Bridge Over Troubled Music / Yellow Magic Orchestra 楽曲解説
扨て、今回はYouTubeにてイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)の「Bridge Over Troubled Music」の譜例動画をアップした事もあり、楽曲解説をする事に。
本曲はYMOの1stアルバムのB面に収録されていた曲であり、「La Femme Chinoise(ラ・ファム・シヌワーズ:中国女)」と「Mad Pierrot」との間にメドレーとして存在する小曲であります。
YMOの1stアルバムというと、一般的に知られているのは「米国リミックス盤」なのであり、茲からYMOの流行は始まったと言っても過言ではないでしょう。

本来の1stアルバムに収録されていたにも拘らず米国リミックス盤から割愛された曲が「Acrobat」であるも、A面収録の「コンピューター・ゲーム」を再度思い返す様にしてメドレーで現れ、B面収録である「東風」「中国女」「ブリッジ〜」「マッド・ピエロ」という重厚さと哀愁を漂わせた情緒溢れるメドレーとして統御されている事もあり、「マッド・ピエロ」の余薫が台無しになりかねない素っ頓狂な明るい感じの「アクロバット」が割愛されたのは判る気がします。

YMOの1stアルバムの作りは、シンセの側面で見てもオーソドックスな音色キャラクターが聴かれる物で、その後の彼らの作品で聴かれる変調の激しいシンセ音と比較しても一般的に耳馴染みやすい音色キャラクターが比較的多いかと思います。そういう意味でも比較的とっつきやすいかと思います。これに一役買っているのがオーバーハイムのシンセだと個人的には思っております。
YMOがステージ上で使うオーバーハイムのシンセは、大村憲司がサポートする時期では海外のライヴではまだ使われていたでしょうか!? その辺りは記憶が定かではありませんが、YMOが使用するシンセに於てオーバーハイムが声高に語られる事は意外にも少なく、大抵は「タンス(moog Ⅲc)」や「Eμ(※E-mu以前) modular」「Polymoog」「Prophet-5」あたりでなかろうかと思います。
YMOの音作りとして一貫していた事は、生楽器の様に「固有振動数」つまりフォルマントへの拘りが強くあったと思われ、そのフォルマント感の演出の為に多彩な変調(モジュレーション)が施される事で、他では聴かない様な、それこそ「オーソドックス」な響きをさせない音作りを標榜していた所にありましょう。
加えて、オーソドックスに聴こえさせない特徴のひとつとして挙げられるのが、フィルターのスウィープを無闇にさせない音作りにもあったかと思います。つまり、フィルター・エンベロープを避けて、他の変調要素にフィルターをパッチングさせていたりしていたという訳で、いかにも「ギョインギョイン」とフィルターをスウィープさせた音色を前面に出さないという事も特徴的な側面であったかと思われます。
そんな中でオーバーハイムのシンセは、オーソドックスな役割で「ハーモニー」を稼ぐ様に使われていたかと思います。
無論、そのハーモニーを稼ぐ事に多大な貢献をするのはプロフェット5に取って代わられる様になって行くのですが、私個人としてはオーバーハイムのオーソドックスな時期のYMOサウンドは意外にも結構好きなのであります(笑)。
まあ能くあるAORやR&Bにてローズのエレピが加わるだけで彩りを添えるかの様な、そういうオーソドックスな響きがオーバーハイムにはある事に加え、ノッチフィルターとして搭載されるローパス(LP)/ハイパス(HP)/バンドパス(BP)らのフィルターやらを巧みに使うと他ではなかなか出せない「いやらしい」程にミャンミャン哭くフィルター・スウィープを聴かせてくれるのも特徴なのです。
先述の様にYMOにはフィルター・スウィープを前面に押し出す音色キャラクターが少ない中にあって、1stアルバムでは顕著にオーバーハイムの特徴的なフィルター・スウィープのそれを耳にする事が出来るのであり、それが「Bridge Over Troubled Music」では非常に明快に耳にする事が出来るという物なのです。
今回の譜例動画ではそうしたオーバーハイムの特徴的なキャラクターを押し出す事が出来たのであり、ArturiaのSEM-Vの出来には殆(ほとほと)感服する事頻りでありました。それについては追って詳述します。
尚、今回の譜例動画は一応4K動画としてアップロードしておりますので4K再生可能なブラウザにて高解像度で視聴可能になっております。
では茲から楽曲解説に入りますが、本曲の入り方として特徴的なものとして第一に挙げられるのが楽曲のリズム構造でありまして、従前の「中国女」からテンポを維持したままメドレーで入るものの、オーバーハイムのシンセ・ブラスは拍節構造を変えて入って来ているという構造がその最大の特徴であるという事です。
所謂メトリック・モジュレーションで入って来るという訳ですが、楽曲のアウトロでは結局は元の拍節構造に戻って「Mad Pierrot」に入って行くので結果的にはリズムの欺きという風にして「ひとりだけ」のメトリック・モジュレーションが作用しているというのが大きな特徴であります。
セスクイアルテラとして括られるヘミオラもメトリック・モジュレーションの範疇である訳ですが、例えば4/4拍子の楽曲に於て八分音符5つ分のパルスを1拍として捉えて新たなリズムを形成しようとした時、これは大胆な「リズムの転調」とも言える訳です。ですのでメトリック・モジュレーションと呼ばれる訳です。
余談ではありますが、八分音符5つ分のパルスを1拍として捉えるのは相当に高度なメトリック・モジュレーションでありまして、ジェントル・ジャイアントの3rdアルバム収録の「Schooldays」の中盤ではそうしたメトリック・モジュレーションの例を聴く事が出来ます。
