マイナー・コード上でのアウトサイド・アプローチについて
以前にも《短和音上でのアウトサイド・アプローチ》にまつわる様な事は述べましたが、今回はあらためて、クロマティック・メディアント的に一時的な転調の介在という状況でアウトサイドという状況を見るという説明をして行こうと思います。
今回は譜例動画用のデモをYouTubeにアップした事もあり、その譜例動画と併せて確認し乍ら以下に説明して行く事に。
扨て《アウトサイド》という状況というのは端的に言うと《原調の音階外》という世界観であり、今回はこれが大前提となる訳です。《原調の音階外》という「原調」とは、長調・短調以外にも、主軸とする旋法(モード)を固守する状況であればそれもまた「原調」のひとつなのであり、そのモードはグレゴリアン・モード以外のモードも勿論含まれる訳であり、《想起し得るモードの音階外》の世界が原調とは異なる音の選択という事となります。
その原調を示唆する物が今回は《マイナー・コード上》であるというだけに過ぎません。然し乍ら、ドミナント7thコードを利用して、そのコードの性質を利用しながらオルタード・テンションを用いる方がクロマティック的要素としては非常に容易に導引可能となる訳ですが、基となるコードが属和音以外の《副和音》となると途端に取扱いが難しくなる物です。
本来は《調》という世界観はトニック、サブドミナント、ドミナントという3つの和音諸機能を経由して一巡する循環構造(=カデンツ、それは終止法である)があって《調》は確定する訳ですが、調よりも支配が薄い旋法の場合、なるべく属和音の出現を回避して2コード循環のタイプに仕立て上げる事がより旋法的になります。
例えば、C△・F△・G7を利用するとこれら3つの三和音はハ長調を示唆するのですが、これらが《調》を示唆するのは各和音の構成音が次の様に、
1・3・5─(C△)
4・6・1─(F△)
5・7・2・4─(G7)
という風にして [1・2・3・4・5・6・7] と成す《全音階》を3種のコードを使い乍ら、《先行和音の根音を後続和音の上音に取り込む》事で「循環」が発生する訳であり、これがカデンツなのです。
モーダルな楽曲の場合でのコード進行は、その全音階が包含する属七を回避させ乍らプライマリおよびセカンダリの2種に分ける物でありまして、その狙いは《調》よりも因果関係の弱い《旋法》の性格を最大限に発揮する為に準備される《2コードへの分類》という作業が必要になるという訳であります。
勿論、モーダルな楽曲の性格を表す為には2コード循環が必須という物ではなく、ワンコードで済ませてしまう場合もあります。但し、その際に重要な1コードの姿は《副十三和音》という風に、ドミナント13thではない副和音の十三和音の姿を強く意識する必要が生ずる訳です。
とはいえマイナー・コードで13thコードを示唆するとなると、その13thは本位十三度(=♮13th)を自ずと呼び込む事となります。
何故かと言うと、転回還元位置で見た場合、5thの半音上に♭6thがあるとすると自ずとそれがアヴォイドを形成するからであり、アヴォイド回避の為にはⅥ度は自ずと♮6thを要求され、七度音の包含が同時に6thを13thにするという和音構造から読み取るモードがナチュラル・マイナーなのではなくドリアンを示唆する事になるという訳です。
とはいえ、ドリアン・モードを示唆してもドリアンのヘプタトニック(7音)を全て使う「ドリアン・トータル」という副十三和音を形成した場合、自ずとそのマイナー・コードの第3音と第13音との音程は《三全音》を包含するので、三全音の包含は結果的に姿を変えた(=根音が異なるだけの)ドミナント13thとなる(※Dm13は、根音が違うだけのG13の第2転回形であり、和音構成音は同じ)ので、和音の取扱いが難しいとされる物です。が、しかし。
今回語っておきたいのは、コードとしてあからさまにマイナー13thコードを用いるのではなく、あくまでも《想起》の範疇で13thコードを視野に入れつつ使用するコードはマイナー9thやマイナー11thに留めているという訳です。そこで、ソロを執るインプロヴァイズ用のフレーズとして13thコードを視野に入れながら、原調をも跳び越すアウトサイドな音を選択するという事を念頭に置いたフレージングを散りばめた物となっているのです。
ジャズ・アプローチに於てマイナー・コードでは基本的にドリアンを使う事が非常に多いのは、調的に見れば「Dm13」であろうと「Dm11(♭13)」であろうと、これらの13thコードはどちらを使おうともアヴォイドを有する(※前者は5thと♭6th、後者は3rdと13th、但し9thと♭3rdは上下の主従関係が逆なのでアヴォイドではなく、その場合♭3rdと9thの長七度と捉えるべき)とは雖も、♭6thが5thへの下行導音(わざと長七度跳躍させるのもジャズ的ではあるが)の作用が強く、しかも5th音という強大な牽引力は、フレージング的にも卑近な物にしてしまうケースが往々にして起きるからであります。
そうした意味から、マイナー・コードの5th音よりも更に上方にある《上音の世界》= [7・9・11・13] 度の世界でフレージングした方がより高次な響きを演出しやすいという事となります。尚、余談ではありますが《上音》とは根音以外の和音構成音および基本音以外の上方倍音列でも呼ばれる音なのであり、上音が5th音より上の音という意味ではありませんので、前述の《上音の世界》というのは上音の中でも更なる上方の世界という意味ですので混同されぬ様ご理解願いたい所です。
マイナー・コードをドリアンと捉える事がジャズ・アプローチでは一般的ではあるものの、私はドリアンを示唆する♮6thを使う事を基本にしてはおりますが、♭6thも織り交ぜたクロマティック・アプローチも採っているので、一概にドリアン・モードという風に括る事はできません。それというのも、クロマティックという状況を凡ゆるシーンで想定した時、ドリアンの特性音は三全音に靡こうとする、♭6thは5thに靡こうとする訳です。
では、《半音階的音列と耳にする一連のフレーズはどこに重きを置けば調に靡かずに済むのか!?》という事を常に念頭に置いた時、少なくともインプロヴァイザーは原調の三全音調域が常に併存している様に捉えている必要があろうと思います。若しくは中心軸システムでも好いでしょう。
