カクトウギのテーマ(坂本龍一&ザ・カクトウギ・セッション)のギター・ソロ
今回は、1979年6月21日にCBS/ソニー(当時)よりリリースされた坂本龍一&ザ・カクトウギ・セッションのアルバム『サマー・ナーブス(Summer Nerves)」にA面の最後に収録された「カクトウギのテーマ(Theme For "KAKUTOUGI")」のギター・ソロ部分をYouTubeにて譜例動画をアップした事に伴い、その解説を縷々述べて行こうかと思います。
本曲はYMO周辺を知らない人であっても古くからのプロレス・ファンの間ではかなり知られた楽曲ではなかろうかと思います。それというのも本曲は、全日本プロレス(関東では4チャンネルの日本テレビ放送)の番組BGMに用いられていたのであり、特に試合が早く終わってしまうと番組最後まで対戦予定相手などの紹介を埋める必要があり、時には延々と本曲がループ再生させられる事も少なくありませんでした。
アニメではキン肉マンが人気を博していた時期であり、テリー&ドリー・ファンク兄弟、ミル・マスカラス&ドス・カラス、スタン・ハンセン・アブドゥーラ・ザ・ブッチャー、ブルーザー・ブロディ、ジョー樋口やらの名を挙げれば枚挙に遑がない程に話題を攫っていた時期でありました。そうした人気が白熱していた所に使われていた楽曲である為に広く知られているという訳であります。
坂本龍一以外の名がクレジットされている事で実質的にはソロ・アルバム扱いにならないのがアルバム『サマー・ナーブス』という企画モノなのでもありますが、クロスオーバー/フュージョンを極度に嫌った細野晴臣も本アルバムでは「ニューロニアン・ネットワーク(Neuronian Network)」という楽曲を提供しており、NHK-FMの『クロスオーバー・イレブン』では不定期乍らも頻繁に掛かっておりました。
アルバム全体は、各楽器を「格闘技」の様に互いのプレイを闘わせるという風に謳われておりますが、着想そのものはレゲエ/スカという前提に立って制作されているアルバムであります。
とはいえ土着感は希薄で、如何にもなレゲエを感ずるのはシスター・スレッジのカヴァー「You're A Friend To Me」と「Gonna Go To I Colony」位の物で、スネアにスカ風なカンカンとした響きを装ってはいるものの、全体的には汗臭さの無い音像処理となっている様に思えます。
とは言うものの、高橋ユキヒロ(当時のカナ表記)の「You're A Friend To Me(ナイル・ロジャース作)」でのドラム・リフは原曲の良さを超越している程で、オリジナルの方もボーカルのピッチが甘い所がある(おそらく当人にとってキーが高過ぎる)為、本曲のボコーダーによるメロディーの方が冴え渡って聴こえてしまう程秀逸な出来でもあります。
尚、後年SHM-CDで発売された『サマー・ナーブス』(MHCL 30130)のライナー・ノーツには、坂本龍一氏とのインタビューとしてインタビュアーに田中雄二氏が興味深い質問を多く投げかけておりますが、田中氏がライナー・ノーツの中で「You're A Friend To Me」を「シック(Chic)」の曲としているのは誤りで、正しくは「シスター・スレッジ(Sister Sledge)」であるので、注意しておきたい所。
クレジットもライナー・ノーツも決して鵜呑みには出来ず、第三者からの客観的な例証があって初めて事実が顕になるという事がある物なのです。
扨て、本題である「カクトウギのテーマ」の話題について語るとしますが、今回私がYouTubeにアップしているギター・ソロは、当時から触れ込みがあった《覆面ギタリスト》のプレイであると私は確信しているのでありますが、抑も本曲オリジナルのクレジットにはギタリストとして、鈴木茂、松原正樹の両氏の名前しかクレジットされておりません。
更に正確に述べると、本曲の「ギター・ソロ」として態々《松原正樹 Aria Pro Ⅱ / LabL 7》としてクレジットされてはいるのですが、運指などを色々確認すると松原正樹らしさよりも「第3のギタリスト」という風にどうしても感じてしまわざるを得ないプレイなので、クレジットを鵜呑みにできないという私の推測が、どうしても確信に変じてしまうのです。
2人のどちらかが覆面ギタリストなのではなく、ギター・ソロの運指などの状況を勘案するとこれは、「Sweet Illusion」の後半のギター・ソロと同様《アブドゥーラ・ザ・"ブッシャー"》こと渡辺香津美のプレイであろうと思われる為、その特徴的なプレイを語って行こうかと思います。
日本コロムビアとの専属契約にあった渡辺香津美は、YMOのワールド・ツアーに参加するも、それがレコードとしてリリースされる事は契約に抵触するという事情もあってギター・トラックが消されていた位です。そればかりでなく、アルバム『サマー・ナーヴス』のクレジットですらも「アブドゥーラ・ザ・”ブッシャー”」としか名乗らざるを得なかったという物を考えると、相当難しい事情であった事が判ります。
無論、そうした状況があったと雖も《渡辺香津美の事情を松原正樹が被る必要もなかろう》と推察するのが第一の判断ではありますが、運指など多くの状況を知れば知る程、渡辺香津美の様に聴こえてしまう為、こうした判断に至っているという訳です。
クレジットそのものが《証明》と判断する物分かりの好いリスナーの一人が私であれば良かったのでありますが、ギター・ソロを《どこからどう聴いても渡辺香津美には聴こえない》という物ではなく寧ろ《どこをどう聴いても渡辺香津美にしか聴こえない》ので、多くの事情と《覆面ギタリスト》というプロレスを想起させる演出に松原正樹が乗っかってくれたというのが実際なのではないか!? と私は思っているのです。
卓越したテクニックを持つ松原正樹ですが、私の耳には松原正樹のプレイというのは外国人ギタリストに喩えるならばロベン・フォード風のプレイを繰り広げるプレイヤーであると思っており、他方、渡辺香津美のプレイのそれはジョン・エサリッジ風に喩える事ができ、両者のプレイは全く異なるのでありますが、それ位の違いが本曲のギター・ソロに感じてしまう為、私はクレジットを鵜呑みにしていないという訳です。
出版物のそれこそが典拠ではあるものの、事実が異なるという状況は本曲に限らず少なくない物です。唯、これだけは言っておきたいのですが、本曲のギター・ソロが松原正樹であろうが渡辺香津美であろうが私にとってそれは重要な事ではなく、《「カクトウギのテーマ」のギター・ソロを可能な限り細かく採譜した》という点を第一に注目していただきたいと思います。
もしも、過去に『サマー・ナーヴス』バンド・スコアなどがリリースされていたという状況であるならば私はそれに屈伏し、後発であるという事を甘んじて受け入れますが、少なくとも本曲の楽譜など過去に存在したというのは私の見聞の範囲では知りません。そうした点をあらためて勘案していただいた上で《本曲ギター・ソロは松原正樹か否か》という議論や反論をぶつけていただきたいと思います。
楽譜だけは私の例証に乗っかり乍ら、自身の解釈と異なる点を見つけるや否や鬼の首を取った様に針小棒大に論って批判したり、事実とは異なるとばかりに興醒めする様を態々私にぶつけるのはおやめいただきたいと思わんばかり。約言すれば、《文句があれば自分で一汗かいて例示してからにしろ》という事ですね。