セスクイアルテラおよびヘミオラとはリズムの2:3構造で拍節構造を読み換える物であり、以前にもブログで触れた事がありましたが喩えると、「ミソラ ヒバリ」というリズム構造を、テンポはそのままに「ミソ ラヒ バリ」と拍節感を変えて読むだけで異質な感じに聴こえます。これがヘミオラの最大の魅力という訳です。そこには、分かりきった平滑な拍子構造に揺さぶりをかけようとする狙いがあって生ずる技法のひとつとして使われて来ている訳です。
ヘミオラの場合、2:3という構造のどちらに主従関係の存在は無関係で、3拍子の曲を八分音符のパルスの3つ分に分けて恰も6/8拍子の様に聴かせるという物もあります。ドナルド・フェイゲンのアルバム『The Nightfly』収録の「Maxine」のイントロ冒頭は恰も3拍子の様に入りますが、実は途中から6/8拍子に変化させるというヘミオラの好例でもあります。
ヘミオラを更に細分化した拍節構造のものとしてセスクイテルツィアと呼ばれる物もあり、こちらは3:4の拍節構造というのが特徴なのですが、西洋音楽でもセスクイテルツィアは相当にリズムの学究的部分にアクセスしない限りはそうそう語られる事は少ない物で、大概の場合ヘミオラと一緒に括られて語られる事もあります。ヘミオラというものが如何に主要な地位にあるのかがあらためて判るかと思いますが、「Bridge Over Troubled Music」の冒頭はセスクイテルツィアという3:4構造であるというのが特徴です。
では楽曲1小節目から順に語って行く事にしますが、まずは「ゲッゴゴゲゴゴゴ」というカエルの様な蘞いSEから語って行く事にします。今回はこのSEを「リングSE」と呼びますが、恐らくアイデアの基となっているのはモンゴルの口琴の一つに数えられる「デミール・ホムス(Demir Kopuz=Демир хомус)」でありましょう。
カウベルやサイドスティックなどの音にリングモジュレーションをかけるとこの手の音に近くなるかと思いますが、今回私が制作した譜例動画デモの方ではリング・モジュレーターを用いずに合計47個の正弦波のパーシャル(=部分音)を用いて制作しました。
リングSEは大別して4種のグループに分けられ、譜例動画や次の譜例に示される様に五線譜の各「間」に1つずつのグループを配置させて記譜しております。

譜面上の低位の方から順に第1間・第2間……という風にカウントしていくのですが、各間に配置されるパーシャル・グループはそれぞれ正弦波を次の様な微分音にチューニングして形成させる事で概ね原曲に似る感じで演出が可能となります。
YMOの「Stairs」での擬似ミューテッド・カウベルの模倣でもやった様に、Logic Pro XのEXS24mkⅡあるいはSamplerでのデフォルト正弦波を用いつつ、MIDIノート番号に従ってトラック名に充てた数字の増減がセント数であるので、各パーシャルを数字に従って調整すればリングSEを作る事が出来るという訳です。
このリングSEを作る時の微小音程の調整は、元がMIDIノート番号である為、±50セントの調整幅もあって半音単位を基準に増減値が割り当てられておりますが、後述する他の微分音群に関しては幹音を基準に例示するので、その辺りは混同されぬよう注意をされたいと思います。
では、1小節目から順次語ってまいりますが、リングSEとシンセ・ドラム類を除けば最初に顕著に現れるのが長いディケイ・タイムを取ってポルタメント下行するシンセ・タムです。この音も他の音に見られる様な単位微分音の音梯を採っているのだろうか!? と色々探りましたが、連続的変化のポルタメントと判断しました。仮に八分音(=48ET)よりも倍細かい96ETでの音梯で機器側のポルタメントを併用した上で音梯間を丸め込んだとしても斯様な連続変化にはならないと判断した上での制作です。
次に、1小節目4拍目から現れるのが「24et」パートでの四分音音梯での長三度音程の漸次1単位四分音下行フレーズであります。この音は、私個人は勝手にアニメ『うる星やつら』の「ラムちゃん登場」と名付けて制作していた物でした。但し、『うる星やつら』のラムちゃん登場シーンのSEは、長七度音程上昇のフレーズが漸次半音下行を繰り返して行くものなので、そのSEよりも「24et」の下行フレーズは細かい物となります。
思えばYMOの1stアルバムの頃は週刊誌の方で『うる星やつら』は話題になっていたものの、アニメ放送開始は始まっておりませんでした。後年、アニメ放送が開始となってラムちゃん登場シーンのそれには本曲のSEを脳裏に投影させていた物です。
私は週刊マンガを1988年までは購読する癖が付いておりましたが、Macを手にする様になってからパタッと読むのをやめてしまった物です。ライフスタイルが変わる程にMacが手に付く様になったからでもありましたが、1979年辺りだと『わたしの沖田くん』という漫画も話題になっていたかと思います。私自身親元を離れ仲手原のボロアパート(共同洗面台、共同トイレ、風呂無し)に住んでいた事もあったので当時の記憶が思い起こされるという訳です(嗤)。
扨て、ラムちゃん登場SEの次に注目すべきは「48et」のパートです。パート名が示す通り、このパートは八分音律という事となるので、ラムちゃんの四分音よりも更に細かい微分音という事になります。加えて「48et」のパートで気を付けたいのは、このパートのみ「A=441.3Hz」のコンサート・ピッチを基準に採る必要があるという点です。
畢竟するに、他のパートはA=440Hzなのですから凡そ「5セント」高いという事になり、他のパートと比して5セントほど高くオフセットするのが好ましいという意味でもあるのです。ですので、このパートで生じている八分音は、他のパートと比して「25・50・75セント」という単位微分音の違いの差として生ずるのではなく半音階(12ET)と比して「5・30・55・80セント」の差が現れるという事を同時に意味します。このパートのみで考えれば八分音律で間違いないのですが、複数の基準ピッチを用いているという状況だけが注意点となります。