アーサー・イーグルフィールド・ハルが『近代和声の説明と応用』にて、マイナー・コード上で「♯11th音」を生ずる完全和音(※三度音程に依る堆積で充填される和音の事.add9は完全和音ではない)が紹介されますが、この「♯11th音」の存在は勿論、完全五度音を含んだ上での上音に備わる音なので、ハーフ・ディミニッシュの様な減五度(♭5th音)と同一視してはならない脈絡であるのですが、その示唆は「複調」であるという事です。
例えば「Cm9(♯11)」という特殊なコードがあったとしましょう。[ド・ミ♭・ソ・シ♭・レ・ファ♯] という構造です。このコードの基本部分はCmである事は勿論ですが、五度音からの堆積構造を見ると「Gm△7」が併存している事が判ります。つまり、そのマイナー・メジャーというコードを、他のモード(=Gメロディック・マイナー・モード)の併存を見出す事も可能なのであり、特殊なコードを形成している和音構成音が別の脈絡を引っ張って来ているという風に解釈する事が可能なのです。
そうして根音との三全音の脈絡も引っ張る事ができるのであり、これを更に拡大解釈させて三全音調域の併存を視野に入れる事も可能となる訳です。
気を付けたいのは、半音階の羅列でしかないフレージングであり、その程度の羅列にしか成らないのであれば半音階を使わずに全音階が誘(いざな)ってくれるであろう線的な牽引力で勝負した方がよっぽどマシなのであり、クロマティックに慣れない人ほど協和的な《強大な力を持つ》音程の隣音に対して半音の揺さぶりがかかっただけの様な音しか使えない物です。少なくとも、そういう状況を避けて半音階を使いこなす事が重要となるという訳です。
半音階の着地点が協和的な音である場合、これは単に揺さぶりがかかった全音階にしか聴こえません。例えば「きらきら星」の [ド・ド・ソ・ソ・ラ・ラ・ソ] というメロディーに対して半音下からの上行導音を各音に辷り込ませ、次の様に、
[シド・シド・ファ♯ソ・ファ♯ソ・ソ♯ラ・ソ♯ラ・ファ♯ソ]
などと「半音階」を辷り込ませた所で、このあからさまで卑近な上行導音は全音階の姿を容易に醸し出してしまうので、この程度の半音階の揺さぶり程度では到底半音階社会を導引するなどとは恥ずかしくて口にする事もできない様な物でしかありません。
それ故に、全音階的な和声を背景では利用していようとも、線的な半音階を「全音階のそれ」を容易に露わにさせない様なフレージングが必要となって来るという訳です。勿論、今回私が企図している半音階的社会の演出はこうした方面を見ている世界観なのであります。全音階の姿が透けて見えてしまう様な、そういう卑近な状況はなるべく避けているものです。
半音階的全音階とはもっと周到に半音階を散りばめる物であり、半音階のそれが「紋様」の様に対称的な構造を成した姿がシェーンベルクが整備した(ブゾーニの三分音、ヨーゼフ・マティアス・.ハウアーのトローペンからの剽窃も含)セリエル=12音技法である訳ですが、今回の半音階のそれはセリエルではありません。
背景にある和音の状況は、どれほど和音を積もうと結局は《調》という全音階の断片であるに過ぎず、その上で《調》に阿らずに半音階に靡こうとしている訳です。即ち、和音を変えるのは無理なので、ソロを執る際、フレージング的には半音階の骨頂である《三全音》と《半音》を重視する必要があります。故に、三全音調域の併存はまず第一に念頭に置くべき脈絡なのであります。
三全音という音程がオクターヴの半分=即ち半オクターヴを形成する状況であり、半音音程というのはオクターヴの12等分であります。この等分の対称形という構造が半音階社会に靡くにはとても必要な事で、場合によっては3分割(=長三度等音程)或いは4分割(短三度等音程)という構造も必要になって来ます。そこで重要なのが《半オクターヴを有し乍ら等分割》という状況である為、長三度が [1・2・1] という半音音梯数に対称的に分割されたり、短三度が [1・2] 或いは [2・1] という音梯数で分割されたりする事でも半音階社会へ靡く脈絡は得られる訳です。
そういう意味でもホールトーン・スケール(=全音音階)というのは半オクターヴを有し乍らの6分割という構造でもある為、全音音階で有り乍らも半音階社会に靡く状況であると言える訳です。
音程の《対称的構造》というのは、我々が五体満足で産まれて言語を獲得する以前の脳というのは凡ゆる音に対して《等価》に聴いていると言われています。これはどういう意味かというと《協和》に依存せずに音を捉えるという事を意味するのでありますが、喃語期を迎え言語を獲得すると、協和に依存する様に脳が発達するという訳です。
脳というのは聴覚器官から得た情報をかなり《合理的》に排列し直そうとする物です。授乳期の頃ですら音の鳴る方角も意識しているので、この頃から脳は、記憶を合理的に組み立て直そうとしているという訳です。
それは何故かと言うと、音というのはある音源から一方向に伝播するのではなく水面の波紋の様に一様に広がって伝播します。と言う事は、音波というのは凡ゆる方向に均一に振動しようとしているのですが、脳というのは耳に入って来た音波の、耳介が作る位相差や音波の周波数分布などを「脳」が更に処理して、経験に基づいて方角や周波数分布などで音源の方向、音源自身の角度などを判断する様になるという物です。
そうした方向などに拘泥する必要が無いのであれば、一様に伝播する音を音源から見た時の12時方向であろうが5時方向であろうが、どこで鳴っていても識別する必要がない筈ですが、矢張り脳の情報処理はそれを許さず組み立て直す訳です。
乳児が音の鳴る方を向けば、そこには母親の発する声があり、発する音源の主が誰でも好いという風に脳は処理しません。母親の口元から発せられる音、父親の口元から発せられる音を認識しながら、等価という形の聴き方はやがて協和的な聴き方が優勢になる訳です。
とはいえ、脳のネットワーク形成は合理的であるので、《楽音》を認識する様になると喃語期を経て、いつしか脳は次の様な合理化で《音程》を整列します。
上掲のトネッツは、横方向が半音、縦方向が全音という概念で描かれている物です。協和に依存していなかった頃の「名残り」とも言えるでしょう。このトネッツを脳は次のステージとして対称的構造を形成して行くのです。
