IVEの「CRUSH」にみる日本語歌詞の乗せ方の衝撃
IVEの日本向けEPとして2024年8月28日発売を前にYouTubeにてMVが先行公開された訳ですが、兎にも角にも本曲の日本語歌詞の乗せ方の巧みさには大きな衝撃を受けた事で本記事では「CRUSH」について縷々個人的な感想を述べて行こうと思います。
日本語の歌詞についてはこちらのUta-NetでのURLリンクを参考にしていただきたいと思いますが、
本曲を耳にするに際して、歌詞を見ずに単純に《拍の強勢》に乗って聴こうとしてしまうと、リズムの弱勢に歌詞の一文の始まりがあるギミックが忍ばされる事に気付かずに、歌詞の全貌を上手く聴き取れない可能性が高くなってしまう程に本曲に於ける日本語の乗せ方は実に巧緻であると感服する事頻り。
扨て、日本語という言語はモーラで形成されている為、それはまるで原稿用紙のマス目に沿って書かれる様に母音が随伴する所に加え、こうしたモーラを更に強調させてしまうのが拍の《強勢》での文節の発生です。
拍子の概念に於ける《強勢》とは、各拍に於ける《拍頭》を意味します。拍子が四分音符を基準としているのであるならば、[1・2・3・4] という拍子での各拍の《拍頭》こそが《強勢》となります。この強勢ばかりを常に強調してしまうと、日本語が古くからのリズムを脱する事のないモーラという入れ子に沿って日本語が乗っているという状況であると言えます。
もしも「CRUSH」の日本語が強勢でのリズムを強く意識するモーラで形成された歌詞が乗ってしまっていたら、実に味気ない日本語のノリの様──それこそ三橋美智也が歌う様な盆踊り──にすら感じ取られてしまっていた事でしょう。
無論、盆踊りが悪いと言う意味はなく、寧ろIVE全員が浴衣姿で「CRUSH」を歌うIVEもそれはそれで映えていた事でしょうし、古くから親しまれやすいリズムに乗せられてIVEが歌ったとしても彼女達の一挙手一投足は常に注目されて評価されていた事でしょう。
然し乍ら本曲「CRUSH」旧態依然としたリズムに聴かせない洗練された日本語のリズムにこそ最大の魅力が詰まっていると私は断言できます。
しかもその洗練された日本語のリズムはさり気なく乗せられているという所にもあらためて驚かされるのであり、最早卑近な日本語には聴こえず、それこそ英語を聴かせるかの様なリズムで日本語が乗っている所にあらためて深い感動を覚えてしまうという訳です。
私自身、本曲が日本向けの楽曲だという事は最初に耳にする前から知ってはおりましたが、普段から使用している日本語感で本曲の歌詞を耳してしまうと却って面食らう程にリズムの乗せ方が研ぎ澄まされており、《これのどこが日本語なのだ!?》と思わせる位に巧みに歌詞が乗っているので、そこに大きな驚きと感動を覚えたという訳です。
普段の私の音楽の聴き方は、それが日本語であろうと外国語であろうと「歌詞」という部分は全くと言って好いほど記憶に残っておらず、注力しているのはメロディーの音高と抑揚の部分を99.9999%を占めるかの様に耳しているので、よっぽど印象的な楽曲でない限り歌詞を覚えるという事はなく、歌詞を覚える事に苦労が伴う位です。唯、歌詞を覚えておらずとも、メロディーの各音の音高および抑揚とメリスマなどは、歌詞部分を鋭く覚える人のメロディー認知よりも正確に記憶します。
演説などは言葉の意味そのものを注力しますし、会話に於てもきちんと言語として認識します(笑)。とはいえ、そうしたスピーチ部分がひとたび楽音の要素が高くして聴こえる様な所があると途端に「メロディー」の様にして脳内で音高の処理が優先されてしまう事もあり厄介な物です。そうなると、重要な言語部分の意味の捉え方が二の次になってしまうので、こうならない様に普段から注意して会話を耳にしています。
私にとって歌詞というのはそれくらいフィルタリングしてしまっている要素であるのですが、「CRUSH」の場合は《どういう日本語なのだ!?》という風に、日常の日本語とは異なる研ぎ澄まされたリズムが却って耳目の欲を惹かれてしまうという訳です。
私にとって日本語歌詞の音楽で革命的な人達というのは、
細野晴臣
井上陽水
桑田佳祐
LOVE PSYCHEDELICO
というアーティストの名を挙げる事が出来るのですが、本曲「CRUSH」の日本語の乗せ方はそれらに比肩する程の革新的な物であったと強く感じたのでありました。
恐らく韓国人制作スタッフ側が日本語を見ても、日本語のリズムのそれをいざ歌にした時の《ア、ソーレソレ》や《ドッコイショット》感は野暮ったく感ずるかと思います。子音の豊富さに加えて日本語よりも遥かに多様な発音がある(勿論、日本語に存在する音が韓国には存在しなかったりもするが)事で、少なくともリズム面に於てハングルのそれは日本語と比して非常に多彩なリズムを乗せやすい基盤があろうかと思います。
そこで、
日本語のリズムを解体する
↓
強勢を強く捉える事を意識しない
↓
弱勢をフレキシブルに捉える
↓
全体のリズムが日本語のシラブルを超えて柔軟に変化する
という事に繋がるという訳です。