また、48etの微分音は、1単位四分音(=50セント)下行フレーズが1単位八分音(=25セント)漸次移高を繰り返すという物なので、これまた非常に厄介な音梯で形成されているという訳です。とはいえ48etのパートで音が出現するのは2小節目からなのでありますが、冒頭での微分音の前置きは重要と考え同列に語る事としました。
初期YMOの時期ですら、坂本龍一や松武秀樹らの間では、電圧が倍になるとオクターヴ上昇という機器的な性質を利用して電圧を制御して微分音を作っていたという事がこれらの24etと48etのパートからも明白であり、こうした知識が後年の『B-2 UNIT』制作にも活かされていたのだとあらためて思えるのであります。
本曲のテンポは譜例で示される通り四分音符=134.36ca. という表示の通りDAWなどで再生すれば、当該部分を原曲から切り出して同時に再生しても「ほぼ」一致する様には制作しております。
2小節目の「Alert α」のパートに注目です。このαパートも四分音律でありますが、後に現れる「Alert β」パートの方はもっと多様な微分音クラスターとして鳴らされます。この様なアラート音などの「複合音」の組成を紐解く上で重要な事は、調性に靡かない音感を鍛える事が重要でありましょう。
それというのも、音(音波)というものは純音を除く全ては「複合音」なのであり、基音以外の上方倍音と非整数次倍音が混ざっているものです。
そうした複合音の中には器楽的ではない音の集合体もあれば器楽的な和音と成している状況の物もあります。斯様な情況を踏まえた上であらためて注目すべき点は、調性・和音諸機能・協和音ばかりに靡かぬ強固な複合音の聴取・採譜能力を持つ事が重要なのであり、音楽的素養が高まるにつれて斯様な能力が高まるものです。
とはいえ経験の絶対的な時間の経過を俟つ事で自然と能力が付いて来るというのは早計であり、音楽への深い洞察が無ければ徒らに時間が過ぎ去るだけでありましょう。自身の音楽的素養が調性に靡いてしまう様な状況であれば複合音の組成を協和感の強い音へ丸め込んで誤認して聴いてしまったり或いは無頓着になったりと、拾い上げる音が実際のそれとは異なる音として聴いてしまうという側面も払拭できないであろうと思われます。
聴取能力を高めるには、少なくとも12ETの世界では半音階的社会に徹底的に馴染む事であり、これが無ければ微分音の感得もままならない事でしょう。これだけは言えますが、音楽を嗜む上で重要なファクターが「歌詞」「唄」「声質」という方にはまず無理な能力であろうかと思います。
それにしても、このαパートのアラートを模した綺麗な四分音のそれには、坂本龍一の環境音への知識やスペクトル楽派のそれを汲み取っているが故の技法である事には疑いのない所であり、こうした四分音律を既知の12ETに見事に溶け込ませている所はあらためて驚くばかりです。
オリジナルのリリースから40年以上経過している現在、こうした微分音のソースに今猶気付かずに居る旧来のファンが居るのは残念至極であり、若い新たなるファンこそこうした重要な事実を取りこぼす事なく堪能していただきたいと思わんばかりです。
尚、注釈として ‘fig1’ と充てておりますが、これは44小節目の終止部欄外に後掲させておりますが、こちらで表す数値は先述の通り幹音からの増減値であるので注意していただきたい所です。αの複合音の最低音は「Gセスクイシャープ」であるが故に「G♮から150セント上」という事です。同様にしてDセスクイフラット、Bセミフラット、Cセミフラットという構造になっているという訳です。
オーバーハイムのシンセ・ブラスが2小節目4拍目から入って来ますが、楽譜上での八分音符のパルス3つ分がシンセ・ブラスにとっての八分音符という風に解釈してもらうと、セスクイテルツィアというメトリック・モジュレーションの状況をお判りいただけるかと思います。
八分音符×3のパルスという状況で付点十六分音符という事は、メゾスタッカート的に奏するという状況を意味しているのであります。
また、茲から開始されるセスクイテルツィアは、基の拍節構造を「3」とした時、シンセ・ブラスはその長さを「4」と捉えている構造であるものの、徹頭徹尾厳格にセスクイ・アルテラが維持されているのではありません。セスクイテルツィアという3:4の構造はあくまでも楽曲の拍節構造を人間的に捉えた「呼吸感」として標榜する世界観というのが本曲の実際であります。
そうした状況でのメトリック・モジュレーションである事から、曲中で生ずるルバート・テンポが介在している事で本来杓子定規に照らし合わせれば3:4構造が維持される筈の拍節構造が譜面上では壊れてしまうのですが、「標榜」する世界観は生ドラムが入る迄はセスクイテルツィアなのです。現実としてはルバート・テンポも介在する為、直近の基の拍節構造にシンセ・ブラスが標榜する「強勢」が宿り、その拍から新たにセスクイテルツィアが持続されて行くという構造になっている訳です。
平たく言えば、ルバート・テンポで通過してしまった本来の着地点が後続の収まりの良い拍に辻褄を合わせた感じになったと言えば伝わりやすいでしょうが、実際にはこんなぶっきらぼうな表現での演奏ではないので、その辺りには配慮して説明しているという事は念頭に置いていただきたいと思います。
3小節目2拍目弱勢。「C△7」と捉えうるコードの箇所からシンセ・ブラスの標榜する小節線の拍頭だと思っていただければ良いかと思います。基の拍の強勢にあればもっと分かりやすい平易な構造として聴かれた事でありましょうが、それにしても小難しい所から入って来る物です。
4小節目のシンセ・ブラスの左手低音部は、[c] のみ保続されタイで結ばれているという表記には十分注意して欲しいと思います。
また4小節目2拍目から「Nasty Filter」パートが低域にてハーモニーを「補完」して来ます。下から [e・a] という風にして「C△7」に対して充てられているものの、コード表記は変えずに「C△7」を維持した解釈にしております。経過的にみれば後続の「D7」に対して「Am7」解釈しうる状況ですが、和声的にそれほど関与していないという判断で「C△7」措定とさせていただきました。