こちらも恥を忍んで、敢えて周知されたそれに対して疑義を抱き、それを単なる個人的な主観に基づいた推測のままで済ませぬ為に、ギター・ソロを詳らかに採譜しているので、例証の示し方としては一定のルールに基づいております。それでも、私のそれに合点が行かないのであれば、こんな戯れ事を態々目を通す必要も無い事でしょう。《根拠のある反論》を私は歓迎しますが、「根拠なき反論」はおやめいただきいとあらためて念を押しておこうと思います。
後年、SHM-CD仕様でリマスタリング再発された『サマー・ナーブス』のライナー・ノーツには、坂本龍一本人による寄稿で《アブドゥーラ・ザ・"ブッシャー"とは渡辺香津美の変名》と明かしております。
とはいえ、「カクトウギのテーマ」にはアブドゥーラ・ザ・”ブッシャー”の名もないので、プレイに関して確証が無ければおいそれと誰彼と特定しようとする事には尻込みしてしまいかねない事でありましょう。
本曲ギター・ソロには、渡辺香津美たる特徴的なプレイが3箇所あります。これらの特徴がある事で私は渡辺香津美であると確信しているのでありますが、その辺りを譜例動画の16小節を詳らかに順に語って行くので、その過程にて特徴的なプレイを挙げて行く事とします。
ギター・ソロ部分のコード進行は大まかに《2コード・パターン》が転調する様にして形成されております。その2コード・パターンの循環となっているコード進行は基本的な形として《Ⅰm9 ->Ⅳ69》という物であり、先行2コードがト短調(Key=Gm)の「Gm9 -> C69」、後続2コードがヘ短調(Key=Fm)の「Fm9 -> B♭69」という構造になっています。
加えて、各々の2コード・パターンでの「Ⅰ度」を基本音とするドリアン・モードで奏するというのが基本パターンですので、自ずと最初の2コード・パターンでは「Gドリアン・モード」でアプローチが採られ、後続の2コード・パターンが「Fドリアン・モード」という事になります。
まあ、それにしても本曲の2小節パターンでのベース・リフに於ける各偶数小節では《上音から入り、根音を後に置く》というフレージングは実に巧みな物であり、ベーシストならば《根音から入らない》という事の難しさがあらためてお判りになろうかと思います。
先行する奇数小節でのベース・フレーズの拍節を偶数小節ではそのままに拍節を利用しますが、根音(=ルート)と上音の配置関係は全く異なる状況となり、これがアンサンブルに対してより複雑な響きを作り出す事に貢献しているという訳です。
こうした上音の活かし方は、ジャズのアウトサイドなウォーキング・ベースでも応用が利かせられる方策でもあるので、《分数コードには成らず》《根音を後に置く》という事の妙味を熟知していただきたいと思います。
念の為に語っておくと《上音》とは、和音構成音に於ける《根音以外の音》を指します。和音以外にも、倍音が関係している状況での複合音(※純音以外)の基本音以外の音を「上音」と呼ぶ事もあります。
その理由として、倍音を生じている複合音の組成状況は、必ずしも上方倍音列だけで構成されているのではなく、非整数次倍音列や物体の固有振動なども含んでいるからであります。和音以外にも《上音》という呼称が使われるという事は知っておいて欲しいと思いますが、倍音の時の上音は更に限定的な状況となる所に注意が必要です。
余談ではありますが、1983年に日野皓正がリリースしたアルバム『New York Time』収録の同名曲「New York Time」でのトム・バーニーによるベース・リフは4小節パターンと長い物で、B♭7一発で延々と上音を使い、3小節目(※16分音符1つ分食って入るシンコペーションなので、2小節目4拍目ケツ)で初めて根音が現れるという非常に素晴らしい上音の使い方(且つ分数コードにならない)でもあるので、本曲も参考にしていただきたいと思う事頻りであります。
茲からギター・ソロ解説となりますが、本曲は十六分音符のスウィングがメインである為、4つの連桁で括られる十六分音符はハネたスウィングを基とする事になります。
他方、通常の十六分音符の様に《ハネない》平滑化させたプレイが現れる時には、それを《2連符》または《4連符》という様にして、明確に異なる状況を示しているという事を念頭に置いていただきたいと思います。
ギター・ソロ1小節目1拍目は、いきなり1拍6連符を基とする連符内連符が現れており、この次点で尋常ではない符割が読み手を瞠目させてしまう程の説得力があるプレイとなっております。
同小節の1・2拍目を追っていただければこのフレーズの特徴的なメトリック(拍節)感を確認する事が出来ると思いますが、その特徴とは《1拍6連4フィギュア》つまり、《1拍6連の4パルス刻みが3組》を形成して2拍を充填しているメトリック構造という事です。
ですので、連符内連符の「子」部分の連符の入れ子となる3連は、16分3連の1パルスを3連符化した物となるので、同小節2拍目拍頭が同様に16分3連の2パルスを形成している事で《2組目の4フィギュア》が表されているという事になり、そうして《3組目の4フィギュア》は1拍6連の1パルスが半分になった32分で分割する所から再度始まり充填されているという事となるのです。
この《1拍6連4フィギュア》が渡辺香津美の運指の特徴の一つであると言えますが、これだけではまだまだ確証には至りません。
2小節目拍頭はノン・ダイアトニックの倚音 [as] が上主音「Ⅱ」への上行導音として作用していますが、あくまで「♭Ⅱ度」としての倚音という立場を採っています。「♯Ⅰ度」という風に聴こえる人は先ず居られないかと思いますが、こうしたイントネーションの揺さぶりは卑近なダイアトニック感を避けるが故のフレージングである事は言うまでも無いでしょう。
また、同小節4拍目拍頭ではブルー五度である「♭Ⅴ度」= [des] を生じていますが、遉にこの倚音はブルーノートとしての振る舞いとして耳に優しく響く事でありましょう。
3小節目1拍目八分裏での [b] はスタッカート。同小節2拍目では下接刺繍音として [ges] を生じますが、この [ges] は決して「♮Ⅶ度」相当の音ではなく増一度下の音と解釈するのが自然でありましょう。
更に、同小節4拍目八分裏での [g] からのグリッサンドは、概ね4フレット下行を採ると良いでしょうが、4フレットを下った所で押弦を曖昧にする様にしても差し支えは無いでしょう。
4小節目拍頭での長前打音(装飾音)[f] は、《短前打音》ではありません。《長前打音》である必要があるので、装飾音の物理的な音価は自ずと短前打音よりも長く採る必要があるという事を示しております。つまり、チョーキング・アップする時間は急峻ではなく、ある程度長め(それでも物理的な時間は短いが)に採るという意味になります。
5小節目で注意したいのは4拍目での重音部分です。上声部分は半拍3連の歴時の [2:1] でありますが、下声部 [g] は八分音符を丸々包摂する形で「重音」が採られます。しかもこの下声部は16分3連1パルス分移勢(シンコペーション)して入っているという所にも注意が必要です。
6小節目1・2拍目ではワイド・ストレッチのフィンガリングが必要とされる部分です。同小節2拍目拍頭での長前打音が「12フレット」という事で、親指を固定したストレッチは無理ですので、速いポジション移動が必須となります。尚、長前打音後はチョーキングではなくハンマリング・オンという事になります。
