Doricoで微分音を取扱うメリット

 扨て、私のブログでは2024初頭には『Fineleで微分音を取扱うという事』と題して四分音入力のそれをYouTube動画と連動で解説していたものでしたが、2024年8月末に多くの人がご存知である様に、Finaleが開発終了をアナウンスした事に依り多くのFinaleユーザーが路頭に迷う事になったのは記憶に新しい事でありましょう。

 私は既にDoricoユーザーでありましたが、作業工数を比較すればFinaleでの編集作業が圧倒的に早く、Finaleのそれをジョギングと喩えるならばDoricoのそれは松葉杖をついて歩いている様な物でありまして、ソフトの操作の細かな部分はマスターしきれていないままバージョン・アップを重ねている様なユーザーであります。とはいえ私とて、Doricoに時間をかけてチマチマやればある程度の楽譜編集は行える程度のスキルは備えているものの、33年使い続けて来たFinale編集と比較すればまだまだ雲泥の差であります。

 作業工数に多くの時間を割かれる事を強いられるとは雖も、私とてDoricoに対してFinaleには無い一定以上の魅力がある事は痛感しております。11/7拍子やら16/17+3/8拍子とか。Finaleでは拍子記号を非表示にした上で音楽記号のレイアウトを拍子記号に見せる様にし乍ら拍数には非表示の連符を用いて騙くらかす様な事をしない限り通常の設定ではまず無理です。上述の技をこなすだけでもまあまあ作業工数は費やされてしまう事でしょう。処がDoricoは先の様な特殊な拍子など10秒も要らずにこなせてしまいます。

 また、Doricoでの微分音取扱いについては、Finaleユーザーからは垂涎の坩堝たる機能を備えている物です。遉にSMuFLという多くのフォントグリフ数を備える規格を整備しただけの事がある訳ですが、その微分音取扱いの魅力というのが、

①微分音プレイバック音として追随させる微分音変化記号
②ジョイント型変化記号を手軽に入力可能なカスタマイズ機能

に尽きるかと思います。

 上掲①に於ける微分音プレイバックに関してですが、Doricoの優れた点としてオクターヴを任意に分割し乍ら、その分割に伴う単位音程の数値に対して微分音変化記号をアサインしつつ、プレイバック音はその数値に追随して再生するという所にあります。

 勿論、その為には微分音音組織の為の排列構造をきっちりと入力して設定する必要があります。とはいえ、その設定は決して難しいものではなく、全音階的半音さえ考慮に入れられていれば戸惑う事はなかろうかと思います。

 上掲②は、複数の変化記号をジョイントさせて1つの変化記号として用いる表記に対応できるもので、ユーザーが任意に1つの微分音変化記号として新たに登録できてしまうという所にあります。

 このジョイント記号が便利なのは、例えばFinaleでジョイント型の変化記号という物をあたかも1つのフォントとしてアサインする事は不可能でありまして、併記させる必要のあるジョイント記号は音楽記号として登録する必要がありました。この様に登録しないとスペーシング変更に追随せず変化記号のレイアウトが崩れてしまうからです。

 しかもFinaleでジョイント記号を表記するとしても併記の状況が3つ以上の記号を並べてしまうと前後の音との整合性が取れず、各音ごとに手作業でスペーシングの編集をせざるを得ませんでした。

 これらにどれだけ手間暇を掛けても任意の微分音変化量がプレイバックに反映されないというのがFinaleの設計だったのでありますが、Doricoの場合は複数の併記の記号を1つの文字として新たに登録可能であり、音符のスペーシングはこの併記に伴い恰も1つのフォントとして登録した新たなその配置規則でのスペーシングが追随する為、非常に容易に取扱う事が可能なのであります。それに加えてプレイバック音も変化量に合わせて追随するのですから脱帽です。

 何れの要点も後ほど詳述しますが、どちらの設定に於ても必要となる前提知識は、《幹音に於ける全音階的半音の存在》という事を念頭に置く必要性であります。これさえ念頭に置かれていれば、かなり複雑な微分音体系でも迷う事なく設定する事が可能でしょう。


 扨て、ご存知の様に《幹音》とは記譜上に於て調号も変化記号も必要の無い音の事であり、この幹音の列から「ドからド」を読んだ時が長音階という全音階音組織であるという訳です。

