Finaleの終焉─楽譜制作の敗衄─

 厭な報せは唐突なばかりに訪れる物ですが、今回の報せというのは《楽譜制作ソフトの雄「Finale」の開発終了》という物であり、これは寝耳に水でした。まあ、遅々として変わり映えしないアップデートに痺れを切らしていたので《もしや!?》とも思っていたのですが、まさか開発中止に追い込まれる様になるとは思いも因らない出来事でありました。次の公式表明を参照。

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 思えば1991年。私のシーケンス・ソフトはNortatorであったのですが、それまで使用していたATARI 1040ST本体のドングルは接触不良を頻発する様になり嫌気が刺した私はMac Ⅱciを導入し、Performer 3.61およびFinale 2.61やらを買い揃えてMacユーザーとなったのでありますが、その後PowerBook 140も入手して、Finaleの編集をPowerBookでチマチマと行うという作業がなんとも心地良く、1日24時間しかない時を隙間なく使える位の利便性向上を感じ取っていたものであります。

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 事前知識に疎かった私はレーザープリンタにたった300×300dpiのApple Personal Laser Writer(248,000円)を購入するも、楽譜のスラーやタイはドロー曲線である為、非PostScriptプリンタではジャギーが発生してしまうという事態に遭遇。

 そこでPostScript情報をソフトウェア・ラスタライズで展開可能なT-Scriptという6万円近かったソフトを導入するも、A4用紙1枚の楽譜をRS-232Cを通じて出力するに要する時間は1枚3時間以上。

 こちとらⅡciに32MBのRAMのApple標準のRAMキャッシュをドーターボードに積んだ環境でもそれでしたので、渋々追加投資でA3ノビのOKIのMICROLINEを購入する事に至った事を思い出しましたが、PostScriptのストレスの無い出力とIllustratorとQuark XPressとの併用の環境を手にすると、《これはもう、二度とMac無しの環境には戻れないな》とつくづく痛感し乍ら充実した制作環境を手にしていた物でした。

 そうしてWindows95が発売され、一般的に爆発的な普及となったのはWindows 98SE位の事だったかと思います。CD-Rのカジュアル・コピー、インターネットのテレホーダイなどADSL環境が徐々に整備されて来るという中で、パーソナル・コンピュータの使用感やらは完全にWindowsユーザーが覇権を握る様になった物でありました。

 奇しくもFinaleというソフトの操作性は昔から雑多であり、多くのコマンドをMac OSの備える(指示する)ソフトの一義的な示し方では網羅できない物でした。故に、ペイン(編集窓)内に複数のコマンドを用意してチェックマークを入れたりする様なコマンドが所狭しと用意された設計になっていた訳ですが、MacのGUIに慣れているとそのコマンド群は実に雑多で整備されていない様に感じ取れた物です。

 思えばExcelのMac版(Excel 4.0辺りだったか)も1つのペイン内で多くのコマンドを集めてタブを用意するインターフェースを導入していた物でしたが、FinaleがWindows95登場となるとすかさずWindows版リリースに対応した様に、確かにFinaleのGUIはWindowsの方がマッチしていたでありましょう。それゆえに、WindowsユーザーのフィードバックでMacユーザーが新たな恩恵を受けるかの様なバージョン・アップがあったかと思います。

※NeXT時代のディスプレイPostScriptの様な恩恵がMacで真価を発揮する様になったのは、MacがOS Xとなり描画形式としてPDF-Xを採用する様になってからであると言えるでしょう。勿論ドロー系のソフトやDTPソフトなど、Classic OSのMacでもPostScript自体は取扱えておりましたが、描画自体のスムージングという点ではまだまだ改善の余地がある時代(無論Windowsは論外)。QuickDrawGXの実現すら怪しまれる中、OS Xの描画形式は方々で歓迎された訳でした。とはいえ、PostScriptのライセンス使用料の低下に貢献したのはWindowsユーザーの絶対数の多さであり、これがMacユーザーも恩恵を受ける事に繋がったという訳です。

 FinaleではWindows2000の頃ですらもPostScriptのOSレベルのサポートすら不十分であったにも拘らず、楽譜のカジュアル・ユースに阿りユーザー獲得に奔走したツケが今になって仇となってしまったのでありましょうが、嘗てのDTPソフトの雄Quark XPressとて、Adobe(アドビ)が買収したAldus(アルダス)のPageMakerを基にInDesignを作り、PhotoshopとIllustratorとの連携の高さも相俟ってあれよあれよと言う間にシェアは奪われ根絶やしにされたQXの姿に、今回のFinale開発終了の姿を投影してしまうのであります。