3拍目では短前打音の [cis] が現れます。《先のブルー五度とは何が違うのか!?》と思われるかもしれませんが、先行音の [c] および後続音の [d] という長二度は《増一度→短二度》という状況の半音音程であるので、決して過程の音は [des] ではないのです。《半音階的半音》が前後の全音階音組織に対してどういう状況になっているのか!? という事が判れば難しい物ではありません。
仮に、調性を示唆する和音が背景になく(調性とは無関係な半音階的で特殊な和音など)、それで自由闊達なフレージングを半音階的に施すというのであれば、その「半音」は作者が提示する以外に特定する事は難しいでしょう。しかし、本曲は十分調性の範囲内で解釈されている半音階的半音である為、特定する事が可能なのであります。
7小節目拍頭では [c] より50セント高い微分音を「あらかじめ」チョーキング・アップさせて奏する必要があります。そこから《350セント(短三度+50セント)をチョーキングせよ》という意味なのではなく、《あらかじめチョーキング・アップさせておいてからフレット上ではワイド・ストレッチで4フレットのハンマリング・オン》という状況を示しているのです。
同小節2拍目は [d] より50セント低い微分音を生じます。直前の [c] からは《150セント上げ》となるチョーキングが必要とされる訳ですが、微分音の音程量を示すセント数はあくまで「幹音」からのセント数を示しているので混乱されぬ様お願いします。
同箇所で最も注意すべきは、弦を跨いだ跳躍の運指を用いている点であり、[b] 音の完全八度の音程跳躍を用いていたりするのは《第2の渡辺香津美の特徴》と言えるフレーズのひとつでありましょう。
尚、完全八度(オクターヴ)を通常のギターのチューニングで最も手軽に押弦できるフォームとは、弦を1本跨いで用いる物でありますが、タブ譜での押弦ポジションを確認すると2本の弦を跨いでいる事が判ります。
渡辺香津美のオクターヴの運指は必ずしも平易なオクターヴのフォームのみならず、斯様に2本の弦を跨いだり、完全五度のフォームでも態々弦を1本跨ぐフォームを形成させる事があります。これは、ジョージ・ベンソンの様にスウィープをいつ仕掛けても好い様にしている策でもあり、スウィープが視野に入っている事で、跨いだ弦を《材料音》にする事が出来るからであります。
勿論、オクターヴ奏法とは異なるオクターヴ跳躍を使う時に必ずスウィープを用いるという訳でもありません。唯、タブ譜の方で示した [2→5] 弦への2本の弦を跨いだ直後に4弦を使う(これは材料音として用いる為の策)という所に、《覆面ギタリスト》らしさが垣間見えており、こうした弦を跨ぐアイデアは別の運指にも活かされ、後の13小節目でも見られる運指に昇華させている事も判ります。それについては後述します。
8小節目1・2拍目では、4弦の音はプリング・オフを除いて全てチョーキングで音程を制御する必要があります。しかも、そのチョーキングの過程で3弦 [f] の重音を生ずる直後で微分音からのプリング・オフはかなり難しいと思います。それをやってのけているのですから素晴らしい演奏である事があらためて窺い知れるという物です。
尚、同小節2拍目での4連符は、スウィングしていない(ハネていない)平滑化した十六分音符である所はあらためて注意をしていただきたい箇所でもあります。とはいえ3拍目ではハネているという事です。この乙張りにも注意が必要です。
同小節3拍目は、先述の様に下接刺繍音 [ges] が再度現れます。そうして同小節4拍目のチョーキング・アップ&ダウンに依る6連符上での [ces] という表記。読む人にとっては [h] の方が [ces] よりも圧倒的に目にする頻度が高いので、理論的な解釈以前に合理的解釈から [h] を選択したくなる人はかなり多いと思うのです。
然し乍ら、当該コードは「C69」上であろうとも、ここは音組織上での「減四度」であるので [h] だと音組織上では長三度由来の音になってしまうので、茲は「減四度」としての [ces] が [c] に対して揺さぶり(=イントネーション)を掛けているというアプローチである訳です。
《先行する和音外音=倚音の [ces] は「C69」上ではアヴォイドではないか》
と言いたくなる人も居られるでしょうが、多様なフレージングというのは和音構成音や其處から想起されるアヴェイラブル・モード・スケールなど軽々と超越する物です。また、そうしたアヴェイラブル・モード・スケール外の音というのは、その外れ加減は相当な反発力を具備しているので、この反発力を逆手にとってフレージングの跳躍具合に弾みを付ける材料にするのは非常に理に適ったアプローチであるという事も付け加えておきましょう。
9小節目は、茲から転調(ヘ短調)が生じた上での2コード循環のパターン「Fm9 -> B♭69」となります。四分休符を置いて2拍目から複前打音を生じていますが、[9 - 12] フレットを1フレットずつ [人差し指 - 小指] を順に運指させている状況であるので容易なフィンガリングであると思います。
そうして同小節4拍目以降は「4連符」が続く事になります。繰り返し言う様ですが、この4連符は平滑化された十六分音符であります。
10小節目1・2拍目でも4連符は強行され、3拍目の7連符は少々厄介に思えるかもしれませんが、2拍目最後の [es] 音が掛留しているに過ぎず、拍頭が過ぎた直後に3音を《3連符を急く》様に奏すればニュアンスを掴みやすいかと思います。
続いて同小節4拍目も再び4連符が現れますが、重要なのは [as - c] という長三度(4フレット)のワイド・ストレッチに依るハンマリング・オンでありましょう。
11小節目は先行小節での [b] が掛留となりますが、2連符の意味は平滑化された十六分音符ですので、その後の十六分休符も勿論、平滑化している歴時の上でのタイミングとなります。連桁を分断しているので視覚的に惑わされてしまいかねない事もあろうかと思いますが、連行を分断している理由は、分断の前後の拍節感が異なる事に依るのが最大の理由であります。
加えて、分断後の連桁での2つの十六分音符は平滑化させずにハネさせる物でもある為、拍節感の違いをより一層明確にしておきたかったという事でもあるのです。合理化された楽譜では連桁が愚直に繋がれている物に多く遭遇すると思いますが、私の楽譜というのは合理化された書き方を極度に避ける傾向にある事は今に始まった事ではありませんので、そうした点も考慮していただければ幸いです。
無論、視覚的には平易な譜面(ふづら)であるのに反して出て来る音が複雑という作品も非常に素晴らしい物であり、それは同時にとても理想的な形ではあるのですが、《時と場合によりけり》という訳であります。大半の私の楽譜は、合理化された物とは正反対に位置する所にあろうかと思います。
また、多くの坂本龍一の楽譜の譜面(ふづら)は視覚的にシンプルな物が多く、ミニマリズムの中に潜むデュナーミクやアゴーギグが楽譜の底意として表現されている事が読み取れます。シンプル故に邃(ふか)い。見習いたい物です。