楽曲のビートそのものはシャッフル(3連符が主体)構造である為、それを強勢で強調してしまえば野暮ったさが強調されるでありましょうが、これを弱勢にして多様なリズムへ変化させるという、本曲では歌詞の嵌当の側面だけでも十分な成功と言える物でありましょう。
扨て、本曲は4/4拍子のハ長調で、テンポは四分音符=117 という構造になっており、A・B・C(サビ)という3パターンという形式であります。本曲の工夫を感じるのは、各パターンは同一の《イチロクニーゴー》パターン(※Ⅱ - Ⅴ - Ⅰ - Ⅵである)であるにも拘らず、メロディー形成に工夫が見られ、同一のコード進行であっても区別が付く様にして作られている所にあると言えるでしょう。
通俗的に言われる《イチロクニーゴー》パターンとは、「Ⅲ - Ⅵ - Ⅱ - Ⅴ - Ⅰ」という進行の断片なのであり、ハ長調の音組織での「Ⅲ - Ⅵ - Ⅱ - Ⅴ - Ⅰ」は自ずと「Em7 - Am7 - Dm7- G7 - C△7」というコード表記となるのですが、和音構成音を見ればお判りになる様に、《先行するコードの根音を後続のコードの上音へ取り込む》という構造が見て取れます。
そうした後続和音の上音として先行和音の根音を取り込むという事は、「調」を確定的にし乍ら《カデンツ》という終止法を循環している構造となる為、こうした循環コードというのはメロディー形成の為のヒントにもなりやすく、それが本曲でも功を奏していると言えるでしょう。
本曲のコード・パターンは基本形として「Dm7 -> G7 -> C△7 -> Am9」でありますが、伴奏も各パターンで変化を持たせているので、Dm7上で11th音を生じたり、Am9からDm7へ進む前に経過和音として「F△7」を挟む箇所も生ずるものの、本曲コード進行の基本的なパターンとしては一定して「2-5-1-6」を徹頭徹尾貫くというコード進行が終始継続されます。
コード進行を使い回しているにも拘らず、Bパターンからサビの線運びは特に優れていると個人的に感じたので、その辺りは後ほど詳述したいと思うのですが、耳に残りやすく印象的にしようとする作り手の意図を感じ取る事ができます。
冒頭Aパターンにてウォニョンさんの歌う《今宵(こよい)》の [よ] にしても、日本語の [よ] よりも硬口蓋接近音がとても輪郭のある音で可愛らしさが強調されている様に聴こえます。ハングルだと [요] の発音に近くなるのでしょうが、女性らしさが出るであろう [や・ゆ・よ] の発音が、これだけ透明感が強調されるというのは彼女達が日本語を歌ったとしてもそれが武器になる事があらためて判ります。無論、IVEに限らずK-POPアーティストは武器に出来るのでありましょうが。
余談ではありますが、ウォニョンさんが歌う冒頭の箇所での《合図(eyes)》で掛かるリバーブ・テクニックは、スティーリー・ダンの「Black Cow」の埋込当該箇所(※ 'In the corner' の [ner] の部分)を思い起こさせるリバーブのテクニックでもあります。プリディレイとリバーブ・テールは長く、リバーブ本体はハイ・パス・フィルター(HPF)をかなり周波数を高めにスロープ・オフさせてバス送りにするというテクニックです。
何と言っても本曲の日本語の乗せ方が巧みと思わせる箇所は次のサビ直前からサビ頭にかけての、
《止めどなく夢中 You're my "CRUSH"》
の部分でありましょう。
《止めどなく》の [と] は、Bパターンの7小節目4拍目の3音目から連なるアウフタクトで歌われ、その流れで英語の [You're my "CRUSH'] まで及ばせるという訳です。
英語が関与しているのであるならば、巧みな日本語のリズムの乗せ方とする必要もないのでは!? と思われるかもしれませんが、これらの文節が巧みに繋がっており異和を感じさせない程に溶け込ませているのです。特に《止めどなく》の乗せ方とその後の繋げ方は巧みでありますが、この巧みさはメロディーの音程跳躍も一役買っているのです。
《止めどなく》の《と》と《め》の音程跳躍は言わずもがなオクターヴ跳躍となる訳ですが、オクターヴという広い音程跳躍は、高位にある側が強調される様に聴こえる物です。しかもその高位に現れる《め》はBパターン8小節目1拍目の《強勢・強拍》という状況に現れる訳ですから、言葉としてのアクセントは茲が強調される訳です。
ところが平時での《とめどなく》という音節は弱勢から開始される様に発音されるのではないので(※例えば「羅生門」の《ら》の発音は弱勢から開始される様に発音される)、平時とは異なるアクセントを生み、こうしたリズムの好い意味での叛き方が卑近な日本語の様に聴こえさせない要因のひとつにもなっているという訳です。
そうして続く《夢中》の《む》も弱勢から発音される様に置かれている為、強勢を妄りに強要する事ない円滑な発音の様に聴こえさせるという訳です。そこで今度はBパターンとCパターンを《You're my CRUSH》という拍節が跨いで英文へと繋がり、強勢を感じさせない日本語と英語の本来持つリズムが上手くパターンを跨ぎ、広い音程跳躍は更に歌詞部分は、言語本来のアクセントも背かれて相乗効果を得ているという訳です。