 加えて、その幹音が内含する《全音階的半音》とは、長音階音組織に於ける「第Ⅲ音と第Ⅳ音」と「第Ⅶ音と第Ⅰ音」との2種類が存在する訳でして、例えばハーモニック・マイナー・スケールでAハーモニック・マイナー・スケールの第ⅱ音と第ⅲ音は全音階的半音であっても、第ⅶ音と第ⅰ音は半音階的半音である訳です。

 斯様な取扱いの違いを念頭に置く必要があるのですが、顰に倣って全音階音組織の「第Ⅲ音と第Ⅳ音」と「第Ⅶ音と第Ⅰ音」との2種類だけを覚えておけばDoricoでの設定は容易な物となるのです。


 それではDoricoを使用して微分音変化記号のカスタマイズをしてみる事にしましょう。先ずは全音階的半音という存在を存分に知る事となるであろう「31等分平均律」=31 tone Equal Division of Octave であります。

 歴史的に31EDOは「五分音」と呼ばれます。等分平均律という各単位音程が等しい音律がもたらした事で1オクターヴはついつい「6個の全音音程」として見立ててしまいそうですが、実は1オクターヴは《5つの全音音程と2つの全音階的半音音程》で構成されているのです。

 ですので、五分音とはそのまま6全音に当てはめてしまうと「30EDO」にもなってしまいますが(※非常に稀ではありますが半オクターヴを標榜する為の平均律である30EDOは存在します)、

・全音の5等分×5つの全音音程=25単位音程
・全音階的半音の3等分×2つの全音階的半音音程=6単位音程
=25+6単位音程=31EDO

という風に成立している訳です。

 そういう訳でDoricoで五分音(31EDO)の臨時記号をカスタマイズしようとすると、下図の様に「オクターヴごとの分割」な値を入力する必要があり、全音階の全音は5単位音程の「5」を入力し、[B - C] および [E - F] 間は全音階的半音である為に3単位音程の「3」を入力する必要があるという訳です。

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 そうしてオクターヴごとの分割数を確定したら、任意の単位音程を設計する為に「臨時記号」から「+」記号をクリックして追加して行く事になります。クリックをすると次の様な「臨時記号を編集」という画面に変わり、

31EDO_HEWM-2.jpg


画面右上の「ピッチデルタ」に数字を入力する必要があります。これは《単位音程》の量を示すので、この変化記号を入力する前提としてオクターヴ分割を31等分した設定を行った訳ですから、茲でのピッチデルタの増減量は自ずと31等分の単位量となる訳です。

 先の画像でのピッチデルタ量は「2」と入力されており、茲で編集しているのは31EDOに於ける「2単位音程上げ」となる変化記号を編集しているという事がお判りになるかと思います。また、この変化記号はHEWM(Helmholtz, Elis, Wolf, Monzo=ヒューム)ノーテーションという記譜法に於て「HEJI/HEJI2」フォント(Helmholtz-Elis Just Intonation Font)という所謂拡張ヘルムホルツ゠エリス記号の31EDO(嬰種記号のみ)の表記法に基づいた記号であり、Bravuraフォントに含まれているグリフの複数ジョイントとして組み合わせる事が必要となる表記となります。

 なお余談ではありますが、HEWMノーテーションという記譜法にて用いられるHEJI2フォントという意味ですので、HEJIがHEWMを包摂するのではないのでご注意を。

 画像では3種類のフォント・グリフを組み合わせて作成しているのがお判りかと思いますが、茲での記号作成は同一フォントばかりでなく、異なるフォントの組み合わせによる「混植」が可能という点は非常に熟慮された機能であろうかと思います。

 また、異なるフォントの組み合わせばかりでなく、透過が可能な画像形式であれば「グラフィック」で画像を埋め込んで組み合わせる事も可能となるので、非常に細かく編集が行えるのはDoricoの大きな利点のひとつと言えるでしょう。

 とはいえ、私が「混植」とカギ括弧を付けて語っているのは理由があり、こうして組み合わせた記号が真の混植として新たに作成されたフォントとして出力される訳ではないが故の曰く付きであるという訳です。真なる混植とする場合、フォントの著作権の兼ね合いもあるでしょうし新たなフォントとして出力される可能性は少ないでしょうが、PDF出力で外部の出力センターに持ち込もうとする時は元のフォントが必要とされるので、AcrobatやIllustratorでアウトライン化させて持ち込んだ方が安全でありましょう。