例えば、トネッツ上で示されているピンク色の逆L字型となるクランク状の形のそれは《テトラコルド》を示しているのであり、全音階に内含されるテトラコルドというのは実は音階の第4・5音を全音で隔てているだけの同一の構造であるという事が判ります。然し乍ら、同一の形状を完全な等方性で耳にしている訳ではありません。これが協和の依存ですが、協和が優勢になろうとも脳は同一性を捉えているのですから畏れ入るばかりです。
トネッツを能々見れば、長三度等音程構造(オレンジ色)や短三度等音程構造(グレー色)を見出す事ができます。例えば短三度等音程構造は300セントずつの変化ではあるものの、このトネッツの最小単位音程が偶々「半音」=100セントである為に隠匿されてしまっておりますが、実は150セントの等音程も内含している様に読んでも構わないのです。
その150セントの更に半分となる「75セント」という単位音程も300セントの等音程は内含している事にもなりますが、短三度に埋没して聴く事よりも、いずれ微分音に耳慣れると青色で示した脈絡の方を見付けて来れる事でありましょう。この青色の75セント単位音程が、古代ギリシャ時代から生じていたヘーミリオン・クロマティックである訳です。
300セントという音程を持つデュアド(duad=2音に依る和音.3音の和音はトライアド)に潜む150セントや75セントの音を類推しようとするのではなく、あくまでも300セントを2等分或いは4等分という風に《線的に分割》する試みが重要です。
また、微分音を捉える為に耳を鍛えるのにより効率的であるのは、単音程を等分割して行くよりも、《複音程の協和音》または《複音程の不完全協和音》を任意の音程数に等分割した方が判りやすいであろうと思います。
長三度や短三度は「不完全協和音」と呼ばれます。この言葉の意味は「不完全な協和」という意味ではありません。《完全音程とは異なる協和》という意味です。ですので協和音程には《絶対完全協和》と《完全協和》の2種類があるのです。
調弦(チューニング)を覚えるにはごく普通に用いる協和観でありますが、不完全協和音を使ってチューニングしようとは先ず考えないので、この辺りの《完全協和》と《不完全協和》の違いを「美醜」で捉えてしまうのは甚だ御門違いの解釈であるので注意されたい部分でもあります。
チューニングにおける「ビート」(うなり)を生じさせないそれを「美しい」と語ってしまう人もいるかもしれません。源泉の一つには違いませんが、芸術的な美しさの「美しさ」を述べているのではなく、不完全な状況と比して「美しい」と表現している事が大半であろうと思うわれ、こういう瑣末事の言葉尻を論って音楽の美醜に持ち込むのは実に莫迦気た行為(ストローマン論法)でありますので、その辺りも誤解されぬ様あらためて注意していただきたい所です。
漸く本題に入りますが、譜例動画を1小節目から確認する事としましょう。今回の譜例動画は基本のコード進行は六度進行(または三度進行)の様に見えてしまいかねませんが、「Fm -> C♯m」という進行の実際は「増五度/減四度」進行なのである事に注意していただきたいと思います。また、これらの2コード循環は進行と言うよりも《転調》と捉えた方が解釈しやすいのではなかろうかと思います。
先行和音は「Fm9」であり、その後に「C♯m11」という2コード循環である訳ですが、ごく普通の状況であるならば其々の和音上で「Fドリアン」と「C♯ドリアン」を想起してさえ居れば、アヴェイラブル・モード・スケールから外れる事はないのですから誤ちの様に聴こえる事はないでしょう。厄介なのは、こうした全音階的な状況に巧い事半音階の情緒を乗せる事であります。
半音音程が連続して現れる状況はこうした場合、3音列または4音列に留める方が得策でありましょう。その上で、半音階的な脈絡を忍ばせる事が重要となって来る訳です。これらを踏まえてあらためて譜例動画を確認する事にします。
1小節目でのシンセ・ブラス・パートですが、4拍目での [d - des] がドリアンとナチュラル・マイナーのどちらを特定しようとしているのかは困難でありましょう。先述した様に [des] が完全五度の [c] への下行導音という、《卑近で協和的な五度の香り》を強く示唆する物であるものの、私はそれを突っ切って2小節目でも [c - ces] という風にして [c] を横切り更に下行クロマティックを続けているのがお判りかと思います。
即ち私は、Fm9上での属音 [c] など重視しておらず、半オクターヴの脈絡となる [ces] が一旦の目標としているのであり、[d - des - c - ces] という半音階の4音列を忍ばせているという訳です。
また、2小節目1拍目では一旦 [es] へ上行するも、直後に [heses] へ増四度下行します。これも半オクターヴなのであると同時に、[es] は [f] 音上の七度音であるので、その [es] から見た [heses] とは上方倍音列に於ける第7次倍音と第11次倍音との音程が半音階的に均された状況である訳です。この脈絡は四分音(微分音)を使う時にも応用可能な物であります。
そうして同小節2拍目では [heses] から半音高く上行して [b] へ行き、その後更に上行して [d] へ進みます。するとまた増四度下行して [as] へ進んでいるという訳です。
こうした事からも判る様に、凡ゆる状況で減五度/増四度という半オクターヴを視野に入れているという事があらためてお判りいただけるかと思いますが、2拍目で [as] が登場して以降、フレーズが少しずつ逡巡するかの様に彷徨き乍ら4拍目で [eses] を生ずるのも、[as] から見た減五度上方であるからです。
普通にアプローチすれば [f] から見た [heses] [eses] など毛頭考慮に入れない音であろうと思いますが、私は半音階的に常にアプローチしようと企図している為、こうした音が出て来るのであります。[eses] にしても、《楽譜上で [d] にすれば読みやすかろうに》と思われる方も居られるでしょうが、私はこうした半音階的動作に伴う音程は非常に厳格に取扱います。
それこそ、パート譜であれば変化記号・本位記号の少ない音並びにした方が読譜の上では大変スムーズかと思われますが、そうした配慮をする必要がないので、音脈重視で表しているという訳です。