尚、同小節2拍目には [heses] という音組織上での減四度が現れます。これは直前の [as] からの短二度で [heses] である訳ですが、決して [a] ではありません。異名同音ではあるものの、異名同音とは読み手にとって都合の好い解釈として選択される物ではありません。
また、その減四度が短和音(マイナー・コード)上に現れるという所もあらためて認識しておいて欲しい所であります。[as] の存在があるが故に、[heses] が決して [a] ではない事が同時に判るのです。
仮にマイナー・コード上で [as] の存在が無いままに [a] として音を奏でてしまえば、違和感の方が際立つ事でしょう。なぜなら「Fm9」というコード上で [a] が生じてしまっているからです。然し乍ら、[as] の存在を示した上で [heses] と示すのは [a] として聴こえる訳ではありません。
とはいえ減四度の前には《予備》(=音楽理論としての、前提となる音の存在という意)が必ず生ずる必要があるという訳ではありません。コードが機能している拍節内で、音階外の音の後にダイアトニックを生ずる例もありますが、後者の感ずる違和はより強い物です。そういう意味では、当該箇所での違和というものは比較的柔和であるとも言えるでしょう。
同小節3拍目の [es] に振られている記号はメゾスタッカートです。長めのスタッカートですが短い音価であるという事です。直後の同小節4拍目の [b] はスタッカートであるというのも是亦注意をしていただきたい所です。
12小節目1拍目には [ces] を生じていますが、これは音組織の上でのブルー五度であります。また、同小節2拍目では再び減四度 [heses] が現れる所もあらためて注意を払う必要があろうかと思います。
同小節4拍目八分裏の半拍3連から特徴的な「速弾き」フレーズが開始されますが、それでは13小節目を確認してもらう事にしましょう。3拍20連符(eicosuplet / vigennuplet)です。拍節的には [7+6+7] 連符の様な構造になっているのですが、其々の歴時は平滑化されているので決して [7+6+7] 連符なのではないという点に注意する必要があります。
また、この20連符で特徴的なのは、上声部で書かれる運指は《人差し指+中指のストレッチ》でペンタトニック・ユニット(=ペンタトニックを1音欠いた断片の事)を奏しつつ、余った他の指で低音側の弦を高音側とは異なる脈絡で「二声」を形成させるフレージング、というのが最も渡辺香津美らしさを持ったプレイではなかろうかと思います。
つまり、上声部の《人差し指+中指》とは別に、下声部の方は《薬指》を押弦した直後にスライドさせているという訳です。互いの動きは独立するかの様にして「二声部」を形成させるのですが、渡辺香津美の場合は他にも《人差し指+小指》でペンタトニック・ユニットを弾き乍ら、《中指+薬指》を独立させて低音弦で別声部を弾くというアプローチを見せる事もあります。
斯様な、独立した声部を作る事を企図する運指が《第3の渡辺香津美の特徴》でもあり、最も彼らしい特徴的な運指であろうと思います。このプレイがある為に《覆面ギタリスト》の正体が顕になるという訳で、何も無根拠に《覆面ギタリスト》=《アブドゥーラ・ザ・"ブッシャー"》=《渡辺香津美》と決め付けている訳ではないのです。こうした特徴を見抜けない人からすればギタリストを特定できずに尻込みしてしまいかねないでしょうが、私は確信を持って「渡辺香津美」と述べいるのは、これまで列挙して来た特徴が如実に現れているというのが根拠としているからであります。
尚、20連符の下声部最後の2音は左手の薬指&小指のタッピング(押弦)のみでの音であろうと思われます。そうして同小節4拍目ではチョーキングに入るという訳ですから、非常に事細かな運指が要求される状況と言えるでしょう。
14小節目2拍目の7連符でのチョーキング・アップ&ダウンも見事な音程制御であろうと思います。茲で生ずる [heses] はヘ短調音組織での「減四度」なのであり、「B♭69」というコードから見れば恰も根音を外す様に見えてしまいかねずアヴォイドと尻込みしてしまうかもしれませんが、下属音の提示があってこそ活きる減四度というイントネーションだと思えば取扱いがしやすかろうと思います。
15小節目で特筆すべきは、3拍目での2弦開放を弾いた後に6弦へ跳躍してロー・ポジションへの速やかなポジション・チェンジが目を瞠る部分であろうかと思います。
そうして16小節目でもロー・ポジションを維持し乍ら重音を交えつつ、3・4拍目での4弦3フレットで主音に対してイントネーションを付けて半音上げ程度のチョーキング・ビブラートを交えて、最後は主音の半音下へスライドさせているという訳です。主音をそのまま白玉で伸ばしてしまうとあからさまに卑近な感じになるのを避けて揺さぶりをかけているが故のアプローチでありましょう。
そこでの主音の揺さぶりは《上下に短二度》という半音階的半音で解釈している為、[f] の半音上は増一度ではなく短二度の [ges] として表し、同様に [f] の半音下も増一度ではなく短二度下の [e] として表しているという訳です。
こうして「カクトウギのテーマ」のギター・ソロ解説を語って来ましたが、ギター・トラックにはBus送りを前提とするプレート・リバーブを掛けております。
このプレート・リバーブにはプリディレイに131ミリ秒、+6dBカットのスロープ・オフに依るHPFのカット周波数を1070Hzに採った上で、リバーブ音をM/S処理でサイドに配置させています。こうする事でリバーブへのセンド量を大き目に採ってもセンター付近の音像を毀損する事がなく非常にスッキリとした音像に仕上げる事が出来る事に加え、リバーブ・センド量を大き目にする事で原曲と同様の「スラップ感」が現れるので、やたらと目立つ残響の様にさせずに済むのがメリットでもあります。
その上で、オリジナルのライナー・ノーツに明記されているOrbanの422A(ディエッサー/リミッター)を模倣する為に、高域がやや際立つギターの音を残響が悪戯に増幅させない様にリバーブ音にディエッサーを掛けております。
リバーブのサイド配置はかなりスタンダードな手法であり、リバーブ音のローカットはスティーリー・ダンの「Black Cow」を参考にしている手法に基づいて使っております。
今回、ギター・トラックの打ち込みに活躍したエフェクト類はIK MultimediaのAmplitubeでありますが、ベースの方もAmplitubeに内蔵のMU-TRON(ミュートロン)をモデリングしたフィルターを使っております。
原曲は恐らくマイクロ・シンセサイザーも通している為か、subベース音も合成されている様に聴こえます。それに近づける為に、Native InstrumentsのGuitarRigに搭載されている 'Harmonic Synthesize' を併存させて音を作っております。フランジャーも薄く掛けております。
それはそうと本曲「カクトウギのテーマ」というのは、これほど広汎に知れ渡っているにも拘らず、譜例などの資料に遭遇した経験は無く、山下邦彦著『坂本龍一・全仕事』『坂本龍一の音楽』でも一切紹介されていない事にあらためて驚いた私であります。アルバム『サマー・ナーヴス』収録楽曲で取り上げられているのは、「Summer Nerves」「Sleep On My Baby」「Time Trip」「Sweet Illusion」で、それらも断片的に原譜の画像と共に断片的に紹介されているに過ぎないというのが残念な所でありましょう。