また、コード「Am9」上で見事に上音(=根音以外の和音構成音)を使った節回し(※同小節4拍目上声部の [f] 音は倚音ではあるのは注意)となり、和音の根音をあからさまに使用しない所も洒落た線運びとなっているのであります。
そうしてサビでの1小節目2拍目から《CRUSH》という風にメリスマ(一音節で異なる音高を歌う事)が採られている訳ですが、これもコード「Dm7」上に於て上声部は短前打音(装飾音符)の後に9th相当の [e] 音を歌っており、こうした上音を活かした線運びでメロディーが形成されているという訳です。
加えて、続くサビの《弾ける bubble》という音節は3つの1拍5連符に充てられており、各5連符は [2:3] というスウィング比で歌われているというのも本曲最大の特長とする部分でもありましょう。これらの5連符は決して3連符の [1:2] や2連符ではない所に、韓国語の多様なリズム感が備わっている事をあらためて思い知らされます。
また、2コーラス目でのAパターンでレイさんが歌い始める箇所では更に興味深い線運びとなっており、1コーラス目でのウォニョンさんのAパターンの節回しがハ長調での平行短調(イ短調)の様な節回しだった事を比較すれば十分に明るさを伴って変化を付けて来たフレージングなのですが、統一性を持たせていないというよりもレイさんには「ラップ担当」という事もあり、メロディー感を保ち乍らスピーチ感に寄せるメロディーの変化を付けさせているのであろうと読み取れます。
加えて、レイさんの歌い出しはコード「Dm7」上で [g] 音を強調して来ます。「ソ」の音ですね。これは和声的に「Dm7」上の11th音ですので、アッパー・ストラクチャー的に上音の中でも上音の、根音とはかなり縁遠い脈絡であるのですが、マイナー・コード上で奏される11th音というのは猛々しさが現れる様な世界観を齎す物です。直視こそしない物の堂々と歩く様な様と形容すれば好いでしょうか。根音を直視せずに、根音に準ずる近しい脈絡(=和音の第3・5音)からも遠い11th音という脈絡は、そうした猛々しさが宿る物です。
そうした猛々しさは、レイさんの優しい外見とは裏腹にIVEの圧倒する美を象徴する一人でもあり、ギャップのある外見と声が和声的な猛々しさも相俟って耳目を惹き付ける2ndコーラスとなって乙張りが現れているのであります。
マイナー11thサウンドで顕著な例を挙げるとするならば、チャカ・カーンの「I'm Every Woman」が代表的な例と言えるでしょう。
また、IVEの「ROYAL」のコーラス前での埋込当該箇所のコード「Fm9」の後に現れる2つ目のコードは「E♭m11」であり、歌詞の通り、彼女達の容貌の自信の表れがコードの響きでも能く反映されており、その猛々しさがあらためて実感できるかと思います。
加えて、その「Dm7」上で11th音を歌った直後には、歌詞の《焦る気持ちはまだ?》の《ワマダ》の部分は特徴的なトライコルド(3音列)となっており、音高をそれぞれ分析すると [es - f - g] (ミ♭ - ファ - ソ)と歌われており、「ミ♭」とは音階外(ノンダイアトニック)の音が歌われており、これは決してレイさんが音を外している訳でもないでしょう。この [es] (ミ♭)音が歌われた瞬間、旋法の構造としては《Cメロディック・マイナーの第2モード》に移旋しているという状況になるのです。
Cメロディック・マイナーという事は [ド・レ・ミ♭・ファ・ソ・ラ・シ・ド] という音組織ですので、ハ長調全音階と比較すると「ミ」から「ミ♭」へ変じただけの姿という訳でもあるのです。
また、茲で移旋を忍ばせるのは非常に興味深い状況となります。それは、背景にあるコードは「Dm7」または「Dm7(11)」という和声的状況である為、本来ならば九度音を包含する際は長九度の [e] 音が付されるに相応しい状況であるのですが、実際には「Dm7」上でアヴォイド・ノート相当となる [es] が歌われる事で、音楽的には「毒」の成分とも言える状況が発生しているのですが、これが毒性そのものを希釈して「苦味」程度に収まっている状況というのをもう少し詳らかに分析してみましょう。
先のレイさんが歌う [es] が苦味成分程度に希釈される理由は、歌詞の《ワマダ》と発音される3音が《全音音程の順次進行》となるトライコルドであるからです。全音音程を強行しているので、線的に全音音程を貫こうとしている強さが現れるのです。旋法や2音以上の音列が持つ《核音》について深く知りたい方は、柴田南雄著『音楽の骸骨のはなし』を参考にすると好いでしょう。コダーイやシュールベルク等の著書も参考になる事でしょう。
また、それら3音となるトライコルドは中心に [f] を備え、両端の音は《核音》という構造を持つ事になります。[f] 音の存在は、コード「Dm7」に包含される和音構成音として強化されており、《核音》は遊離的な状況である訳ですが、《全音音程の維持》という強行さを伴わせるトライコルドである為、核音の一方がたとえノンダイアトニックであろうとも、線的な強行性がそれを後押しして楽音全体の響きを毀損させない振る舞いをする物なのです。