3小節目ではコードが「C♯m11」へと変化するので、冒頭1拍目はC♯ドリアンを示唆する流れとなっております。同小節2拍目で [c] を忍ばせるのは、減八度としての音脈です。直後に [cis] が現れているものの上行導音のつもりではないのです。
同小節3拍目では [cis] から見た短二度上方相当となる [d] を生じますが、その後の順次下行進行で [gis] まで下る事を思えば、[d - gis] は矢張り増四度なのであります。
4小節目でも [d] は現れるのでC♯ドリアンを叛いている訳ですが、直後に [c] も現れる事で最初の3音列 [e - d - c] は少なくとも幹音の断片ですので、幹音を生ずる調域をスーパーインポーズさせている状況となっているのです。簡単に言えばGドリアンの第4・5・6音を断片として使っている訳ですね。C♯ドリアンとは半オクターヴの関係となります。
そうして思い出したかの様に [cis] を奏し、C♯ドリアンの特性音でも [ais] の後には [fisis] が登場します。これは [cis] から見た増四度([cis] 上の♯11th音)の脈絡なのです。
同小節4拍目では [a] を生じており、C♯ナチュラル・マイナーに移ろう様なそぶりを見せておりますが、調に僅かに靡いているのです。そうする事でまた叛いて乙張りが生ずるので、こうして逡巡するかの様な音を選択しているという訳です。
5小節目での4音列の音形は、歯の浮く様な卑近なフレージングであるのですが、その後に外すというプロットを思い描いているのでわざと唾(つばき)臭い感じに仕立てているのです。自分でも虫唾が走る位なのですが、その後の乙張りの為には仕方のない通過儀礼の様な物でしょう。作った本人がそう思っているのですから、他人が耳にすればもっと小恥ずかしい感じに聴いてしまうかもしれません。唯、これは敢えてやっている演出なので、このフレージングで揚げ足を取る様な事は為さらないで頂きたいと思います。
扨て6小節目の一連のフレーズは、7小節目「C♯m11」に進行する為に、各拍を次の様な下方五度進行を想起してアプローチしております。勿論、その「想起」はインプロヴァイザー本人のみぞ知るという物に過ぎず、メンバー全員がその意図を知る必要などありません。そうして介在させた想起上でのコードのそれが、
A♭7alt -> D♭7alt -> Gm7 -> D7alt -> C♯m11
という構造になっており、D♭7 -> Gm7は三全音進行させている物です。
同小節1拍目は、「A♭7alt」での [♭9・♭10・♮11・♭7] という状況であり、2拍目は「D♭7alt」での [♭9・♭7・♯11・♯9] という状況、3拍目は「Gm7」での [♮11・♮9・♭7・5] という上音の脈絡で「Gm7」を強く示唆する音は使ってはおらず、4拍目は「D7alt」での [♮13・♯11・♯9] という脈絡になるという訳です。
今回の譜例動画で最もジャジー(古典的)なアプローチであろうと思うのですが、ジャズにある程度耳馴れている人であれば、手垢の付きまくったフレーズの様に思われるかもしれません。然し乍らやれそうでやれない人が多い事に加えて、こうした状況である事を私の説明以前に分析できた方は是亦少ないであろうと思われます。
濱瀬元彦が著した『チャーリー・パーカーの技法』では、フレーズ形成の為に根音を15度とみなした上で順に3度堆積を逆行させた分散フレーズの解体を分析しますが、《上音を上から使う》という事がフレーズになっているという訳です。
そういう意味でも、3度音程が7音も満たされる13thコードというのは、それを属和音ばかりでなく副和音=副十三和音として見立てる事で、《上音を上から使う》という経路は非常にアプローチしやすくなるという訳です。
無論、ドミナント7th系のコードとして使うよりも副和音としての性格を醸し出さなくては味噌も糞も一緒にしてしまいかねない訳で、ドミナント・コードでのオルタレーション(=オルタード)という振る舞いとは別の半音階的アプローチが必要とされる訳で、それがオルタード・ドミナントとは異なる半音階の使い方という風になる訳です。
7小節目では3拍目で減八度由来の [c] が現れている以外は特に変わった点は無いアプローチであります。
8小節目では、3拍目というのが循環する後続の「Fm9」の先取りを敢えて嬰種記号で隠しております。「Fm9」からは増四度に位置する [h] をコモン・トーン(共通音)にして [ais] も「Fm9」側からは [b] であるものの、使うコードは「C♯m11」上である為に嬰種記号に置き換えています。
同小節4拍目で生ずる [fisis] は [cis] 上の増四度であり、それと完全四度を使い分けているという事となります。茲での [fisis - fis] という半音音程は、実は [cis・c](減八度由来の音脈)を使い分けている事の増四度スーパーインポーズなのであります。
9小節目以降はシンセ・ソロを無くし、原パターンを少し手を加えた上でコード進行に少し変化を与える様にアレンジしていますが、伴奏に揺さぶりを加えてソロを割愛する事で練習用の8小節として作っております。
12小節目の3・4拍目では2コード循環時とは異なる「Gm△9 -> F♯m69」という和音でのブリッジを挟んでおりますが、これらのコード上でも態々1拍ずつモード・チェンジする事なく、C♯m11の時のアヴェイラブル・モード・スケールを用いて強行(スーパーインポーズ)するのも好ましい手法の一つでありましょう。また「F♯m69」というコード出現の意図は、本デモの終止和音よりも半音高くしている所にクロマティシズム(半音階主義)を忍ばせているという訳です。
(※スーパーインポーズ [英] superimpose とは本来、写真の現像や焼き付けを意味する語句でありますが、これを用いたのは米国亡命後のシェーンベルクの 'The Theory of Harmony' での独特な表現なのであり、これを後年濱瀬元彦が『ブルーノートと調性』で用いた事に端を発する物で、《強行する》という意味で捉えると、両者の意味合いがあらためて能く理解できる事でしょう.