本曲ギター・ソロ部だけでもYMO関連楽曲を制作する方々への参考になれば幸いです。
本曲はYMO周辺を知らない人であっても古くからのプロレス・ファンの間ではかなり知られた楽曲ではなかろうかと思います。それというのも本曲は、全日本プロレス(関東では4チャンネルの日本テレビ放送)の番組BGMに用いられていたのであり、特に試合が早く終わってしまうと番組最後まで対戦予定相手などの紹介を埋める必要があり、時には延々と本曲がループ再生させられる事も少なくありませんでした。
アニメではキン肉マンが人気を博していた時期であり、テリー&ドリー・ファンク兄弟、ミル・マスカラス&ドス・カラス、スタン・ハンセン・アブドゥーラ・ザ・ブッチャー、ブルーザー・ブロディ、ジョー樋口やらの名を挙げれば枚挙に遑がない程に話題を攫っていた時期でありました。そうした人気が白熱していた所に使われていた楽曲である為に広く知られているという訳であります。
坂本龍一以外の名がクレジットされている事で実質的にはソロ・アルバム扱いにならないのがアルバム『サマー・ナーブス』という企画モノなのでもありますが、クロスオーバー/フュージョンを極度に嫌った細野晴臣も本アルバムでは「ニューロニアン・ネットワーク(Neuronian Network)」という楽曲を提供しており、NHK-FMの『クロスオーバー・イレブン』では不定期乍らも頻繁に掛かっておりました。
アルバム全体は、各楽器を「格闘技」の様に互いのプレイを闘わせるという風に謳われておりますが、着想そのものはレゲエ/スカという前提に立って制作されているアルバムであります。
とはいえ土着感は希薄で、如何にもなレゲエを感ずるのはシスター・スレッジのカヴァー「You're A Friend To Me」と「Gonna Go To I Colony」位の物で、スネアにスカ風なカンカンとした響きを装ってはいるものの、全体的には汗臭さの無い音像処理となっている様に思えます。
とは言うものの、高橋ユキヒロ(当時のカナ表記)の「You're A Friend To Me(ナイル・ロジャース作)」でのドラム・リフは原曲の良さを超越している程で、オリジナルの方もボーカルのピッチが甘い所がある(おそらく当人にとってキーが高過ぎる)為、本曲のボコーダーによるメロディーの方が冴え渡って聴こえてしまう程秀逸な出来でもあります。
尚、後年SHM-CDで発売された『サマー・ナーブス』(MHCL 30130)のライナー・ノーツには、坂本龍一氏とのインタビューとしてインタビュアーに田中雄二氏が興味深い質問を多く投げかけておりますが、田中氏がライナー・ノーツの中で「You're A Friend To Me」を「シック(Chic)」の曲としているのは誤りで、正しくは「シスター・スレッジ(Sister Sledge)」であるので、注意しておきたい所。
クレジットもライナー・ノーツも決して鵜呑みには出来ず、第三者からの客観的な例証があって初めて事実が顕になるという事がある物なのです。
扨て、本題である「カクトウギのテーマ」の話題について語るとしますが、今回私がYouTubeにアップしているギター・ソロは、当時から触れ込みがあった《覆面ギタリスト》のプレイであると私は確信しているのでありますが、抑も本曲オリジナルのクレジットにはギタリストとして、鈴木茂、松原正樹の両氏の名前しかクレジットされておりません。
更に正確に述べると、本曲の「ギター・ソロ」として態々《松原正樹 Aria Pro Ⅱ / LabL 7》としてクレジットされてはいるのですが、運指などを色々確認すると松原正樹らしさよりも「第3のギタリスト」という風にどうしても感じてしまわざるを得ないプレイなので、クレジットを鵜呑みにできないという私の推測が、どうしても確信に変じてしまうのです。
2人のどちらかが覆面ギタリストなのではなく、ギター・ソロの運指などの状況を勘案するとこれは、「Sweet Illusion」の後半のギター・ソロと同様《アブドゥーラ・ザ・"ブッシャー"》こと渡辺香津美のプレイであろうと思われる為、その特徴的なプレイを語って行こうかと思います。
日本コロムビアとの専属契約にあった渡辺香津美は、YMOのワールド・ツアーに参加するも、それがレコードとしてリリースされる事は契約に抵触するという事情もあってギター・トラックが消されていた位です。そればかりでなく、アルバム『サマー・ナーヴス』のクレジットですらも「アブドゥーラ・ザ・”ブッシャー”」としか名乗らざるを得なかったという物を考えると、相当難しい事情であった事が判ります。
無論、そうした状況があったと雖も《渡辺香津美の事情を松原正樹が被る必要もなかろう》と推察するのが第一の判断ではありますが、運指など多くの状況を知れば知る程、渡辺香津美の様に聴こえてしまう為、こうした判断に至っているという訳です。
クレジットそのものが《証明》と判断する物分かりの好いリスナーの一人が私であれば良かったのでありますが、ギター・ソロを《どこからどう聴いても渡辺香津美には聴こえない》という物ではなく寧ろ《どこをどう聴いても渡辺香津美にしか聴こえない》ので、多くの事情と《覆面ギタリスト》というプロレスを想起させる演出に松原正樹が乗っかってくれたというのが実際なのではないか!? と私は思っているのです。
卓越したテクニックを持つ松原正樹ですが、私の耳には松原正樹のプレイというのは外国人ギタリストに喩えるならばロベン・フォード風のプレイを繰り広げるプレイヤーであると思っており、他方、渡辺香津美のプレイのそれはジョン・エサリッジ風に喩える事ができ、両者のプレイは全く異なるのでありますが、それ位の違いが本曲のギター・ソロに感じてしまう為、私はクレジットを鵜呑みにしていないという訳です。
出版物のそれこそが典拠ではあるものの、事実が異なるという状況は本曲に限らず少なくない物です。唯、これだけは言っておきたいのですが、本曲のギター・ソロが松原正樹であろうが渡辺香津美であろうが私にとってそれは重要な事ではなく、《「カクトウギのテーマ」のギター・ソロを可能な限り細かく採譜した》という点を第一に注目していただきたいと思います。
もしも、過去に『サマー・ナーヴス』バンド・スコアなどがリリースされていたという状況であるならば私はそれに屈伏し、後発であるという事を甘んじて受け入れますが、少なくとも本曲の楽譜など過去に存在したというのは私の見聞の範囲では知りません。そうした点をあらためて勘案していただいた上で《本曲ギター・ソロは松原正樹か否か》という議論や反論をぶつけていただきたいと思います。
楽譜だけは私の例証に乗っかり乍ら、自身の解釈と異なる点を見つけるや否や鬼の首を取った様に針小棒大に論って批判したり、事実とは異なるとばかりに興醒めする様を態々私にぶつけるのはおやめいただきたいと思わんばかり。約言すれば、《文句があれば自分で一汗かいて例示してからにしろ》という事ですね。