このパートを「エグいフィルター」と今後称して行きますが、このドぎつい程のフィルター・サウンドも実際はオーバーハイムであろうかと思われます。余談ですが、後に現れる本パートの音部記号は通常のヘ音記号より1オクターヴ低い音部記号へと変化するのでご注意下さい。
シンセ・ブラスのオーバーハイムも当初の大半は4音のポリフォニックで奏されているものの、終盤ではかなりポリ数を稼いで演奏されている事から、ライヴなどの演奏を視野に入れて小規模な状況でも再現可能な様に冒頭からは4音で構成されているのでありましょうが、こうした状況から判別できる事は、シンセ・ブラスのパートにオーバーハイムSEMの8ボイスを用いており、「エグいフィルター」の方がオーバーハイムのSEM4ボイスを用いているのではなかろうかと思います。
無論、オーバーダブの可能性も捨て切れませんが初期YMOではオーバーハイムが多用されていた事を勘案すると、4&8ボイスの併用で同時にレコーディングした方が録音時間の短縮も可能であったでしょうから、大掛かりなシステムほど効率的に録音されていったと考えるのが妥当な線である事を思えば、異なるSEMの併用が視野に入るという訳です。
扨て、この「エグいフィルター」というのは、ムーグなどの4極フィルター(=24dB)と違ってオーバーハイムのそれは2極(=12dB)であるものの、幅に違いがあるのか意外にもいやらしいフィルタリングを実現できる物で、楽曲終盤にてそれこそ後年の「ディレイラマ」を思わせる様な「ギャイギャイ」喚く様なフィルター・サウンドはSEMならではのキャラクターでもあります。この「Nasty Filter」の音色は下記の様に、ArturiaのSEM2 Vのセッティングにして「VCF」スロット内の「MODULATION」のツマミ位置を画像の10時の位置から概ね11時15分までの範囲でグリグリと可変させると、原曲の様な「ギャイギャイ」と喚く様なフィルター・サウンドを得られるのでお試しあれ。
原曲での「ギャイギャイ」言わせていたり微分音のクラスターを施しているSEの演奏は、メイン・フレーズのそれとは異なり恐らくリゲティの「Artikulation」がヒントになっているのかもしれません。図形楽譜で書かれた電子音楽でありますが、こうした所もヒントになっていたのかもしれません。
ついでに、シンセ・ブラスの方のSEMのセッティングも下記に示しておきましょう。但し、このシンセ・ブラスは、セスクイテルツィアが解除される時には後段のエフェクトでセッティングが変わる事で音に変化が加わりますので、それは追って説明して行きます。
然し乍ら5小節目では、その保続された [c] は十六分音符1つ分の歴時に過ぎないのであるので、一般的なポピュラー音楽的解釈からすれば瑣末事で丸め込まれてしまうかもしれませんが、この瑣末と思われる歴時の表現は、シンセ・ブラスと他のパートがポリテンポ状態であるからこそ丸め込める事が許されない表記である事はご容赦願いたいと思います。読みやすさだけに配慮してしまうと、基の拍節構造に隷従してしまってセスクイテルツィア構造の細やかさが無くなってしまうが故に、こうした仰々しい表記になっているのです。
先述した様に、原曲を切り出して同時に再生していただければ、こうした細やかさが必要になるのはあらためてお判りいただけるかと思います。
5小節目の2拍目で「D7」へのコード・チェンジが為されますが、茲からの2〜4拍目での計3拍をシンセ・ブラスは「4」で採っているという事があらためてお判りになるかと思います。構造を掴みやすい箇所です。
6小節目については特筆すべきものはありません。
7小節目1拍目弱勢からあらためてセスクイテルツィアが生じますが、この弱勢は「八分裏」を示しているので、茲からあらためて付点八分の歴時がシンセ・ブラスにとっての八分音符という訳です。それにしても「D7」をそのままに減五度進行で「A♭△7」に進むのは好いですね。そう簡単には予見させない揺さぶりが功を奏しています。
8小節目も「A♭△7」のそれを引き継いでいる箇所なので、特筆すべきものはありません。
9小節目では拍頭から「C△7」のコードがシンセ・ブラスで奏されます。それまでの演奏を勘案すれば、この拍頭にはルバート・テンポで入っているのですが、それが上手い事泊り木として見つけた着地点が9小節目の拍頭となっているのでしょう。
10小節目は「F♯m7(♭5)」というハーフ・ディミニッシュが特徴的ですが、平行短調「Ⅵm」を「Ⅰm」と見なした時のドリアンのⅥ度という風にモーダル・インターチェンジにもなっている訳です。
11小節目2拍目からのシンセ・ブラスの両手のトリルは結構厄介でありましょう。というのもピアノの様な減衰系の楽器ではこうした運指はまず見られず、持続音系少なくともオルガン系統ではないとこうした運指は見られないのではないでしょうし、持続音系だからこその指使いであろうかと思います。こうした点の注意喚起という意味で指番号を付したという訳です。
この様な運指には、ナショナル・ヘルスの1stアルバム収録の「Tenemos Roads」でのデイヴ・スチュワートの執拗な十六分音符のトリルを投影したものです。
低い方で音をペダルポイントにしつつ、高い方でトリルを施すという事を両手で行っているという事で、和声的には「D7」のオルタード・テンションを纏った響きとなるので「D7alt」と表記しているのです。
トリルの左手は次第にスピードを遅めて7連符→6連符という風にして、右手の32分音符とはポリメトリック構造になるので、それらが「錯綜」する様に新たなる「紋様」がモアレの様に浮き立って来る様子は原曲からもお判りになるかと思います。それがあらためて上手い事再現できたのではなかろうかと思います。