以降は同じ説明になってしまうので今回のデモについてはこれにて終わりますが、本デモの様なソロ・フレーズを私が譜例動画にする時の制作過程では、ソロ全体のテイク丸々を幾つか録った物を最終的に選んでいるのでありまして、1小節毎や拍節などの断片的な状態を並び替えて作っているのではありません。
今回のソロ・フレーズは8小節の長さでありますが、8小節のテイクを録り、どの8小節が好いか!? という風にテイクを選んでいるだけで、断片フレーズを周到に並び替えてフレージングしている訳ではありません。そうしてしまうと唐突感や脈絡の希薄さは如実に現れてしまうかと思います。
ソロを執るに当たって《5小節目はダイアトニック感を醸し出そう》とかのある程度の漠然としたプロットを念頭に置き乍らテイクを録音しているという訳です。また、こうしたクロマティック・フレーズはテイク毎に異なるフレーズが常に頭に浮かんでいるというのが私の思い描いている日常であるので、《熟考を重ねて練りに練って周到に用意》したフレーズという訳でもないので、その辺りもご理解いただけると助かります。
最近では、坂本龍一作曲の「Curtains」でのフレットレス・ベースでソロを弾くアレンジ楽曲が矢張り同様で、断片的なフレーズを細かく切り貼りしているのではありません。
この様に言っておかないと、最近では人の僭越性(つまり「謙り」)を見抜かずに言葉をそのまま杓子定規に受け取ってしまう人が多く、真意が伝わらない事が多いが故に付言しているという訳です。世知辛い昨今、ちょっとでも謙ろうモノなら、その謙りが汚点・欠点を披瀝するかの様に受け止めわれかねませんので、敢えて付け加えているという訳です。語る本人からすれば小恥ずかしい事でもあるのですけれどもね。
そういう訳で、ドミナント・コードではないマイナー・コードに於てアウトサイドのアプローチとやらのヒントになれば良かろうと思い、あらためて譜例動画を制作した訳ですが、事の重要性が少しでもお役に立てられたら之幸いであります。
今回は譜例動画用のデモをYouTubeにアップした事もあり、その譜例動画と併せて確認し乍ら以下に説明して行く事に。
扨て《アウトサイド》という状況というのは端的に言うと《原調の音階外》という世界観であり、今回はこれが大前提となる訳です。《原調の音階外》という「原調」とは、長調・短調以外にも、主軸とする旋法(モード)を固守する状況であればそれもまた「原調」のひとつなのであり、そのモードはグレゴリアン・モード以外のモードも勿論含まれる訳であり、《想起し得るモードの音階外》の世界が原調とは異なる音の選択という事となります。
その原調を示唆する物が今回は《マイナー・コード上》であるというだけに過ぎません。然し乍ら、ドミナント7thコードを利用して、そのコードの性質を利用しながらオルタード・テンションを用いる方がクロマティック的要素としては非常に容易に導引可能となる訳ですが、基となるコードが属和音以外の《副和音》となると途端に取扱いが難しくなる物です。
本来は《調》という世界観はトニック、サブドミナント、ドミナントという3つの和音諸機能を経由して一巡する循環構造(=カデンツ、それは終止法である)があって《調》は確定する訳ですが、調よりも支配が薄い旋法の場合、なるべく属和音の出現を回避して2コード循環のタイプに仕立て上げる事がより旋法的になります。
例えば、C△・F△・G7を利用するとこれら3つの三和音はハ長調を示唆するのですが、これらが《調》を示唆するのは各和音の構成音が次の様に、
1・3・5─(C△)
4・6・1─(F△)
5・7・2・4─(G7)
という風にして [1・2・3・4・5・6・7] と成す《全音階》を3種のコードを使い乍ら、《先行和音の根音を後続和音の上音に取り込む》事で「循環」が発生する訳であり、これがカデンツなのです。
モーダルな楽曲の場合でのコード進行は、その全音階が包含する属七を回避させ乍らプライマリおよびセカンダリの2種に分ける物でありまして、その狙いは《調》よりも因果関係の弱い《旋法》の性格を最大限に発揮する為に準備される《2コードへの分類》という作業が必要になるという訳であります。
勿論、モーダルな楽曲の性格を表す為には2コード循環が必須という物ではなく、ワンコードで済ませてしまう場合もあります。但し、その際に重要な1コードの姿は《副十三和音》という風に、ドミナント13thではない副和音の十三和音の姿を強く意識する必要が生ずる訳です。
とはいえマイナー・コードで13thコードを示唆するとなると、その13thは本位十三度(=♮13th)を自ずと呼び込む事となります。
何故かと言うと、転回還元位置で見た場合、5thの半音上に♭6thがあるとすると自ずとそれがアヴォイドを形成するからであり、アヴォイド回避の為にはⅥ度は自ずと♮6thを要求され、七度音の包含が同時に6thを13thにするという和音構造から読み取るモードがナチュラル・マイナーなのではなくドリアンを示唆する事になるという訳です。
とはいえ、ドリアン・モードを示唆してもドリアンのヘプタトニック(7音)を全て使う「ドリアン・トータル」という副十三和音を形成した場合、自ずとそのマイナー・コードの第3音と第13音との音程は《三全音》を包含するので、三全音の包含は結果的に姿を変えた(=根音が異なるだけの)ドミナント13thとなる(※Dm13は、根音が違うだけのG13の第2転回形であり、和音構成音は同じ)ので、和音の取扱いが難しいとされる物です。が、しかし。
今回語っておきたいのは、コードとしてあからさまにマイナー13thコードを用いるのではなく、あくまでも《想起》の範疇で13thコードを視野に入れつつ使用するコードはマイナー9thやマイナー11thに留めているという訳です。そこで、ソロを執るインプロヴァイズ用のフレーズとして13thコードを視野に入れながら、原調をも跳び越すアウトサイドな音を選択するという事を念頭に置いたフレージングを散りばめた物となっているのです。
ジャズ・アプローチに於てマイナー・コードでは基本的にドリアンを使う事が非常に多いのは、調的に見れば「Dm13」であろうと「Dm11(♭13)」であろうと、これらの13thコードはどちらを使おうともアヴォイドを有する(※前者は5thと♭6th、後者は3rdと13th、但し9thと♭3rdは上下の主従関係が逆なのでアヴォイドではなく、その場合♭3rdと9thの長七度と捉えるべき)とは雖も、♭6thが5thへの下行導音(わざと長七度跳躍させるのもジャズ的ではあるが)の作用が強く、しかも5th音という強大な牽引力は、フレージング的にも卑近な物にしてしまうケースが往々にして起きるからであります。
そうした意味から、マイナー・コードの5th音よりも更に上方にある《上音の世界》= [7・9・11・13] 度の世界でフレージングした方がより高次な響きを演出しやすいという事となります。尚、余談ではありますが《上音》とは根音以外の和音構成音および基本音以外の上方倍音列でも呼ばれる音なのであり、上音が5th音より上の音という意味ではありませんので、前述の《上音の世界》というのは上音の中でも更なる上方の世界という意味ですので混同されぬ様ご理解願いたい所です。