こちらも恥を忍んで、敢えて周知されたそれに対して疑義を抱き、それを単なる個人的な主観に基づいた推測のままで済ませぬ為に、ギター・ソロを詳らかに採譜しているので、例証の示し方としては一定のルールに基づいております。それでも、私のそれに合点が行かないのであれば、こんな戯れ事を態々目を通す必要も無い事でしょう。《根拠のある反論》を私は歓迎しますが、「根拠なき反論」はおやめいただきいとあらためて念を押しておこうと思います。
後年、SHM-CD仕様でリマスタリング再発された『サマー・ナーブス』のライナー・ノーツには、坂本龍一本人による寄稿で《アブドゥーラ・ザ・"ブッシャー"とは渡辺香津美の変名》と明かしております。
とはいえ、「カクトウギのテーマ」にはアブドゥーラ・ザ・”ブッシャー”の名もないので、プレイに関して確証が無ければおいそれと誰彼と特定しようとする事には尻込みしてしまいかねない事でありましょう。
本曲ギター・ソロには、渡辺香津美たる特徴的なプレイが3箇所あります。これらの特徴がある事で私は渡辺香津美であると確信しているのでありますが、その辺りを譜例動画の16小節を詳らかに順に語って行くので、その過程にて特徴的なプレイを挙げて行く事とします。
ギター・ソロ部分のコード進行は大まかに《2コード・パターン》が転調する様にして形成されております。その2コード・パターンの循環となっているコード進行は基本的な形として《Ⅰm9 ->Ⅳ69》という物であり、先行2コードがト短調(Key=Gm)の「Gm9 -> C69」、後続2コードがヘ短調(Key=Fm)の「Fm9 -> B♭69」という構造になっています。
加えて、各々の2コード・パターンでの「Ⅰ度」を基本音とするドリアン・モードで奏するというのが基本パターンですので、自ずと最初の2コード・パターンでは「Gドリアン・モード」でアプローチが採られ、後続の2コード・パターンが「Fドリアン・モード」という事になります。
まあ、それにしても本曲の2小節パターンでのベース・リフに於ける各偶数小節では《上音から入り、根音を後に置く》というフレージングは実に巧みな物であり、ベーシストならば《根音から入らない》という事の難しさがあらためてお判りになろうかと思います。
先行する奇数小節でのベース・フレーズの拍節を偶数小節ではそのままに拍節を利用しますが、根音(=ルート)と上音の配置関係は全く異なる状況となり、これがアンサンブルに対してより複雑な響きを作り出す事に貢献しているという訳です。
こうした上音の活かし方は、ジャズのアウトサイドなウォーキング・ベースでも応用が利かせられる方策でもあるので、《分数コードには成らず》《根音を後に置く》という事の妙味を熟知していただきたいと思います。
念の為に語っておくと《上音》とは、和音構成音に於ける《根音以外の音》を指します。和音以外にも、倍音が関係している状況での複合音(※純音以外)の基本音以外の音を「上音」と呼ぶ事もあります。
その理由として、倍音を生じている複合音の組成状況は、必ずしも上方倍音列だけで構成されているのではなく、非整数次倍音列や物体の固有振動なども含んでいるからであります。和音以外にも《上音》という呼称が使われるという事は知っておいて欲しいと思いますが、倍音の時の上音は更に限定的な状況となる所に注意が必要です。
余談ではありますが、1983年に日野皓正がリリースしたアルバム『New York Time』収録の同名曲「New York Time」でのトム・バーニーによるベース・リフは4小節パターンと長い物で、B♭7一発で延々と上音を使い、3小節目(※16分音符1つ分食って入るシンコペーションなので、2小節目4拍目ケツ)で初めて根音が現れるという非常に素晴らしい上音の使い方(且つ分数コードにならない)でもあるので、本曲も参考にしていただきたいと思う事頻りであります。
茲からギター・ソロ解説となりますが、本曲は十六分音符のスウィングがメインである為、4つの連桁で括られる十六分音符はハネたスウィングを基とする事になります。
他方、通常の十六分音符の様に《ハネない》平滑化させたプレイが現れる時には、それを《2連符》または《4連符》という様にして、明確に異なる状況を示しているという事を念頭に置いていただきたいと思います。
ギター・ソロ1小節目1拍目は、いきなり1拍6連符を基とする連符内連符が現れており、この次点で尋常ではない符割が読み手を瞠目させてしまう程の説得力があるプレイとなっております。
同小節の1・2拍目を追っていただければこのフレーズの特徴的なメトリック(拍節)感を確認する事が出来ると思いますが、その特徴とは《1拍6連4フィギュア》つまり、《1拍6連の4パルス刻みが3組》を形成して2拍を充填しているメトリック構造という事です。
ですので、連符内連符の「子」部分の連符の入れ子となる3連は、16分3連の1パルスを3連符化した物となるので、同小節2拍目拍頭が同様に16分3連の2パルスを形成している事で《2組目の4フィギュア》が表されているという事になり、そうして《3組目の4フィギュア》は1拍6連の1パルスが半分になった32分で分割する所から再度始まり充填されているという事となるのです。
この《1拍6連4フィギュア》が渡辺香津美の運指の特徴の一つであると言えますが、これだけではまだまだ確証には至りません。
2小節目拍頭はノン・ダイアトニックの倚音 [as] が上主音「Ⅱ」への上行導音として作用していますが、あくまで「♭Ⅱ度」としての倚音という立場を採っています。「♯Ⅰ度」という風に聴こえる人は先ず居られないかと思いますが、こうしたイントネーションの揺さぶりは卑近なダイアトニック感を避けるが故のフレージングである事は言うまでも無いでしょう。
また、同小節4拍目拍頭ではブルー五度である「♭Ⅴ度」= [des] を生じていますが、遉にこの倚音はブルーノートとしての振る舞いとして耳に優しく響く事でありましょう。
3小節目1拍目八分裏での [b] はスタッカート。同小節2拍目では下接刺繍音として [ges] を生じますが、この [ges] は決して「♮Ⅶ度」相当の音ではなく増一度下の音と解釈するのが自然でありましょう。
更に、同小節4拍目八分裏での [g] からのグリッサンドは、概ね4フレット下行を採ると良いでしょうが、4フレットを下った所で押弦を曖昧にする様にしても差し支えは無いでしょう。
4小節目拍頭での長前打音(装飾音)[f] は、《短前打音》ではありません。《長前打音》である必要があるので、装飾音の物理的な音価は自ずと短前打音よりも長く採る必要があるという事を示しております。つまり、チョーキング・アップする時間は急峻ではなく、ある程度長め(それでも物理的な時間は短いが)に採るという意味になります。
5小節目で注意したいのは4拍目での重音部分です。上声部分は半拍3連の歴時の [2:1] でありますが、下声部 [g] は八分音符を丸々包摂する形で「重音」が採られます。しかもこの下声部は16分3連1パルス分移勢(シンコペーション)して入っているという所にも注意が必要です。
6小節目1・2拍目ではワイド・ストレッチのフィンガリングが必要とされる部分です。同小節2拍目拍頭での長前打音が「12フレット」という事で、親指を固定したストレッチは無理ですので、速いポジション移動が必須となります。尚、長前打音後はチョーキングではなくハンマリング・オンという事になります。