今回の例で現れる [es] 音の存在は、アヴォイド・ノートが4拍目拍頭に現れる程度の事でありますが、核音を上手く取り扱うと、コードから類推されるアヴェイラブル・モード・スケールの範疇を超えた旋律形成を視野に入れる事ができるというのが最大の魅力になるのでありまして、例えば或る楽曲で和声法書法がメインで書かれている時に対位法書法が併存する様な状況の様な場合、和声的な秩序は通り越した脈絡の音が出現する事も珍しくありません。
レイさんが歌う先のトライコルドは、全音音程の順次進行が強化されている旋律形成であるので、拍頭にアヴォイド・ノートが出現しようとも、線的には全音音程の維持の方が強化される様に耳にされる物でもあるので、理論的にも特段問題の無い特殊な状況となる訳です。
例えばハ長調の曲をピアノで装飾的に「黒鍵グリッサンド」を用いようとしましょう。それらの黒鍵は全てハ長調音組織からは外れた音であるものの、ハ長調という楽曲に別の彩りを添えるのは間違いありません。しかも速いパッセージであれば黒鍵グリッサンドのそれが嬰ヘ長調のペンタトニック(アンヘミトニック)にも聴こえないでありましょう。
レイさんの歌うペンタコルドで音階外であるのは [es] のみです。これがハ長調全音階音組織に最も近似するのは「レ」or「ミ」でありますが、それらのどちらにも寄り付かずに全音音程を強行して「ファ」に進む事こそが線的強行であり、これは和声的な呪縛から解放された強い旋律形成なのであります。
また、[es] という音の脈絡を調的な因果関係で表そうとした場合、通常はドミナントの箇所(本曲であれば「G7」というコードの箇所)にて《オルタード・テンション》として現れる筈の脈絡であり、「G7」上での [es] という脈絡は「♭13th」という関係になるものの、既にお判りの様に、この [es] はドミナント上で現れているのではなくサブドミナントの代理「Dm7」上で生じている脈絡であるのです。
無論、後続和音が「G7」である為、「G7」でのオルタード・テンション出現の可能性をアンティシペーション(先取音)として用いているという解釈も可能となるのですが、本曲のドミナントの箇所のいずれを聴いてもオルタード・テンションを必要とする旋律形成は見当たらないので、ドミナント上での脈絡だと解釈しても逆にそうしたアンティシペーションの解釈は唐突になってしまうのです。
況してやドミナントの先行和音「Dm7」上で態々 [es] を用いたにも拘らず、肝心のドミナントではオルタード・テンション [es] を使わないという歪な状況として解釈する事になってしまう為、アンティシペーションという解釈は可能であるものの、本曲の場合もっと重視すべき解釈があり二の次にすべきであろうという風に私は分析するのです。
無論、「Dm7」というコード上でベース音も [d] 音を奏している。しかし、レイさんの歌い出しは [g] 音を歌っていたのであるから「G11」というコードの転回という見方をする事も可能です。実際に和声的状況はアルフレッド・デイの 'Treatise on Harmony' 時代の解釈に準えても「G11」の断片として解釈する事は可能です。
それであるが故に、「G11」の転回に見做しうる状況だからこそ [es] が生じても和声的な不都合は然程生じないという脈絡であるに過ぎない事を補強する理由ともなるでありましょう。
ですので、ドミナントの転回として解釈せずとも、ドミナントで生ずるオルタード・テンションを、ドミナント以外の和音(=副和音)で使う事を和声的な解釈で見立てても差し支えは無い状況なのでありますが、茲は《トライコルドの強行》=トライコルドに依るスーパーインポーズとして解釈した方が最も適切な解釈であろうかと思われます。
制作陣も能くレイさんに歌わせたであろうし、ピッチ編集をしようと思えば幾らでも可能であるそれを敢えてこうして聴かせるK-POP制作陣の音楽の深い捉え方に、没落するJ-POPとの違いをまざまざと感じるのであります。
サビの5連符にしても、さりげなく凄い事を忍ばせる。日本人にとっては馴染みの薄い5連符ですが、実は韓国というのは複雑な発音の言語体系(※無音アクセント=濃音というのもあります)とも相俟って、音楽リズムは非常に複雑な比率で奏される体系が民衆レベルで浸透しており、'Daeggan' や 'Jeonggan' と呼ばれる様な5連符や7連符を不均等に分割させるリズムが普及している事が知られています。
日本国内では柿沼敏江氏の朝鮮リズム研究に詳しいですが、そうした複雑なリズムをさらりとこなしてしまうのはIVEの「Off The Record」でも確認する事ができた物でした。
IVEのワールド・ツアーのリハーサル映像を確認すると、埋込当該箇所に於けるユジンさんは付点16分音符を活かした「3:3:2」構造(付点16分+付点16分+16分)で難なく歌い上げているのがお判りになるでしょう。
無論、「Off The Record」の埋込当該箇所のリズムは先述の5・7連符の不均等分割とは異なり、四分音符を不均等(=3:3:2)で分割しているという違いを確認する事が判ります。決して四分音符を均等に分割する3連符ではないのです。