マイナー・コードをドリアンと捉える事がジャズ・アプローチでは一般的ではあるものの、私はドリアンを示唆する♮6thを使う事を基本にしてはおりますが、♭6thも織り交ぜたクロマティック・アプローチも採っているので、一概にドリアン・モードという風に括る事はできません。それというのも、クロマティックという状況を凡ゆるシーンで想定した時、ドリアンの特性音は三全音に靡こうとする、♭6thは5thに靡こうとする訳です。
では、《半音階的音列と耳にする一連のフレーズはどこに重きを置けば調に靡かずに済むのか!?》という事を常に念頭に置いた時、少なくともインプロヴァイザーは原調の三全音調域が常に併存している様に捉えている必要があろうと思います。若しくは中心軸システムでも好いでしょう。
アーサー・イーグルフィールド・ハルが『近代和声の説明と応用』にて、マイナー・コード上で「♯11th音」を生ずる完全和音(※三度音程に依る堆積で充填される和音の事.add9は完全和音ではない)が紹介されますが、この「♯11th音」の存在は勿論、完全五度音を含んだ上での上音に備わる音なので、ハーフ・ディミニッシュの様な減五度(♭5th音)と同一視してはならない脈絡であるのですが、その示唆は「複調」であるという事です。
例えば「Cm9(♯11)」という特殊なコードがあったとしましょう。[ド・ミ♭・ソ・シ♭・レ・ファ♯] という構造です。このコードの基本部分はCmである事は勿論ですが、五度音からの堆積構造を見ると「Gm△7」が併存している事が判ります。つまり、そのマイナー・メジャーというコードを、他のモード(=Gメロディック・マイナー・モード)の併存を見出す事も可能なのであり、特殊なコードを形成している和音構成音が別の脈絡を引っ張って来ているという風に解釈する事が可能なのです。
そうして根音との三全音の脈絡も引っ張る事ができるのであり、これを更に拡大解釈させて三全音調域の併存を視野に入れる事も可能となる訳です。
気を付けたいのは、半音階の羅列でしかないフレージングであり、その程度の羅列にしか成らないのであれば半音階を使わずに全音階が誘(いざな)ってくれるであろう線的な牽引力で勝負した方がよっぽどマシなのであり、クロマティックに慣れない人ほど協和的な《強大な力を持つ》音程の隣音に対して半音の揺さぶりがかかっただけの様な音しか使えない物です。少なくとも、そういう状況を避けて半音階を使いこなす事が重要となるという訳です。
半音階の着地点が協和的な音である場合、これは単に揺さぶりがかかった全音階にしか聴こえません。例えば「きらきら星」の [ド・ド・ソ・ソ・ラ・ラ・ソ] というメロディーに対して半音下からの上行導音を各音に辷り込ませ、次の様に、
[シド・シド・ファ♯ソ・ファ♯ソ・ソ♯ラ・ソ♯ラ・ファ♯ソ]
などと「半音階」を辷り込ませた所で、このあからさまで卑近な上行導音は全音階の姿を容易に醸し出してしまうので、この程度の半音階の揺さぶり程度では到底半音階社会を導引するなどとは恥ずかしくて口にする事もできない様な物でしかありません。
それ故に、全音階的な和声を背景では利用していようとも、線的な半音階を「全音階のそれ」を容易に露わにさせない様なフレージングが必要となって来るという訳です。勿論、今回私が企図している半音階的社会の演出はこうした方面を見ている世界観なのであります。全音階の姿が透けて見えてしまう様な、そういう卑近な状況はなるべく避けているものです。
半音階的全音階とはもっと周到に半音階を散りばめる物であり、半音階のそれが「紋様」の様に対称的な構造を成した姿がシェーンベルクが整備した(ブゾーニの三分音、ヨーゼフ・マティアス・.ハウアーのトローペンからの剽窃も含)セリエル=12音技法である訳ですが、今回の半音階のそれはセリエルではありません。
背景にある和音の状況は、どれほど和音を積もうと結局は《調》という全音階の断片であるに過ぎず、その上で《調》に阿らずに半音階に靡こうとしている訳です。即ち、和音を変えるのは無理なので、ソロを執る際、フレージング的には半音階の骨頂である《三全音》と《半音》を重視する必要があります。故に、三全音調域の併存はまず第一に念頭に置くべき脈絡なのであります。
三全音という音程がオクターヴの半分=即ち半オクターヴを形成する状況であり、半音音程というのはオクターヴの12等分であります。この等分の対称形という構造が半音階社会に靡くにはとても必要な事で、場合によっては3分割(=長三度等音程)或いは4分割(短三度等音程)という構造も必要になって来ます。そこで重要なのが《半オクターヴを有し乍ら等分割》という状況である為、長三度が [1・2・1] という半音音梯数に対称的に分割されたり、短三度が [1・2] 或いは [2・1] という音梯数で分割されたりする事でも半音階社会へ靡く脈絡は得られる訳です。
そういう意味でもホールトーン・スケール(=全音音階)というのは半オクターヴを有し乍らの6分割という構造でもある為、全音音階で有り乍らも半音階社会に靡く状況であると言える訳です。
音程の《対称的構造》というのは、我々が五体満足で産まれて言語を獲得する以前の脳というのは凡ゆる音に対して《等価》に聴いていると言われています。これはどういう意味かというと《協和》に依存せずに音を捉えるという事を意味するのでありますが、喃語期を迎え言語を獲得すると、協和に依存する様に脳が発達するという訳です。
脳というのは聴覚器官から得た情報をかなり《合理的》に排列し直そうとする物です。授乳期の頃ですら音の鳴る方角も意識しているので、この頃から脳は、記憶を合理的に組み立て直そうとしているという訳です。
それは何故かと言うと、音というのはある音源から一方向に伝播するのではなく水面の波紋の様に一様に広がって伝播します。と言う事は、音波というのは凡ゆる方向に均一に振動しようとしているのですが、脳というのは耳に入って来た音波の、耳介が作る位相差や音波の周波数分布などを「脳」が更に処理して、経験に基づいて方角や周波数分布などで音源の方向、音源自身の角度などを判断する様になるという物です。
そうした方向などに拘泥する必要が無いのであれば、一様に伝播する音を音源から見た時の12時方向であろうが5時方向であろうが、どこで鳴っていても識別する必要がない筈ですが、矢張り脳の情報処理はそれを許さず組み立て直す訳です。
乳児が音の鳴る方を向けば、そこには母親の発する声があり、発する音源の主が誰でも好いという風に脳は処理しません。母親の口元から発せられる音、父親の口元から発せられる音を認識しながら、等価という形の聴き方はやがて協和的な聴き方が優勢になる訳です。
とはいえ、脳のネットワーク形成は合理的であるので、《楽音》を認識する様になると喃語期を経て、いつしか脳は次の様な合理化で《音程》を整列します。
上掲のトネッツは、横方向が半音、縦方向が全音という概念で描かれている物です。協和に依存していなかった頃の「名残り」とも言えるでしょう。このトネッツを脳は次のステージとして対称的構造を形成して行くのです。