12小節目4拍目でのシンセ・ブラスは右手のトリルから上行フレーズに変わる時の [eis] は、オルタード・テンションの「♯9th」として捉える必要があるので [f] とはしませんでした。[fis] が「D7」上の長三度音である事を勘案すれば [f] というオルタード・テンション・ノートとして表記できなかった訳です。
ですが、そもそもドミナント・シャープ9thの増九度音の実際は、同主調の音脈を基にしたポリコード由来を端に発しているので、「♯9th」の実際は殆どの場合でも「♭10th」でありましょう。然し乍ら、一般的なジャズ的解釈でのオルタード・テンションでは「♭10th」表記だとオルタード・テンションでの「♯9th」として映らなくなってしまうので、オルタード・テンション表記としての「♯9th」を優先したのであります。
そうする事で、同小節4拍目での線運びは [eis - fis - gis - b] という風になっており、それらは「♯9th・M3rd・♯11th・♭13th」というオルタード・テンションでの順次進行となっている事があらためてお判りになる事でしょう。こうして明示しないとオルタード・テンションである事が不明確になってしまうが故に注意して表記したのです。
13小節目では [d] を極点にあらためてオルタード・テンションの下行フレーズを形成し、その際に上行フレーズでは生じなかった「♭9th」相当の [es] が介在しているのがお判りになるかと思います。これらのオルタード・テンションの明示によって、オルタード・スケールを充てている事があらためてお判りになろうかと思います。
13小節目3拍目での「アラートβ」には注釈 ‘fig2’ を充てている様に、それらの複合音組成の状況は譜例動画終止部に見られる様に、幹音からの増減値としてセント数をそのまま調整してやると再現可能になります。
アラートβの複合音組成を幹音基準ではなく半音階基準でのMIDIノート番号で表すと次の様に
D♯7 +50
E7 +45
B7 +45
C8 +12
D♯8 -45
F♯8 +67
G♯8 ±0
A♯8 +45
という風に表す事ができるので、譜例動画終止部で示される ‘fig2’ での幹音基準とは異なる表記となるのでどちらが判読しやすいかはお任せします。
尚、このアラートβは通常のト音記号よりも2オクターヴ高いという事を示している音部記号を用いております。加えて、先行音の直後で生ずるアラート音とは微妙に異なり1音だけ音高が違うので注意していただきたいと思います。それは ‘fig3’ として後に示す事になりますが、「C8 +12」が全音分下行して「A7 +112」となっている部分です。この音だけが変わっているという事です。
同小節3拍目ではコードが「G7(13)」に変わりますが、このコードは13th音が付与されるも響きの上では長属十三というよりも属七に13th音が付随したコードとして耳に届く事でしょう。
とはいえ終止部直前で「Dm9/G」というコードが生ずるのでこちらもあらためて後述するものの、その構成音としては「G13」から本位十一度(=♮11th)がオミットされただけの響きであるにも拘らず両者は全く異なる物なので、構成音が似ていたり或いは属和音に置き換えて見る事が如何に早計であるかという事をあらためて窺い知れるかと思いますので、注意深く比較して聴き取っていただきたいと思います。
無論、能くある「Ⅱm7/Ⅴ」の型とて「Ⅴ11」の方便とする使い方ではあるものの、属和音に主体性を持たせるか、或いは下部付加音として響きを分離させた事を強調する様にスラッシュ・コードを充てるのはどちらが好ましいのか!? という事については、その響きが齎している状況によって変化すると言わざるを得ません。
14小節目2拍目では本曲でのこの「G7(13)」のお洒落な使い方が顕著に現れる箇所でありましょう。シンセ・ブラスの低音部(左手)は七度音程でヴォイシングする事が重要ですので [g・f] とヴォイシングされている訳です。その [f] が下がって「♭13th」相当の [es] へ進行している訳です。重要な理解としては、この「♭13th」は決して「G7」上の増五度 [dis] と見なす事は出来ないという点にあります。
なぜなら、仮にG7上の五度音が増音程として「膨らんで」[dis] を形成したとするならば、更に上声部に存在する右手の [d] を増音程化して膨らませる筈です。
つまり、上音にある [d] をそのままに内声に [es] を置く事が重要であるので、これを属和音の「aug何某」とは判断できない使い方なのです。
何故こうした事を強調するのかというと、西洋音楽由来では属九・属十一・属十三およびそれらの変化和音を用いる際、5th音を省略する事が前提として「教育」されるのでありますが、ジャズ・ヴォイシングを企図する場合、前掲の様なオルタード・テンションと和音基底部とで生ずる「長七度音程」および「短二度音程」というのは絶妙な味付けとして好んで用いられる物であり、生硬さが増すヴォイシングとしてピアノはおろかホーン・セクションあるいはギターでも頻繁に用いられる手法なので是認される使い方であるという風に理解する事が重要だからなのであります。
なぜ正統教育の側が属和音上の五度音を省略させるのかというと、和音が五度音を提示する必要のない「線形」形成に重きを置く為、或いはフレージング創出の為に五度音という和音の側が目指すべき方向を和音の側が〈あてこすり〉で提示する必要が無いからなのであります。和音がわざわざ提示して、フレーズの側もそこを極点として着地した場合は五度音を重複する事で折角の重畳しい和音が在り来たりの五度音重複で興醒めさせかねないからです。それに加えて、西洋音楽の旋律形成が基礎としているのは対位法が関与している事もあり、目指すべき一旦の極点が五度音であるという事に端を発しているからでもあります(※それら以外の要素としては他に、結合差音が関与して五度音を補強するという音響心理学的な状況をヒンデミット著『作曲の手引』で示されております)。