今回の件を鑑みても、あらためて細部に拘りを見せているのがお判りになろうかと思います。実は凄い事を忍ばせている点にあらためて脱帽です。
日本語の歌詞についてはこちらのUta-NetでのURLリンクを参考にしていただきたいと思いますが、
本曲を耳にするに際して、歌詞を見ずに単純に《拍の強勢》に乗って聴こうとしてしまうと、リズムの弱勢に歌詞の一文の始まりがあるギミックが忍ばされる事に気付かずに、歌詞の全貌を上手く聴き取れない可能性が高くなってしまう程に本曲に於ける日本語の乗せ方は実に巧緻であると感服する事頻り。
扨て、日本語という言語はモーラで形成されている為、それはまるで原稿用紙のマス目に沿って書かれる様に母音が随伴する所に加え、こうしたモーラを更に強調させてしまうのが拍の《強勢》での文節の発生です。
拍子の概念に於ける《強勢》とは、各拍に於ける《拍頭》を意味します。拍子が四分音符を基準としているのであるならば、[1・2・3・4] という拍子での各拍の《拍頭》こそが《強勢》となります。この強勢ばかりを常に強調してしまうと、日本語が古くからのリズムを脱する事のないモーラという入れ子に沿って日本語が乗っているという状況であると言えます。
もしも「CRUSH」の日本語が強勢でのリズムを強く意識するモーラで形成された歌詞が乗ってしまっていたら、実に味気ない日本語のノリの様──それこそ三橋美智也が歌う様な盆踊り──にすら感じ取られてしまっていた事でしょう。
無論、盆踊りが悪いと言う意味はなく、寧ろIVE全員が浴衣姿で「CRUSH」を歌うIVEもそれはそれで映えていた事でしょうし、古くから親しまれやすいリズムに乗せられてIVEが歌ったとしても彼女達の一挙手一投足は常に注目されて評価されていた事でしょう。
然し乍ら本曲「CRUSH」旧態依然としたリズムに聴かせない洗練された日本語のリズムにこそ最大の魅力が詰まっていると私は断言できます。
しかもその洗練された日本語のリズムはさり気なく乗せられているという所にもあらためて驚かされるのであり、最早卑近な日本語には聴こえず、それこそ英語を聴かせるかの様なリズムで日本語が乗っている所にあらためて深い感動を覚えてしまうという訳です。
私自身、本曲が日本向けの楽曲だという事は最初に耳にする前から知ってはおりましたが、普段から使用している日本語感で本曲の歌詞を耳してしまうと却って面食らう程にリズムの乗せ方が研ぎ澄まされており、《これのどこが日本語なのだ!?》と思わせる位に巧みに歌詞が乗っているので、そこに大きな驚きと感動を覚えたという訳です。
普段の私の音楽の聴き方は、それが日本語であろうと外国語であろうと「歌詞」という部分は全くと言って好いほど記憶に残っておらず、注力しているのはメロディーの音高と抑揚の部分を99.9999%を占めるかの様に耳しているので、よっぽど印象的な楽曲でない限り歌詞を覚えるという事はなく、歌詞を覚える事に苦労が伴う位です。唯、歌詞を覚えておらずとも、メロディーの各音の音高および抑揚とメリスマなどは、歌詞部分を鋭く覚える人のメロディー認知よりも正確に記憶します。
演説などは言葉の意味そのものを注力しますし、会話に於てもきちんと言語として認識します(笑)。とはいえ、そうしたスピーチ部分がひとたび楽音の要素が高くして聴こえる様な所があると途端に「メロディー」の様にして脳内で音高の処理が優先されてしまう事もあり厄介な物です。そうなると、重要な言語部分の意味の捉え方が二の次になってしまうので、こうならない様に普段から注意して会話を耳にしています。
私にとって歌詞というのはそれくらいフィルタリングしてしまっている要素であるのですが、「CRUSH」の場合は《どういう日本語なのだ!?》という風に、日常の日本語とは異なる研ぎ澄まされたリズムが却って耳目の欲を惹かれてしまうという訳です。
私にとって日本語歌詞の音楽で革命的な人達というのは、
細野晴臣
井上陽水
桑田佳祐
LOVE PSYCHEDELICO
というアーティストの名を挙げる事が出来るのですが、本曲「CRUSH」の日本語の乗せ方はそれらに比肩する程の革新的な物であったと強く感じたのでありました。
恐らく韓国人制作スタッフ側が日本語を見ても、日本語のリズムのそれをいざ歌にした時の《ア、ソーレソレ》や《ドッコイショット》感は野暮ったく感ずるかと思います。子音の豊富さに加えて日本語よりも遥かに多様な発音がある(勿論、日本語に存在する音が韓国には存在しなかったりもするが)事で、少なくともリズム面に於てハングルのそれは日本語と比して非常に多彩なリズムを乗せやすい基盤があろうかと思います。
そこで、
日本語のリズムを解体する
↓
強勢を強く捉える事を意識しない
↓
弱勢をフレキシブルに捉える
↓
全体のリズムが日本語のシラブルを超えて柔軟に変化する
という事に繋がるという訳です。
楽曲のビートそのものはシャッフル(3連符が主体)構造である為、それを強勢で強調してしまえば野暮ったさが強調されるでありましょうが、これを弱勢にして多様なリズムへ変化させるという、本曲では歌詞の嵌当の側面だけでも十分な成功と言える物でありましょう。