例えば、トネッツ上で示されているピンク色の逆L字型となるクランク状の形のそれは《テトラコルド》を示しているのであり、全音階に内含されるテトラコルドというのは実は音階の第4・5音を全音で隔てているだけの同一の構造であるという事が判ります。然し乍ら、同一の形状を完全な等方性で耳にしている訳ではありません。これが協和の依存ですが、協和が優勢になろうとも脳は同一性を捉えているのですから畏れ入るばかりです。
トネッツを能々見れば、長三度等音程構造(オレンジ色)や短三度等音程構造(グレー色)を見出す事ができます。例えば短三度等音程構造は300セントずつの変化ではあるものの、このトネッツの最小単位音程が偶々「半音」=100セントである為に隠匿されてしまっておりますが、実は150セントの等音程も内含している様に読んでも構わないのです。
その150セントの更に半分となる「75セント」という単位音程も300セントの等音程は内含している事にもなりますが、短三度に埋没して聴く事よりも、いずれ微分音に耳慣れると青色で示した脈絡の方を見付けて来れる事でありましょう。この青色の75セント単位音程が、古代ギリシャ時代から生じていたヘーミリオン・クロマティックである訳です。
300セントという音程を持つデュアド(duad=2音に依る和音.3音の和音はトライアド)に潜む150セントや75セントの音を類推しようとするのではなく、あくまでも300セントを2等分或いは4等分という風に《線的に分割》する試みが重要です。
また、微分音を捉える為に耳を鍛えるのにより効率的であるのは、単音程を等分割して行くよりも、《複音程の協和音》または《複音程の不完全協和音》を任意の音程数に等分割した方が判りやすいであろうと思います。
長三度や短三度は「不完全協和音」と呼ばれます。この言葉の意味は「不完全な協和」という意味ではありません。《完全音程とは異なる協和》という意味です。ですので協和音程には《絶対完全協和》と《完全協和》の2種類があるのです。
調弦(チューニング)を覚えるにはごく普通に用いる協和観でありますが、不完全協和音を使ってチューニングしようとは先ず考えないので、この辺りの《完全協和》と《不完全協和》の違いを「美醜」で捉えてしまうのは甚だ御門違いの解釈であるので注意されたい部分でもあります。
チューニングにおける「ビート」(うなり)を生じさせないそれを「美しい」と語ってしまう人もいるかもしれません。源泉の一つには違いませんが、芸術的な美しさの「美しさ」を述べているのではなく、不完全な状況と比して「美しい」と表現している事が大半であろうと思うわれ、こういう瑣末事の言葉尻を論って音楽の美醜に持ち込むのは実に莫迦気た行為(ストローマン論法)でありますので、その辺りも誤解されぬ様あらためて注意していただきたい所です。
漸く本題に入りますが、譜例動画を1小節目から確認する事としましょう。今回の譜例動画は基本のコード進行は六度進行(または三度進行)の様に見えてしまいかねませんが、「Fm -> C♯m」という進行の実際は「増五度/減四度」進行なのである事に注意していただきたいと思います。また、これらの2コード循環は進行と言うよりも《転調》と捉えた方が解釈しやすいのではなかろうかと思います。
先行和音は「Fm9」であり、その後に「C♯m11」という2コード循環である訳ですが、ごく普通の状況であるならば其々の和音上で「Fドリアン」と「C♯ドリアン」を想起してさえ居れば、アヴェイラブル・モード・スケールから外れる事はないのですから誤ちの様に聴こえる事はないでしょう。厄介なのは、こうした全音階的な状況に巧い事半音階の情緒を乗せる事であります。
半音音程が連続して現れる状況はこうした場合、3音列または4音列に留める方が得策でありましょう。その上で、半音階的な脈絡を忍ばせる事が重要となって来る訳です。これらを踏まえてあらためて譜例動画を確認する事にします。
1小節目でのシンセ・ブラス・パートですが、4拍目での [d - des] がドリアンとナチュラル・マイナーのどちらを特定しようとしているのかは困難でありましょう。先述した様に [des] が完全五度の [c] への下行導音という、《卑近で協和的な五度の香り》を強く示唆する物であるものの、私はそれを突っ切って2小節目でも [c - ces] という風にして [c] を横切り更に下行クロマティックを続けているのがお判りかと思います。
即ち私は、Fm9上での属音 [c] など重視しておらず、半オクターヴの脈絡となる [ces] が一旦の目標としているのであり、[d - des - c - ces] という半音階の4音列を忍ばせているという訳です。
また、2小節目1拍目では一旦 [es] へ上行するも、直後に [heses] へ増四度下行します。これも半オクターヴなのであると同時に、[es] は [f] 音上の七度音であるので、その [es] から見た [heses] とは上方倍音列に於ける第7次倍音と第11次倍音との音程が半音階的に均された状況である訳です。この脈絡は四分音(微分音)を使う時にも応用可能な物であります。
そうして同小節2拍目では [heses] から半音高く上行して [b] へ行き、その後更に上行して [d] へ進みます。するとまた増四度下行して [as] へ進んでいるという訳です。
こうした事からも判る様に、凡ゆる状況で減五度/増四度という半オクターヴを視野に入れているという事があらためてお判りいただけるかと思いますが、2拍目で [as] が登場して以降、フレーズが少しずつ逡巡するかの様に彷徨き乍ら4拍目で [eses] を生ずるのも、[as] から見た減五度上方であるからです。
普通にアプローチすれば [f] から見た [heses] [eses] など毛頭考慮に入れない音であろうと思いますが、私は半音階的に常にアプローチしようと企図している為、こうした音が出て来るのであります。[eses] にしても、《楽譜上で [d] にすれば読みやすかろうに》と思われる方も居られるでしょうが、私はこうした半音階的動作に伴う音程は非常に厳格に取扱います。
それこそ、パート譜であれば変化記号・本位記号の少ない音並びにした方が読譜の上では大変スムーズかと思われますが、そうした配慮をする必要がないので、音脈重視で表しているという訳です。
3小節目ではコードが「C♯m11」へと変化するので、冒頭1拍目はC♯ドリアンを示唆する流れとなっております。同小節2拍目で [c] を忍ばせるのは、減八度としての音脈です。直後に [cis] が現れているものの上行導音のつもりではないのです。
同小節3拍目では [cis] から見た短二度上方相当となる [d] を生じますが、その後の順次下行進行で [gis] まで下る事を思えば、[d - gis] は矢張り増四度なのであります。
4小節目でも [d] は現れるのでC♯ドリアンを叛いている訳ですが、直後に [c] も現れる事で最初の3音列 [e - d - c] は少なくとも幹音の断片ですので、幹音を生ずる調域をスーパーインポーズさせている状況となっているのです。簡単に言えばGドリアンの第4・5・6音を断片として使っている訳ですね。C♯ドリアンとは半オクターヴの関係となります。