3拍目では短前打音の [cis] が現れます。《先のブルー五度とは何が違うのか!?》と思われるかもしれませんが、先行音の [c] および後続音の [d] という長二度は《増一度→短二度》という状況の半音音程であるので、決して過程の音は [des] ではないのです。《半音階的半音》が前後の全音階音組織に対してどういう状況になっているのか!? という事が判れば難しい物ではありません。
仮に、調性を示唆する和音が背景になく(調性とは無関係な半音階的で特殊な和音など)、それで自由闊達なフレージングを半音階的に施すというのであれば、その「半音」は作者が提示する以外に特定する事は難しいでしょう。しかし、本曲は十分調性の範囲内で解釈されている半音階的半音である為、特定する事が可能なのであります。
7小節目拍頭では [c] より50セント高い微分音を「あらかじめ」チョーキング・アップさせて奏する必要があります。そこから《350セント(短三度+50セント)をチョーキングせよ》という意味なのではなく、《あらかじめチョーキング・アップさせておいてからフレット上ではワイド・ストレッチで4フレットのハンマリング・オン》という状況を示しているのです。
同小節2拍目は [d] より50セント低い微分音を生じます。直前の [c] からは《150セント上げ》となるチョーキングが必要とされる訳ですが、微分音の音程量を示すセント数はあくまで「幹音」からのセント数を示しているので混乱されぬ様お願いします。
同箇所で最も注意すべきは、弦を跨いだ跳躍の運指を用いている点であり、[b] 音の完全八度の音程跳躍を用いていたりするのは《第2の渡辺香津美の特徴》と言えるフレーズのひとつでありましょう。
尚、完全八度(オクターヴ)を通常のギターのチューニングで最も手軽に押弦できるフォームとは、弦を1本跨いで用いる物でありますが、タブ譜での押弦ポジションを確認すると2本の弦を跨いでいる事が判ります。
渡辺香津美のオクターヴの運指は必ずしも平易なオクターヴのフォームのみならず、斯様に2本の弦を跨いだり、完全五度のフォームでも態々弦を1本跨ぐフォームを形成させる事があります。これは、ジョージ・ベンソンの様にスウィープをいつ仕掛けても好い様にしている策でもあり、スウィープが視野に入っている事で、跨いだ弦を《材料音》にする事が出来るからであります。
勿論、オクターヴ奏法とは異なるオクターヴ跳躍を使う時に必ずスウィープを用いるという訳でもありません。唯、タブ譜の方で示した [2→5] 弦への2本の弦を跨いだ直後に4弦を使う(これは材料音として用いる為の策)という所に、《覆面ギタリスト》らしさが垣間見えており、こうした弦を跨ぐアイデアは別の運指にも活かされ、後の13小節目でも見られる運指に昇華させている事も判ります。それについては後述します。
8小節目1・2拍目では、4弦の音はプリング・オフを除いて全てチョーキングで音程を制御する必要があります。しかも、そのチョーキングの過程で3弦 [f] の重音を生ずる直後で微分音からのプリング・オフはかなり難しいと思います。それをやってのけているのですから素晴らしい演奏である事があらためて窺い知れるという物です。
尚、同小節2拍目での4連符は、スウィングしていない(ハネていない)平滑化した十六分音符である所はあらためて注意をしていただきたい箇所でもあります。とはいえ3拍目ではハネているという事です。この乙張りにも注意が必要です。
同小節3拍目は、先述の様に下接刺繍音 [ges] が再度現れます。そうして同小節4拍目のチョーキング・アップ&ダウンに依る6連符上での [ces] という表記。読む人にとっては [h] の方が [ces] よりも圧倒的に目にする頻度が高いので、理論的な解釈以前に合理的解釈から [h] を選択したくなる人はかなり多いと思うのです。
然し乍ら、当該コードは「C69」上であろうとも、ここは音組織上での「減四度」であるので [h] だと音組織上では長三度由来の音になってしまうので、茲は「減四度」としての [ces] が [c] に対して揺さぶり(=イントネーション)を掛けているというアプローチである訳です。
《先行する和音外音=倚音の [ces] は「C69」上ではアヴォイドではないか》
と言いたくなる人も居られるでしょうが、多様なフレージングというのは和音構成音や其處から想起されるアヴェイラブル・モード・スケールなど軽々と超越する物です。また、そうしたアヴェイラブル・モード・スケール外の音というのは、その外れ加減は相当な反発力を具備しているので、この反発力を逆手にとってフレージングの跳躍具合に弾みを付ける材料にするのは非常に理に適ったアプローチであるという事も付け加えておきましょう。
9小節目は、茲から転調(ヘ短調)が生じた上での2コード循環のパターン「Fm9 -> B♭69」となります。四分休符を置いて2拍目から複前打音を生じていますが、[9 - 12] フレットを1フレットずつ [人差し指 - 小指] を順に運指させている状況であるので容易なフィンガリングであると思います。
そうして同小節4拍目以降は「4連符」が続く事になります。繰り返し言う様ですが、この4連符は平滑化された十六分音符であります。
10小節目1・2拍目でも4連符は強行され、3拍目の7連符は少々厄介に思えるかもしれませんが、2拍目最後の [es] 音が掛留しているに過ぎず、拍頭が過ぎた直後に3音を《3連符を急く》様に奏すればニュアンスを掴みやすいかと思います。
続いて同小節4拍目も再び4連符が現れますが、重要なのは [as - c] という長三度(4フレット)のワイド・ストレッチに依るハンマリング・オンでありましょう。
11小節目は先行小節での [b] が掛留となりますが、2連符の意味は平滑化された十六分音符ですので、その後の十六分休符も勿論、平滑化している歴時の上でのタイミングとなります。連桁を分断しているので視覚的に惑わされてしまいかねない事もあろうかと思いますが、連行を分断している理由は、分断の前後の拍節感が異なる事に依るのが最大の理由であります。
加えて、分断後の連桁での2つの十六分音符は平滑化させずにハネさせる物でもある為、拍節感の違いをより一層明確にしておきたかったという事でもあるのです。合理化された楽譜では連桁が愚直に繋がれている物に多く遭遇すると思いますが、私の楽譜というのは合理化された書き方を極度に避ける傾向にある事は今に始まった事ではありませんので、そうした点も考慮していただければ幸いです。
無論、視覚的には平易な譜面(ふづら)であるのに反して出て来る音が複雑という作品も非常に素晴らしい物であり、それは同時にとても理想的な形ではあるのですが、《時と場合によりけり》という訳であります。大半の私の楽譜は、合理化された物とは正反対に位置する所にあろうかと思います。
また、多くの坂本龍一の楽譜の譜面(ふづら)は視覚的にシンプルな物が多く、ミニマリズムの中に潜むデュナーミクやアゴーギグが楽譜の底意として表現されている事が読み取れます。シンプル故に邃(ふか)い。見習いたい物です。
尚、同小節2拍目には [heses] という音組織上での減四度が現れます。これは直前の [as] からの短二度で [heses] である訳ですが、決して [a] ではありません。異名同音ではあるものの、異名同音とは読み手にとって都合の好い解釈として選択される物ではありません。