扨て、本曲は4/4拍子のハ長調で、テンポは四分音符=117 という構造になっており、A・B・C(サビ)という3パターンという形式であります。本曲の工夫を感じるのは、各パターンは同一の《イチロクニーゴー》パターン(※Ⅱ - Ⅴ - Ⅰ - Ⅵである)であるにも拘らず、メロディー形成に工夫が見られ、同一のコード進行であっても区別が付く様にして作られている所にあると言えるでしょう。
通俗的に言われる《イチロクニーゴー》パターンとは、「Ⅲ - Ⅵ - Ⅱ - Ⅴ - Ⅰ」という進行の断片なのであり、ハ長調の音組織での「Ⅲ - Ⅵ - Ⅱ - Ⅴ - Ⅰ」は自ずと「Em7 - Am7 - Dm7- G7 - C△7」というコード表記となるのですが、和音構成音を見ればお判りになる様に、《先行するコードの根音を後続のコードの上音へ取り込む》という構造が見て取れます。
そうした後続和音の上音として先行和音の根音を取り込むという事は、「調」を確定的にし乍ら《カデンツ》という終止法を循環している構造となる為、こうした循環コードというのはメロディー形成の為のヒントにもなりやすく、それが本曲でも功を奏していると言えるでしょう。
本曲のコード・パターンは基本形として「Dm7 -> G7 -> C△7 -> Am9」でありますが、伴奏も各パターンで変化を持たせているので、Dm7上で11th音を生じたり、Am9からDm7へ進む前に経過和音として「F△7」を挟む箇所も生ずるものの、本曲コード進行の基本的なパターンとしては一定して「2-5-1-6」を徹頭徹尾貫くというコード進行が終始継続されます。
コード進行を使い回しているにも拘らず、Bパターンからサビの線運びは特に優れていると個人的に感じたので、その辺りは後ほど詳述したいと思うのですが、耳に残りやすく印象的にしようとする作り手の意図を感じ取る事ができます。
冒頭Aパターンにてウォニョンさんの歌う《今宵(こよい)》の [よ] にしても、日本語の [よ] よりも硬口蓋接近音がとても輪郭のある音で可愛らしさが強調されている様に聴こえます。ハングルだと [요] の発音に近くなるのでしょうが、女性らしさが出るであろう [や・ゆ・よ] の発音が、これだけ透明感が強調されるというのは彼女達が日本語を歌ったとしてもそれが武器になる事があらためて判ります。無論、IVEに限らずK-POPアーティストは武器に出来るのでありましょうが。
余談ではありますが、ウォニョンさんが歌う冒頭の箇所での《合図(eyes)》で掛かるリバーブ・テクニックは、スティーリー・ダンの「Black Cow」の埋込当該箇所(※ 'In the corner' の [ner] の部分)を思い起こさせるリバーブのテクニックでもあります。プリディレイとリバーブ・テールは長く、リバーブ本体はハイ・パス・フィルター(HPF)をかなり周波数を高めにスロープ・オフさせてバス送りにするというテクニックです。
何と言っても本曲の日本語の乗せ方が巧みと思わせる箇所は次のサビ直前からサビ頭にかけての、
《止めどなく夢中 You're my "CRUSH"》
の部分でありましょう。
《止めどなく》の [と] は、Bパターンの7小節目4拍目の3音目から連なるアウフタクトで歌われ、その流れで英語の [You're my "CRUSH'] まで及ばせるという訳です。
英語が関与しているのであるならば、巧みな日本語のリズムの乗せ方とする必要もないのでは!? と思われるかもしれませんが、これらの文節が巧みに繋がっており異和を感じさせない程に溶け込ませているのです。特に《止めどなく》の乗せ方とその後の繋げ方は巧みでありますが、この巧みさはメロディーの音程跳躍も一役買っているのです。
《止めどなく》の《と》と《め》の音程跳躍は言わずもがなオクターヴ跳躍となる訳ですが、オクターヴという広い音程跳躍は、高位にある側が強調される様に聴こえる物です。しかもその高位に現れる《め》はBパターン8小節目1拍目の《強勢・強拍》という状況に現れる訳ですから、言葉としてのアクセントは茲が強調される訳です。
ところが平時での《とめどなく》という音節は弱勢から開始される様に発音されるのではないので(※例えば「羅生門」の《ら》の発音は弱勢から開始される様に発音される)、平時とは異なるアクセントを生み、こうしたリズムの好い意味での叛き方が卑近な日本語の様に聴こえさせない要因のひとつにもなっているという訳です。
そうして続く《夢中》の《む》も弱勢から発音される様に置かれている為、強勢を妄りに強要する事ない円滑な発音の様に聴こえさせるという訳です。そこで今度はBパターンとCパターンを《You're my CRUSH》という拍節が跨いで英文へと繋がり、強勢を感じさせない日本語と英語の本来持つリズムが上手くパターンを跨ぎ、広い音程跳躍は更に歌詞部分は、言語本来のアクセントも背かれて相乗効果を得ているという訳です。
また、コード「Am9」上で見事に上音(=根音以外の和音構成音)を使った節回し(※同小節4拍目上声部の [f] 音は倚音ではあるのは注意)となり、和音の根音をあからさまに使用しない所も洒落た線運びとなっているのであります。