ジャズ・ヴォイシングというのはその前後の声部の連なりという風に形成されてはいません。横の線というのは最初のテーマでの提示か、その後のインプロヴァイズで形成されるという状況ですので、西洋音楽からすればコードの前後で長七度/減八度の跳躍など頻繁に現れている様に映る筈ですが、ジャズではこうした跳躍は当たり前です。
これらの前提を踏まえた上で「ジャズ・ヴォイシング」を忍ばせた使い方という事をあらためて理解に及んでいただきたいと思う訳です。
15小節目2拍目からコードはトニックへの解決となる「C△」へと着地。シンセ・ブラスのパートでの3連符に態々休符を充てて書いているのは、各音の音価を短めのメゾスタッカート感の演出の為に必要だと判断したからであります。装飾記号を充てて書けば読みやすさは増しますが、基本の拍子にセスクイテルツィアが埋没してしまうからです。
16小節目4拍目ではパラレルコード(※全音階的に構成音を共有する三度下方の和音の意)である「Am7」に進みます。決して「C6」ではありません。シンセ・ブラスの装飾音 [ais] は、よくぞ「Am7」上でのこうした増八度由来の装飾音は、直後の [h] を強調させる為の装飾音なのでして、さりげない乍らもこうした使い方を忍ばせられるところに坂本龍一のセンスをあらためて痛感させられる物です。
そうしてこの響きが後続の17小節でも維持されます。
18小節目4拍目でコードは「A7」へと変化します。4拍目の時点でのシンセ・ブラスでは「A7」である必要のある重要な第3音 [cis] は明示的に弾かれるどころか省略されているのですが、これを仄かに補完しているのが「エグいフィルター」の側なのです。そうして19〜20小節でもオルタード・テンションでフレージングされて21小節目でも「A7」は [cis] を省略した状態として掛留されます。
21小節目4拍目では、先行和音「A7」が下行四度進行を採らずに「F△7」へと進行します。
22小節目4拍目弱勢では、拍の最後の最後とも言える32分音符で「A♭△7」へ所謂クロマティック ・メディアント進行となっている訳ですが、茲はほぼ「後打音」として23小節目1拍目拍頭での音が移勢して入って来ているという解釈でもおかしくはありません。
通俗的には「突っ込んで」入って来ている訳ですが、この前のめり感がないと後続でのシンセ・ブラスでのイネガルが入った「いびつ」な演奏表現が活きなくなってしまうのですから、この32分音符程度の前のめりが如何に重要なのかを吟味していただきたいと思います。
23小節目4拍目では「B♭7」へと進行し、その後の24小節目でも継続されます。重要な音の選択としては「B♭7」上での [e] つまり「♯11th」相当の音使いであります。
25小節目では再度「F△7」へとコードが戻り、シンセ・ブラスの節回しは逡巡するかの様に演出されているかと思います。
26小節目1拍目は「F♯m7(♭5)」へと進みますが、2拍目拍頭の移勢として書かれるものの基の拍節構造から偶々そう見えるだけの事で、シンセ・ブラスからは突っ込んでいるのではなくルバート・テンポ感によって「遅れて」入っているので、その辺りの解釈は厳密にしておく必要があるかと思います。そうして27小節目も掛留されて行く事となります。
27小節目でのエグいフィルターの方では [a - c] と3度上行進行を採った後にダブルクロマティックで [d] から順次半音で下行して行くフレーズが顕著ですので、この辺りは非常に良く考えられている事があらためて判るのです。それはクロマティシズムの追求という事で、こうしたある程度予見が可能な状況でも「半音階で汚す」という事を視野に入れてのフレージングおよび和声的粉飾だという事です。
半音階的社会観が総じて汚穢の塊という訳ではありません。強いて言うならばベタな程に予見の容易い全音階の社会観のそれを〈お母さんに着せてもらったネーム入りのお洋服〉と形容するならば、半音階的社会観というのは〈自分の好みで着崩すファッション・スタイル〉の様な「汚し」の世界観だと思っていただければ意図が伝わりやすいかと思います。
その上で、その後のエグいフィルターに於ける「和声的粉飾」が意味するものは後ほどあらためてお判りいただけるかと思います。
28小節目3拍目からの「Am7」へと進行するシンセ・ブラスは、従前の豊かな低域を若干絞る必要があります。この後シンセ・ブラスは豊かにヴォイシングされて行くのですが、低域がエネルギッシュになり過ぎてしまう為抑える必要があります。加えて、中高域を少し上げて明瞭度を上げる必要もあるので音質は若干変化させる必要があります。
そこで今回私は次の様にWavesのQ10を、ひとつのピーキングだけで良いので「Q1」を挟み、その後段にてWaves L3 16を画像のセッティングの様に噛ませて処理しております。これらのセッティングによって、中高域の明瞭度を上げつつ低域を抑え込む事が出来るのでおすすめします。
29小節目1拍目では、ベースこそ明確に鳴っている訳ではありませんが先行和音の「Am7」が維持されての「13th音」相当が付与されているのではなく、「F△7」へと響きが変わっている事は注意が必要かと思います。
29小節目2拍目では「エグいフィルター」の低声部にて [cis] を生ずるのでハーモニー的には経過的に「F△7/C♯」ともすべきかもしれませんが、ご覧の様に「F△7」は白玉で掛留として鳴らされている状況とは異なり、余薫が齎す思弁的な状況です。コードの構成音が明確なのではなく「サブドミナントとしてのⅣ度ですよー」という様な状況にて、低い方で [cis] が1拍分経過的に鳴らされるという状況に過ぎないので、コード表記に [cis] を加えてはいないのです。
これは、先行和音「Am7」のトップノート [g] に対する三全音として、半音階的な「汚し」のテクニックとして低域に用いたのであろうと思います。加えて、「F△7」として聴く必要のある部分でも、更に [cis] として [c] が変化するという「重力」も加味させて和声に揺さぶりをかけているのであろうと思います。