また、その減四度が短和音(マイナー・コード)上に現れるという所もあらためて認識しておいて欲しい所であります。[as] の存在があるが故に、[heses] が決して [a] ではない事が同時に判るのです。
仮にマイナー・コード上で [as] の存在が無いままに [a] として音を奏でてしまえば、違和感の方が際立つ事でしょう。なぜなら「Fm9」というコード上で [a] が生じてしまっているからです。然し乍ら、[as] の存在を示した上で [heses] と示すのは [a] として聴こえる訳ではありません。
とはいえ減四度の前には《予備》(=音楽理論としての、前提となる音の存在という意)が必ず生ずる必要があるという訳ではありません。コードが機能している拍節内で、音階外の音の後にダイアトニックを生ずる例もありますが、後者の感ずる違和はより強い物です。そういう意味では、当該箇所での違和というものは比較的柔和であるとも言えるでしょう。
同小節3拍目の [es] に振られている記号はメゾスタッカートです。長めのスタッカートですが短い音価であるという事です。直後の同小節4拍目の [b] はスタッカートであるというのも是亦注意をしていただきたい所です。
12小節目1拍目には [ces] を生じていますが、これは音組織の上でのブルー五度であります。また、同小節2拍目では再び減四度 [heses] が現れる所もあらためて注意を払う必要があろうかと思います。
同小節4拍目八分裏の半拍3連から特徴的な「速弾き」フレーズが開始されますが、それでは13小節目を確認してもらう事にしましょう。3拍20連符(eicosuplet / vigennuplet)です。拍節的には [7+6+7] 連符の様な構造になっているのですが、其々の歴時は平滑化されているので決して [7+6+7] 連符なのではないという点に注意する必要があります。
また、この20連符で特徴的なのは、上声部で書かれる運指は《人差し指+中指のストレッチ》でペンタトニック・ユニット(=ペンタトニックを1音欠いた断片の事)を奏しつつ、余った他の指で低音側の弦を高音側とは異なる脈絡で「二声」を形成させるフレージング、というのが最も渡辺香津美らしさを持ったプレイではなかろうかと思います。
つまり、上声部の《人差し指+中指》とは別に、下声部の方は《薬指》を押弦した直後にスライドさせているという訳です。互いの動きは独立するかの様にして「二声部」を形成させるのですが、渡辺香津美の場合は他にも《人差し指+小指》でペンタトニック・ユニットを弾き乍ら、《中指+薬指》を独立させて低音弦で別声部を弾くというアプローチを見せる事もあります。
斯様な、独立した声部を作る事を企図する運指が《第3の渡辺香津美の特徴》でもあり、最も彼らしい特徴的な運指であろうと思います。このプレイがある為に《覆面ギタリスト》の正体が顕になるという訳で、何も無根拠に《覆面ギタリスト》=《アブドゥーラ・ザ・"ブッシャー"》=《渡辺香津美》と決め付けている訳ではないのです。こうした特徴を見抜けない人からすればギタリストを特定できずに尻込みしてしまいかねないでしょうが、私は確信を持って「渡辺香津美」と述べいるのは、これまで列挙して来た特徴が如実に現れているというのが根拠としているからであります。
尚、20連符の下声部最後の2音は左手の薬指&小指のタッピング(押弦)のみでの音であろうと思われます。そうして同小節4拍目ではチョーキングに入るという訳ですから、非常に事細かな運指が要求される状況と言えるでしょう。
14小節目2拍目の7連符でのチョーキング・アップ&ダウンも見事な音程制御であろうと思います。茲で生ずる [heses] はヘ短調音組織での「減四度」なのであり、「B♭69」というコードから見れば恰も根音を外す様に見えてしまいかねずアヴォイドと尻込みしてしまうかもしれませんが、下属音の提示があってこそ活きる減四度というイントネーションだと思えば取扱いがしやすかろうと思います。
15小節目で特筆すべきは、3拍目での2弦開放を弾いた後に6弦へ跳躍してロー・ポジションへの速やかなポジション・チェンジが目を瞠る部分であろうかと思います。
そうして16小節目でもロー・ポジションを維持し乍ら重音を交えつつ、3・4拍目での4弦3フレットで主音に対してイントネーションを付けて半音上げ程度のチョーキング・ビブラートを交えて、最後は主音の半音下へスライドさせているという訳です。主音をそのまま白玉で伸ばしてしまうとあからさまに卑近な感じになるのを避けて揺さぶりをかけているが故のアプローチでありましょう。
そこでの主音の揺さぶりは《上下に短二度》という半音階的半音で解釈している為、[f] の半音上は増一度ではなく短二度の [ges] として表し、同様に [f] の半音下も増一度ではなく短二度下の [e] として表しているという訳です。
こうして「カクトウギのテーマ」のギター・ソロ解説を語って来ましたが、ギター・トラックにはBus送りを前提とするプレート・リバーブを掛けております。
このプレート・リバーブにはプリディレイに131ミリ秒、+6dBカットのスロープ・オフに依るHPFのカット周波数を1070Hzに採った上で、リバーブ音をM/S処理でサイドに配置させています。こうする事でリバーブへのセンド量を大き目に採ってもセンター付近の音像を毀損する事がなく非常にスッキリとした音像に仕上げる事が出来る事に加え、リバーブ・センド量を大き目にする事で原曲と同様の「スラップ感」が現れるので、やたらと目立つ残響の様にさせずに済むのがメリットでもあります。
その上で、オリジナルのライナー・ノーツに明記されているOrbanの422A(ディエッサー/リミッター)を模倣する為に、高域がやや際立つギターの音を残響が悪戯に増幅させない様にリバーブ音にディエッサーを掛けております。
リバーブのサイド配置はかなりスタンダードな手法であり、リバーブ音のローカットはスティーリー・ダンの「Black Cow」を参考にしている手法に基づいて使っております。
今回、ギター・トラックの打ち込みに活躍したエフェクト類はIK MultimediaのAmplitubeでありますが、ベースの方もAmplitubeに内蔵のMU-TRON(ミュートロン)をモデリングしたフィルターを使っております。
原曲は恐らくマイクロ・シンセサイザーも通している為か、subベース音も合成されている様に聴こえます。それに近づける為に、Native InstrumentsのGuitarRigに搭載されている 'Harmonic Synthesize' を併存させて音を作っております。フランジャーも薄く掛けております。
それはそうと本曲「カクトウギのテーマ」というのは、これほど広汎に知れ渡っているにも拘らず、譜例などの資料に遭遇した経験は無く、山下邦彦著『坂本龍一・全仕事』『坂本龍一の音楽』でも一切紹介されていない事にあらためて驚いた私であります。アルバム『サマー・ナーヴス』収録楽曲で取り上げられているのは、「Summer Nerves」「Sleep On My Baby」「Time Trip」「Sweet Illusion」で、それらも断片的に原譜の画像と共に断片的に紹介されているに過ぎないというのが残念な所でありましょう。
本曲ギター・ソロ部だけでもYMO関連楽曲を制作する方々への参考になれば幸いです。