そうしてサビでの1小節目2拍目から《CRUSH》という風にメリスマ(一音節で異なる音高を歌う事)が採られている訳ですが、これもコード「Dm7」上に於て上声部は短前打音(装飾音符)の後に9th相当の [e] 音を歌っており、こうした上音を活かした線運びでメロディーが形成されているという訳です。
加えて、続くサビの《弾ける bubble》という音節は3つの1拍5連符に充てられており、各5連符は [2:3] というスウィング比で歌われているというのも本曲最大の特長とする部分でもありましょう。これらの5連符は決して3連符の [1:2] や2連符ではない所に、韓国語の多様なリズム感が備わっている事をあらためて思い知らされます。
また、2コーラス目でのAパターンでレイさんが歌い始める箇所では更に興味深い線運びとなっており、1コーラス目でのウォニョンさんのAパターンの節回しがハ長調での平行短調(イ短調)の様な節回しだった事を比較すれば十分に明るさを伴って変化を付けて来たフレージングなのですが、統一性を持たせていないというよりもレイさんには「ラップ担当」という事もあり、メロディー感を保ち乍らスピーチ感に寄せるメロディーの変化を付けさせているのであろうと読み取れます。
加えて、レイさんの歌い出しはコード「Dm7」上で [g] 音を強調して来ます。「ソ」の音ですね。これは和声的に「Dm7」上の11th音ですので、アッパー・ストラクチャー的に上音の中でも上音の、根音とはかなり縁遠い脈絡であるのですが、マイナー・コード上で奏される11th音というのは猛々しさが現れる様な世界観を齎す物です。直視こそしない物の堂々と歩く様な様と形容すれば好いでしょうか。根音を直視せずに、根音に準ずる近しい脈絡(=和音の第3・5音)からも遠い11th音という脈絡は、そうした猛々しさが宿る物です。
そうした猛々しさは、レイさんの優しい外見とは裏腹にIVEの圧倒する美を象徴する一人でもあり、ギャップのある外見と声が和声的な猛々しさも相俟って耳目を惹き付ける2ndコーラスとなって乙張りが現れているのであります。
マイナー11thサウンドで顕著な例を挙げるとするならば、チャカ・カーンの「I'm Every Woman」が代表的な例と言えるでしょう。
また、IVEの「ROYAL」のコーラス前での埋込当該箇所のコード「Fm9」の後に現れる2つ目のコードは「E♭m11」であり、歌詞の通り、彼女達の容貌の自信の表れがコードの響きでも能く反映されており、その猛々しさがあらためて実感できるかと思います。
加えて、その「Dm7」上で11th音を歌った直後には、歌詞の《焦る気持ちはまだ?》の《ワマダ》の部分は特徴的なトライコルド(3音列)となっており、音高をそれぞれ分析すると [es - f - g] (ミ♭ - ファ - ソ)と歌われており、「ミ♭」とは音階外(ノンダイアトニック)の音が歌われており、これは決してレイさんが音を外している訳でもないでしょう。この [es] (ミ♭)音が歌われた瞬間、旋法の構造としては《Cメロディック・マイナーの第2モード》に移旋しているという状況になるのです。
Cメロディック・マイナーという事は [ド・レ・ミ♭・ファ・ソ・ラ・シ・ド] という音組織ですので、ハ長調全音階と比較すると「ミ」から「ミ♭」へ変じただけの姿という訳でもあるのです。
また、茲で移旋を忍ばせるのは非常に興味深い状況となります。それは、背景にあるコードは「Dm7」または「Dm7(11)」という和声的状況である為、本来ならば九度音を包含する際は長九度の [e] 音が付されるに相応しい状況であるのですが、実際には「Dm7」上でアヴォイド・ノート相当となる [es] が歌われる事で、音楽的には「毒」の成分とも言える状況が発生しているのですが、これが毒性そのものを希釈して「苦味」程度に収まっている状況というのをもう少し詳らかに分析してみましょう。
先のレイさんが歌う [es] が苦味成分程度に希釈される理由は、歌詞の《ワマダ》と発音される3音が《全音音程の順次進行》となるトライコルドであるからです。全音音程を強行しているので、線的に全音音程を貫こうとしている強さが現れるのです。旋法や2音以上の音列が持つ《核音》について深く知りたい方は、柴田南雄著『音楽の骸骨のはなし』を参考にすると好いでしょう。コダーイやシュールベルク等の著書も参考になる事でしょう。
また、それら3音となるトライコルドは中心に [f] を備え、両端の音は《核音》という構造を持つ事になります。[f] 音の存在は、コード「Dm7」に包含される和音構成音として強化されており、《核音》は遊離的な状況である訳ですが、《全音音程の維持》という強行さを伴わせるトライコルドである為、核音の一方がたとえノンダイアトニックであろうとも、線的な強行性がそれを後押しして楽音全体の響きを毀損させない振る舞いをする物なのです。