 扨て、五分音変化記号の取扱いは厄介な物です。全音を5等分しているので、きっかり等分割する半音の位置は、別の等分音律で標榜される半音の位置を跨いでいる事になります。オクターヴ分割として全音階的半音を3分割する、という定義に則っているのですから、それは31EDOという音階での3単位音程高い音が全音階的半音に近似しているだけで、他の等分音律で標榜する所の半音とは微妙に異なる事となります。

 約言すると、12EDO(=十二等分平均律)での「ファ」の位置は「ド」を基準に500セントの位置に現れますが、31EDOでの「ファ」に相当する音は503.2258セントの位置に現れる事となります。これは、31等分律3単位音程が微妙に広くなっているからであります。

 五分音変化記号の体系としては1618年にファビオ・コロンナが嬰種記号で用いたのが最初であるのですが、先人のそうした先例を拝戴し、五分音変化記号の多くは嬰種記号のみで作られる事が多いです。勿論、変種の五分音記号を用意する作曲家も多数居るのですが、嬰種が優先されるのが五分音体系である訳です。

 例えば、IRCAMのOpenMusicで用いられる微分音変化記号 'omicron' フォントで用意される五分音記号も嬰種のみであり、ブライアン・ファーニホウが《Unity Capsule》で用いた五分音記号も嬰種のみであります。


 そういう訳でDoricoの利点を語って来ましたが、更にDoricoの凄い点を述べておく事にしましょう。次の臨時記号はHEJI2フォント(=拡張ヘルムホルツ゠エリス記号)を覗いている物で、「オクターブごとの分割」を見ていただければお判りになる様に、「12000」と分割されています(※Google Chrome推奨。リンクのサイト内 'JUST INTONATION AND MICROTONAL RESOURCES' をクリックするとHEJI2フォント類のダウンロードが可能)

HEJI2020.jpg


 つまりDoricoは、オクターブの分割数を任意に設定した数値に基づいて変化量が決まり、それに随伴して再生音が細やかに反映されるという事となります。オクターヴを12000に分割したという事は、セント量として小数点第1位まで編集しているという事を示しており、再生音が随伴するというという訳であります。

 HEJI2フォントの全音と全音階的半音の数値が「2040」と「900」という風にいびつな数値になっているのは、全音が「大全音」、半音が「半音階的大半音」が視野に入れられているからであります。

 こうしたフレキシブルなオクターヴ分割は、Native InsrumentsのReaktorに似ている所があり、IRCAM関連ソフトウェアおよび内含される規格に準ずるソフトウェア(AudioSculpture, OpenMusic, TS, TS2, SPEAR, Maxなど)が実装していたMIDI番号を更に100・1000分割する「MIDI cents」という指標にも十分に対応できる物であり、かなり拘った変化記号表記をユーザー自身が設計できる点は大いに評価できる点であろうと思われます。

 私の場合、Finaleでの楽譜編集というのはプレイバックなどどうでも良く、目に見える楽譜部分こそ細かく編集ができれば好いと思い今も使い続けています。とはいえ、Finaleが内蔵する音源Garritanの音色は、単声部で弾いてしまえば商業音楽に慣れ親しんでいる人からすれば貧弱な音に聴こえてしまうかもしれません。

 然し乍ら室内楽や交響曲をFinaleで写譜して動作させればお判りになるでしょうが、その人間味のあるまとまりが伝わる表現力は素晴らしい物で、Note Performerを使用すれば更に凄い事になるのですが、FinaleやSibeliusが内含する再生表現能力についてはDoricoは少々甘い所があるという印象です。

 唯、音高の変化量に応じて茲まで微に入り細を穿つ機能を備えているのはあらためて頭が下がる思いであります。

 抑もSMuFLが整備される前の音楽印刷に於ける微分音表記は手を焼いたものでした。Novemberフォントが先端を行く様な感じでありましたが、一般的に使用される楽譜浄書ソフトで使用されるフォントとはフォルムがあまりにも異なる為、とても「混植」として用いる様な気は起こらない物であり、FinaleのMaestroフォントのプロポーションに倣ってリリースされていたアンドリアン・パートゥー氏制作の 'Microtonal Notation' フォントは非常に役立った物でした。

