる訳ですが、この休符の位置を垂直レベルで「-6」下げる必要性があるという事です。

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 然し乍ら、垂直レベルでこの全休符を動かして編集する事は出来ても、Finaleの様に小節中央配置させるという事がDoricoではできないという訳です。これは、浄書モードにして水平レベルで動かそうとしても無理なので、浄書モードではDTPソフトの様に編集可能な様に設計した方が好ましいのではないかと私個人としては思う所であります。

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 これは即ち、ギデオン・クラインの先の様な譜例を作るには下声部として入力するのではなく、音楽記号を「テキスト」として配置させる対応をしてその場を凌ぐという方法でしか現状(Dorico Pro 5.1.60)では解決できないという事となります。

 そうした解決できない問題とは、全休符が拍頭に来てしまい小節内中央配置にしようと企図しても水平に編集できないという点であり、これがDoricoの弱点とも言えるひとつの側面でもあるのですが、将来のバージョンに於てDoricoの浄書モードがかなり細かく編集できる様になる事を期待したい所です。

 扨て、倍全休符以上の歴時を持つ休符が組み合わされて「長休符」と同様(タチェットです)の取扱いをする事もあります。R・シュトラウスの『フォイヤースノート』でも、倍全休符+全休符に「3」というタチェットで示され、倍全休符は小節内で中央配置ではなく通常の拍頭位置に寄るという書法もあります。

 Doricoでは、先人達の慣例表記を重んじて設計している所があるので、Finaleの様に何でも編集できてしまう様な所にアクセス出来ない部分は多々あります。ソフトとしての歴史が浅いので現状では致し方ない部分もあるのでしょうが、ヤマハが知財に非常にうるさいのでフィードバックを全く受け付けない(国内のみならず国外のヤマハやスタインバーグ然り)という姿勢である所も遅々として改善されない部分もあるのではないかと思います。

 楽譜という共通認識に基づく概念に知財も特許もなかろうに、と私自身は思うのでありますが、記譜法を離れれば音律ひとつでも特許を取得した音楽家も存在(アーヴ・ウィルソンなど)する位ですので、オルガンやピアノを取り扱って来ているメーカーが目を皿にして特許を監視したり管理したりするのは当然の姿勢でもあろうかと思いますが、楽譜ソフトという観点ではそれが少々厳格な様な気がしないでもありません。