 Finaleは実質的にバージョン2007で終わっていたであろうと思います。先のFinaleの公式アナウンスが赤裸々に語っている様に、変わり映えの無いバージョン・アップで楽譜制作を繋ぎ止めていた事を反省してDoricoに譲ったというのは体の良い言葉に過ぎず、実質的には事業もままならなくなりDoricoに衷情を受諾してもらわざるを得なくなっていたのではなかろうかと思います。

 それは、FinaleユーザーのDoricoへの移行の価格が149ドルと決して安くは無い所にも現れており、だいぶ足許を見られた対応であろうと痛感せざるを得ません。何よりDoricoは数年前に、Finaleユーザー対象に3万円を下回る額で販売していた事を思えば、決して安くは無い《救済策》であり、Finale開発陣は《往時渺茫として都て夢に似たり》という言葉を実感しているのではなかろうかと思います。

 今を思えば、旧社名の「Coda Music Software」で本当にCodaを迎えてしまうとはなあと笑うに笑えない事態に、私の方が《今後どうしようかなあ》と、これまでのFinaleの知識をDoricoに反映させる事ができるのだろうか!? と些か不安を抱いている次第です。

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 何も、写研フォントが秋からリリースされるという2024年にFinale開発終了の報せを耳にしなくてもよかろうに、と。充実した楽譜出版の恩恵を味わい乍ら制作に勤しみたいとつくづく思うのですが、何と言う皮肉でありましょうか。況してやMacで一番長く使い続けたソフトである為に、非常に忸怩たる思いであります。

 現在アクティベートされているFinaleはそのまま使える様ではありますが、1年後には再インストールの為のアクティベーションも出来なくなるという事なので、遅かれ早かれFinaleユーザーはDoricoの移行をせざるを得なくなるでしょう。

 10年位前でしたらSibeliusが覇権を奪ったでありましょうが、そのSibeliusも一悶着あって当時の開発陣の多くがSteinbergへ移りDoricoを作ったという流れがあります。Sibeliusも以前の様な勢いを失い、Finaleの覆轍を踏むかの様に小出しのアップデートやサブスクプランで実質的な延命治療となっている事を思えば、今後の楽譜制作市場はDoricoの寡占状態になるであろうなとも思う事頻りです。

 扨て、Doricoの強みは何と言ってもSMuFL整備に一役買っていた訳であり、私の過去のブログ記事でもSMuFL対応により出版されたヴィシネグラツキーの書籍類に触れる事が出来た訳でありますが、現状のDoricoで最も強いと思われるのは《面付け》のフレキシビリティーの高さにあると言えましょう。印刷物出力の現場を能く熟知しているであろうと思います。

 今後Doricoに望む機能強化は次の通りです。

●スラーなどのフレキシブルなカリグラフィー曲線描画の対応(※一部対応済み Illustratorの場合、任意のパス上でカットすると互いの連結部が細くなる)
●iPadおよびApple Pencilの対応強化
●閉螺旋・開螺旋・環状・弧状楽譜への対応
●IRCAM OpenMusic用の変化記号 'omicron' との連携および対応強化
●MIDI2.0対応に伴うn等分&不等分音律、各微分音への音源の自動対応
●外字機能(ユーザー任意のフォントデザイン&作成 ※既存フォントへの混植は不可)

 思えば音楽之友社から刊行されて来ている『Finale User's Bible(フィナーレ・ユーザーズ・バイブル)』という書籍は、星出尚志・五木悠・神尾立秋・黒川圭一(敬称略)等の尽力によりFinaleの究極のマニュアル本として君臨して来ていましたが、これが単なるマニュアル本という存在に収まらずに君臨して来た最大の理由は《ソフトの急所を突いて実現させる》という点に立脚して解説しているので、万人が操作を楽にしたい or 作業工数を減らしたいなどという容易い状況を実現させる程度の物ではなく、出版物と同等の楽譜編集を企図する際に看過したくはない諸問題を解決するという目的で書かれている所が素晴らしい物であるのです。今後増えるであろうDoricoのマニュアル本・解説本というのもDoricoの急所を捉えた問題提起に則って出版してほしいと思わんばかり。

 ライバルを蹴落としたDoricoが今後どれだけ柔軟にユーザーの声を実現させるかは未知数ではありますが、現状に甘んじる事なく機能を充実させていって欲しいと願わんばかり。これはSteingerg社のみならず、母体のヤマハに強く嗾けるべきでもありましょう。

 何はともあれ、Finaleには長い事お世話になり飯を食わせていただきました。貴方達の努力はDoricoに引き継がれ、記譜の世界は今後も発展を続けて行く事でしょう。Finaleよ、さらば。