その直後29小節目3拍目弱勢では「F△7/B」として、実質的にはドミナントの根音省略の様な三全音を下部付加音にとって、ドミナントである「G7」を希釈化させた形で「導音上の下属和音」としているのが興味深い所です。実質的にはドミナント・コード(長属十三)の省略形ではありますが、それを希釈化させているという訳です。
また、導音上のコードであろうとも「導和音」つまるところハーフ・ディミニッシュ系の和音として聴かせないのは、ハーフ・ディミニッシュ・コードの第3音を嫌っての希釈化であるのは明白です。つまり、属音および属音から上方五度の音を忌避しているが故の「導音上の下属和音」となっている訳です。とはいえ、機能的には「ドミナント」として解釈すべき状況ではあるという事です。
そうして30小節目1拍目での「Synth Drums」のタムですが、16分音符2つの後の八分音符という3音は、1拍5連符のパルスでの [1・2・3] 音という感じの解釈の方が原曲のそれに近い感じを出せるでしょう。明確な5連符を避けて中庸な感じで採っていただければ、という解釈です。
その直後、同小節3拍目から生ドラムが入って来るという訳ですが、生ドラムのキックと同時にシンセのキック音も付与されているのが特徴でもありますが、生ドラムのスネア音もスウィープさせないスタティックなフィルターで強いピーキングがかかっているのがお判りかと思います。
このスネアの強いピーキングとなっているフィルターを1oct分上向でスウィープさせると「Firecracker」での各小節毎4拍目で鳴っている「クワッ!」という感じのスネアの音に変化するのであります。スウィープかスタティックかでこれほど印象が変わる訳ですが、スウィープさせる際はセルフ信号のトリガーをさせているのだろうと思います。恐らくはムーグⅢcに入力させているのではなかろうかと推察します。
32小節目前半まで「F△7」は維持され、同小節3拍目以降はコード表記通り33小節目4拍目まで「Am7 -> F△7 -> F△7(♯9)-> F6 -> F△7」という風に進行します。
33小節目での「エグいフィルター」は茲から先述の通り「MODULATION」ノブを10時から11時15分辺りを目安に可変させると、ディレイラマの呻き声の様な音を実現できるかと思いますが、直前のコード「F△7」から通常は見慣れない「F△7(♯9)」としてシャープ9thの付与が生じ、その♯9th音が基底部分となる「F△7」を汚すかの様に「エグいフィルター」が [e・gis] という風にして奏されるのですから凄い状況です。
とはいえハーモニーとしては強い溷濁感は現れず、フィルターによる独特な音が逆にスッキリと低域を聞かせてしまうのですから驚きです。
この「F△7(♯9)」の実質的なヴォイシング状況は「F△7/G♯/E」という様になっており、相当下の帯域で [e・gis] の長三度が鳴らされているという事になります。
私の解釈としては、30小節目4拍目から31小節にかけて「エグいフィルター」が奏していた三全音 [h・f] の [h] が余薫として作用させて、実質的に短九度忒いの「F△/E△」という響きに近しい状況を形成させて、「F△」感を暈しにかかっているのであろうと思います。
長和音同士のポリコードで、ペレアス和音の様な長七度忒いのそれはまだしも、短九度忒いのそれにはなかなか遭遇する機会が無いかもしれませんが、ブレッカー兄弟の1stアルバムでは頻出しております。短九度忒いのポリコードというよりも短九度忒いになる下部付加音(分数コード)という音ではあるものの、「A Creature of Many Faces」に於ける下記の当該部埋込箇所テーマ結句部分や「Twilight」の冒頭などは最たる物でしょう。
尚33小節目4拍目での「Human Drums」パートのスネアにマルカートを付しているのは、それがリムショットも鳴るという事を示している物ですのでご注意下さい。リムショットにマルカートを充てるという方策は本来の記譜法では不必要なのでありますが、今回はこうした表記で注意喚起をしているという訳です。
34小節目3拍目から「D9」に進行しますが、ドッペルドミナントとして下行五度進行を採らずに迂迴進行を採って35小節目3拍目では減五度進行つまりはトライトーン・サブスティテューション(三全音代理)となる「A♭7」へとドミナント・コードの裏表を見せた上で後続の「G何某」に進むという訳です。
また、「A♭7」上でのシンセ・ブラスのトリルは、トリルという簡便的な表記を避けて3拍19連符という仰々しい表記を選択した理由は、連符の拍頭を叛いて奏される事が重要なのでこうした表記を選択したという訳です。
35小節目3拍目からコードは「Dm9/G」に進行します。このコードは「G11」から第3音をオミットさせた物と構成音は等しくなりますが、和音の基底部となる第3音が省略されている状況というのは矢張り、基底部の和音としての呪縛は相当に低くなる物であるのは明白であり、茲でのコードは、上声部「Dm9」に対して下部付加音 [g] という解釈の方が適切であろうかと思います。
このコードは41小節目に亙って掛留されますが、シンセ・ブラスが上声部の和音の根音を強調する様に39小節目3拍目弱勢で [d] を付加させて来ます。これにより「F△7(13)/G」よりも「Dm9/G」という表記の整合性を追認しうる状況となる訳です。
そうして42〜43小節目にかけて「エグいフィルター」は本性を剥き出しにするかの様に「MODULATION」ノブが動かされ和声に揺さぶりがかかっておりますが、フィルターのキャラクターに耳が注力されてしまわない様にして能々聴き取ると実は低域で [dis・gis] という完全四度音程を「Am」にスーパーインポーズしているのです。和声的に「汚して」いるという訳です。