 その裏で、Sibeliusが充実した微分音変化記号をフォント・グリフに備えており、音符の玉も変化記号も非常にバランス良くデザインされた 'Opus' フォントに魅了され、Finaleの操作性の難しさも相俟ってSibeliusを選ぶユーザーが増えて行ったのが21世紀に入って10年間位の事であったろうと思います。

 そうしてSMuFLフォントのアナウンスがされるや否や、私はSMuFL(Bravuraフォント)を用いた3冊の代表的な音楽書籍に遭遇する事になったのです。

 まず最初に遭遇したのが2013年にニコラ・ドニン、ローレン・フェニィルー著の『Théories de la composition musicale au XXe siècle(20世紀の作曲理論)』およびパスカーレ・クリトン女史が編纂するヴィシネグラツキーの『Libération du son Écrits 1916-1979』、(いずれもSymétrie刊)、2018年にヴィシネグラツキーの『Manual of Quarter-Tone Harmony』英訳版(Underwolf刊)だったのでありますが、Bravuraフォントは刊行物となるとWeb上とは異なり、かなり見栄えが好いフォントであるという事を知らされた物です。

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 Finaleでジョイント型の微分音変化記号を用いる場合、幾つかの方法はあるものの最も適切と思われるのが「発想記号ツール」つまりDoricoでは「音楽記号」を使ってレイアウトする必要があった物でした。こうする事で音符周りの何処を基準に配置するのか!? という風に座標を定義してレイアウトをして行くという編集で、実に骨の折れる作業ではあるのですが私は古くからのFinaleユーザーであり多くの編集コマンドに慣れているので苦にならなかったのであります。

 そうは言ってもHEWMノーテーションの様に幾つもの記号を横に併記して行くとなると、前後の音符のスペーシング或いはその音楽の音符の密度によってはスペーシングの確保が難しくなり、適宜音符を手作業で動かす必要もありました。

 例えば、3つのジョイント記号を横に併記する場合、最も符頭に近い記号は臨時記号としてカスタム編集するのですが、残り2つの記号は発想記号でそれぞれ配置しなくてはなりませんが、Finaleはこの発想記号に対してスペーシングを確保しようとはしない設計である為、ジョイントの数が多い状況且つ音符の音価が短く凝集している様な状況ではスペーシング確保の為の手作業が本当に骨が折れたという訳です。

 処がDoricoはジョイント記号でも1つの変化記号として登録できる為、スペーシングが随伴するのです。この作業の手軽さは一度味わったら止められない位に快適であり、これだけでもDoricoでの編集は相当魅力的になるのではないかと思います。

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 上掲の譜例を見ても、スペーシングの確保はお判りいただけるかと思いますが、これだけのジョイント記号をFinaleで編集するとなると、非常に骨の折れる作業となります。Finaleユーザーは基本的に、ソフト側が実装している「自動スペーシング」をオフにして編集に勤しむのでありますが、Doricoの場合はスペーシングはかなり柔軟であるという所も両者の決定的な違いがあろうかと思います。

 恐らく、MIDI2.0実装が本格化すれば、これらの機能は更に高まるであろうかと思われますし、SMuFLの更なる多様性に富んだ記号を新たに装備する様になると独壇場になるのではないかとも思います。また、Doricoは使用音楽フォントとしてSMuFLが基本となっていることもあり、SMuFL規格に則っているフォントは自動的にフォントメニューに表示される様になっております。

 これにより、早期の段階からSMuFLに対応していたNovemberも使えますし、ウジェル社の楽譜に似る「Tutti」フォントなども使えるという訳です。勿論、Finale Maestroも使用できます。が、しかし、なぜかEkmelosはフォント・メニューにも現れないばかりか、記号フォントとしてEkmelosを読み込んでもフォントが全く表示されない(ver 5.1.60現在)という状態ですので、Ekmelosを使う時は注意が必要です。

 私が今後のDorico(Bravuraフォント)に期待するのは、アロイス・ハーバの72EDO変化記号、ファーニホウの《Unity Capsule》に見られる五分音変化記号、IRCAM OpenMusic変化記号などに対応して欲しいと個人的には思っておりますが、Finale難民の方でDoricoをご存知無い方にとって今回の微分音編集が役立つ事を冀うばかりです。