そうして思い出したかの様に [cis] を奏し、C♯ドリアンの特性音でも [ais] の後には [fisis] が登場します。これは [cis] から見た増四度([cis] 上の♯11th音)の脈絡なのです。
同小節4拍目では [a] を生じており、C♯ナチュラル・マイナーに移ろう様なそぶりを見せておりますが、調に僅かに靡いているのです。そうする事でまた叛いて乙張りが生ずるので、こうして逡巡するかの様な音を選択しているという訳です。
5小節目での4音列の音形は、歯の浮く様な卑近なフレージングであるのですが、その後に外すというプロットを思い描いているのでわざと唾(つばき)臭い感じに仕立てているのです。自分でも虫唾が走る位なのですが、その後の乙張りの為には仕方のない通過儀礼の様な物でしょう。作った本人がそう思っているのですから、他人が耳にすればもっと小恥ずかしい感じに聴いてしまうかもしれません。唯、これは敢えてやっている演出なので、このフレージングで揚げ足を取る様な事は為さらないで頂きたいと思います。
扨て6小節目の一連のフレーズは、7小節目「C♯m11」に進行する為に、各拍を次の様な下方五度進行を想起してアプローチしております。勿論、その「想起」はインプロヴァイザー本人のみぞ知るという物に過ぎず、メンバー全員がその意図を知る必要などありません。そうして介在させた想起上でのコードのそれが、
A♭7alt -> D♭7alt -> Gm7 -> D7alt -> C♯m11
という構造になっており、D♭7 -> Gm7は三全音進行させている物です。
同小節1拍目は、「A♭7alt」での [♭9・♭10・♮11・♭7] という状況であり、2拍目は「D♭7alt」での [♭9・♭7・♯11・♯9] という状況、3拍目は「Gm7」での [♮11・♮9・♭7・5] という上音の脈絡で「Gm7」を強く示唆する音は使ってはおらず、4拍目は「D7alt」での [♮13・♯11・♯9] という脈絡になるという訳です。
今回の譜例動画で最もジャジー(古典的)なアプローチであろうと思うのですが、ジャズにある程度耳馴れている人であれば、手垢の付きまくったフレーズの様に思われるかもしれません。然し乍らやれそうでやれない人が多い事に加えて、こうした状況である事を私の説明以前に分析できた方は是亦少ないであろうと思われます。
濱瀬元彦が著した『チャーリー・パーカーの技法』では、フレーズ形成の為に根音を15度とみなした上で順に3度堆積を逆行させた分散フレーズの解体を分析しますが、《上音を上から使う》という事がフレーズになっているという訳です。
そういう意味でも、3度音程が7音も満たされる13thコードというのは、それを属和音ばかりでなく副和音=副十三和音として見立てる事で、《上音を上から使う》という経路は非常にアプローチしやすくなるという訳です。
無論、ドミナント7th系のコードとして使うよりも副和音としての性格を醸し出さなくては味噌も糞も一緒にしてしまいかねない訳で、ドミナント・コードでのオルタレーション(=オルタード)という振る舞いとは別の半音階的アプローチが必要とされる訳で、それがオルタード・ドミナントとは異なる半音階の使い方という風になる訳です。
7小節目では3拍目で減八度由来の [c] が現れている以外は特に変わった点は無いアプローチであります。
8小節目では、3拍目というのが循環する後続の「Fm9」の先取りを敢えて嬰種記号で隠しております。「Fm9」からは増四度に位置する [h] をコモン・トーン(共通音)にして [ais] も「Fm9」側からは [b] であるものの、使うコードは「C♯m11」上である為に嬰種記号に置き換えています。
同小節4拍目で生ずる [fisis] は [cis] 上の増四度であり、それと完全四度を使い分けているという事となります。茲での [fisis - fis] という半音音程は、実は [cis・c](減八度由来の音脈)を使い分けている事の増四度スーパーインポーズなのであります。
9小節目以降はシンセ・ソロを無くし、原パターンを少し手を加えた上でコード進行に少し変化を与える様にアレンジしていますが、伴奏に揺さぶりを加えてソロを割愛する事で練習用の8小節として作っております。
12小節目の3・4拍目では2コード循環時とは異なる「Gm△9 -> F♯m69」という和音でのブリッジを挟んでおりますが、これらのコード上でも態々1拍ずつモード・チェンジする事なく、C♯m11の時のアヴェイラブル・モード・スケールを用いて強行(スーパーインポーズ)するのも好ましい手法の一つでありましょう。また「F♯m69」というコード出現の意図は、本デモの終止和音よりも半音高くしている所にクロマティシズム(半音階主義)を忍ばせているという訳です。
(※スーパーインポーズ [英] superimpose とは本来、写真の現像や焼き付けを意味する語句でありますが、これを用いたのは米国亡命後のシェーンベルクの 'The Theory of Harmony' での独特な表現なのであり、これを後年濱瀬元彦が『ブルーノートと調性』で用いた事に端を発する物で、《強行する》という意味で捉えると、両者の意味合いがあらためて能く理解できる事でしょう.
以降は同じ説明になってしまうので今回のデモについてはこれにて終わりますが、本デモの様なソロ・フレーズを私が譜例動画にする時の制作過程では、ソロ全体のテイク丸々を幾つか録った物を最終的に選んでいるのでありまして、1小節毎や拍節などの断片的な状態を並び替えて作っているのではありません。
今回のソロ・フレーズは8小節の長さでありますが、8小節のテイクを録り、どの8小節が好いか!? という風にテイクを選んでいるだけで、断片フレーズを周到に並び替えてフレージングしている訳ではありません。そうしてしまうと唐突感や脈絡の希薄さは如実に現れてしまうかと思います。
ソロを執るに当たって《5小節目はダイアトニック感を醸し出そう》とかのある程度の漠然としたプロットを念頭に置き乍らテイクを録音しているという訳です。また、こうしたクロマティック・フレーズはテイク毎に異なるフレーズが常に頭に浮かんでいるというのが私の思い描いている日常であるので、《熟考を重ねて練りに練って周到に用意》したフレーズという訳でもないので、その辺りもご理解いただけると助かります。
最近では、坂本龍一作曲の「Curtains」でのフレットレス・ベースでソロを弾くアレンジ楽曲が矢張り同様で、断片的なフレーズを細かく切り貼りしているのではありません。
この様に言っておかないと、最近では人の僭越性(つまり「謙り」)を見抜かずに言葉をそのまま杓子定規に受け取ってしまう人が多く、真意が伝わらない事が多いが故に付言しているという訳です。世知辛い昨今、ちょっとでも謙ろうモノなら、その謙りが汚点・欠点を披瀝するかの様に受け止めわれかねませんので、敢えて付け加えているという訳です。語る本人からすれば小恥ずかしい事でもあるのですけれどもね。
そういう訳で、ドミナント・コードではないマイナー・コードに於てアウトサイドのアプローチとやらのヒントになれば良かろうと思い、あらためて譜例動画を制作した訳ですが、事の重要性が少しでもお役に立てられたら之幸いであります。