今回の例で現れる [es] 音の存在は、アヴォイド・ノートが4拍目拍頭に現れる程度の事でありますが、核音を上手く取り扱うと、コードから類推されるアヴェイラブル・モード・スケールの範疇を超えた旋律形成を視野に入れる事ができるというのが最大の魅力になるのでありまして、例えば或る楽曲で和声法書法がメインで書かれている時に対位法書法が併存する様な状況の様な場合、和声的な秩序は通り越した脈絡の音が出現する事も珍しくありません。
レイさんが歌う先のトライコルドは、全音音程の順次進行が強化されている旋律形成であるので、拍頭にアヴォイド・ノートが出現しようとも、線的には全音音程の維持の方が強化される様に耳にされる物でもあるので、理論的にも特段問題の無い特殊な状況となる訳です。
例えばハ長調の曲をピアノで装飾的に「黒鍵グリッサンド」を用いようとしましょう。それらの黒鍵は全てハ長調音組織からは外れた音であるものの、ハ長調という楽曲に別の彩りを添えるのは間違いありません。しかも速いパッセージであれば黒鍵グリッサンドのそれが嬰ヘ長調のペンタトニック(アンヘミトニック)にも聴こえないでありましょう。
レイさんの歌うペンタコルドで音階外であるのは [es] のみです。これがハ長調全音階音組織に最も近似するのは「レ」or「ミ」でありますが、それらのどちらにも寄り付かずに全音音程を強行して「ファ」に進む事こそが線的強行であり、これは和声的な呪縛から解放された強い旋律形成なのであります。
また、[es] という音の脈絡を調的な因果関係で表そうとした場合、通常はドミナントの箇所(本曲であれば「G7」というコードの箇所)にて《オルタード・テンション》として現れる筈の脈絡であり、「G7」上での [es] という脈絡は「♭13th」という関係になるものの、既にお判りの様に、この [es] はドミナント上で現れているのではなくサブドミナントの代理「Dm7」上で生じている脈絡であるのです。
無論、後続和音が「G7」である為、「G7」でのオルタード・テンション出現の可能性をアンティシペーション(先取音)として用いているという解釈も可能となるのですが、本曲のドミナントの箇所のいずれを聴いてもオルタード・テンションを必要とする旋律形成は見当たらないので、ドミナント上での脈絡だと解釈しても逆にそうしたアンティシペーションの解釈は唐突になってしまうのです。
況してやドミナントの先行和音「Dm7」上で態々 [es] を用いたにも拘らず、肝心のドミナントではオルタード・テンション [es] を使わないという歪な状況として解釈する事になってしまう為、アンティシペーションという解釈は可能であるものの、本曲の場合もっと重視すべき解釈があり二の次にすべきであろうという風に私は分析するのです。
無論、「Dm7」というコード上でベース音も [d] 音を奏している。しかし、レイさんの歌い出しは [g] 音を歌っていたのであるから「G11」というコードの転回という見方をする事も可能です。実際に和声的状況はアルフレッド・デイの 'Treatise on Harmony' 時代の解釈に準えても「G11」の断片として解釈する事は可能です。
それであるが故に、「G11」の転回に見做しうる状況だからこそ [es] が生じても和声的な不都合は然程生じないという脈絡であるに過ぎない事を補強する理由ともなるでありましょう。
ですので、ドミナントの転回として解釈せずとも、ドミナントで生ずるオルタード・テンションを、ドミナント以外の和音(=副和音)で使う事を和声的な解釈で見立てても差し支えは無い状況なのでありますが、茲は《トライコルドの強行》=トライコルドに依るスーパーインポーズとして解釈した方が最も適切な解釈であろうかと思われます。
制作陣も能くレイさんに歌わせたであろうし、ピッチ編集をしようと思えば幾らでも可能であるそれを敢えてこうして聴かせるK-POP制作陣の音楽の深い捉え方に、没落するJ-POPとの違いをまざまざと感じるのであります。
サビの5連符にしても、さりげなく凄い事を忍ばせる。日本人にとっては馴染みの薄い5連符ですが、実は韓国というのは複雑な発音の言語体系(※無音アクセント=濃音というのもあります)とも相俟って、音楽リズムは非常に複雑な比率で奏される体系が民衆レベルで浸透しており、'Daeggan' や 'Jeonggan' と呼ばれる様な5連符や7連符を不均等に分割させるリズムが普及している事が知られています。
日本国内では柿沼敏江氏の朝鮮リズム研究に詳しいですが、そうした複雑なリズムをさらりとこなしてしまうのはIVEの「Off The Record」でも確認する事ができた物でした。
IVEのワールド・ツアーのリハーサル映像を確認すると、埋込当該箇所に於けるユジンさんは付点16分音符を活かした「3:3:2」構造(付点16分+付点16分+16分)で難なく歌い上げているのがお判りになるでしょう。
無論、「Off The Record」の埋込当該箇所のリズムは先述の5・7連符の不均等分割とは異なり、四分音符を不均等(=3:3:2)で分割しているという違いを確認する事が判ります。決して四分音符を均等に分割する3連符ではないのです。
今回の件を鑑みても、あらためて細部に拘りを見せているのがお判りになろうかと思います。実は凄い事を忍ばせている点にあらためて脱帽です。