先述の「F△7(♯9)」にて♯9th音を低位に置くのと同様に、こちらも上声部に対して短九度忒いとなる音脈をぶつけているのであろうと思いますが、「Am」の低位に「G♯何某」を見出す関連性として想起しうる事は、更なる低位には「G何某」の和音を想起可能なのではないか!? という推測可能な状況なのでもあります。
なぜかというと、ニコラス・スロニムスキーが ‘minor 23rd chord’ という、日本語訳では「属二十三の和音」として知られるそれが、根音から第7音の基底部となる属七和音の高位に対して、短七度音を共有する様にして新たなる属七を生じつつ、短十五度を根音に新たなる属七を有しているという風にして、半音階の総合は3種の属七が牽引力となる様にして形成される事を連想するからです。
そもそも属七和音の牽引力という物は、上方倍音列に合致する様にして強化される牽引力である訳ですから、マトリックス状態で半音階の12音があったとしても、倍音列の牽引力を与えれば3種の属七へ収斂する様にして3度音程を形成しうるのは偶然ではない因果関係である訳ですから、和音自体が属七でなくとも「調域」そのものが、Amの短七度上方の調域と減八度上方の調域が併存するという風に想起する事は十分可能な事なのであり、特に楽曲がクロマティシズムを強化させた世界観で構築されているのであれば尚更その関連性で齎される牽引力は強化されると言っても過言ではありません。
ゆえに、半音階で「汚す」ことを忌憚なく行ったそれが [gis・dis] という完全四度の呼び込みとスーパーインポーズであるという訳で、坂本龍一には「G何某」の調域も視野に入っているというに推察しうる状況でもあるのです。
曷はともあれ、属二十三の和音を視野に入れずとも元の調域に対して「長七度」や「短九度」という関係性であれば半音階的な相互関係として社会観が強化されるのは自明です。
そもそも調性を司っているのは主音・属音の2音であり、主音の地位を更に高めるのが導音(上行導音)の役割です。
短調とて、それが自然短音階(エオリア)ではなくドリア調が優勢だった時代は見過ごされていましたが、エオリアが優勢となったのは和声法が確立されて来たと同時に、「属音への下行導音」としての役割=♭Ⅵが必要になったからであります。
長音階上の「♯Ⅳ」というのは主音との三全音関係であるものの、決して半音階の社会観を強化する物ではありません。「属音」を強化する物として生ずる物です。
下属音を強化する物は上中音なのであり、下属音の強化のために下行導音として「♭Ⅴ」を生ずるのは稀なケースです。現実には、上中音の強化の為に下属音が下行導音として働くフリギア終止の方が優勢なのであり、下属音の立場は非常に脆弱であるのが辛い所でもあります。
とはいえ下属和音上で形成されうる副十三和音にはアヴォイド・ノートが一切無い全音階の総合たる総和音を生じさせる事が出来るのですから、使い方によっては脆弱な立場が一気に主客転倒してしまいかねない程強化されるのですから音楽の不思議な側面でもありましょう。
これらを鑑みれば、調的に優勢な音に対しての上行導音・下行導音とは別の形成で半音階を標榜する策というものが同主調の呼び込みとなる訳です。
同主調の関係という物は、音の構築関係が上下逆さまと言って差し支えないでしょう。ハ長調とハ短調の主和音それぞれを取ってみればお判りになる様に、長音階の主和音の基本形は下から上に三度音程は「長三度・短三度」という構造になっておりますが、短音階の主和音の基本経緯の構造は下から上に「短三度・長三度」と形成されている事からお判りになる様に、音程関係が正反対である訳です。
こうして和声二元論およびネオ・リーマン理論へと拡大するのでありますが、坂本龍一が「Stairs」のウォーキング・ベースに鏡像音程を充てた事でお判りになる様に、上下が逆転する発想は常に齎されていると考えて差し支えないでありましょう。ですから短九度の音脈も忌憚なく取り扱い、それを奇異に聴こえさせる事なく聴衆に耳に届ける方策にあらためて畏れ入るばかりです。
加えて、本曲冒頭にあった四分音律によるアラートの自然な溶け込ませ方というのはあらためて勉強になる訳であり、YMOは初期の段階から相当凄い事をやっていたという事をまざまざと思い知らされる訳でありました。
短い小曲「Bridge Over Troubled Music」の中から学ぶ事はとても多し。ええ、凄いです。
本曲はYMOの1stアルバムのB面に収録されていた曲であり、「La Femme Chinoise(ラ・ファム・シヌワーズ:中国女)」と「Mad Pierrot」との間にメドレーとして存在する小曲であります。
YMOの1stアルバムというと、一般的に知られているのは「米国リミックス盤」なのであり、茲からYMOの流行は始まったと言っても過言ではないでしょう。

本来の1stアルバムに収録されていたにも拘らず米国リミックス盤から割愛された曲が「Acrobat」であるも、A面収録の「コンピューター・ゲーム」を再度思い返す様にしてメドレーで現れ、B面収録である「東風」「中国女」「ブリッジ〜」「マッド・ピエロ」という重厚さと哀愁を漂わせた情緒溢れるメドレーとして統御されている事もあり、「マッド・ピエロ」の余薫が台無しになりかねない素っ頓狂な明るい感じの「アクロバット」が割愛されたのは判る気がします。

YMOの1stアルバムの作りは、シンセの側面で見てもオーソドックスな音色キャラクターが聴かれる物で、その後の彼らの作品で聴かれる変調の激しいシンセ音と比較しても一般的に耳馴染みやすい音色キャラクターが比較的多いかと思います。そういう意味でも比較的とっつきやすいかと思います。これに一役買っているのがオーバーハイムのシンセだと個人的には思っております。
YMOがステージ上で使うオーバーハイムのシンセは、大村憲司がサポートする時期では海外のライヴではまだ使われていたでしょうか!? その辺りは記憶が定かではありませんが、YMOが使用するシンセに於てオーバーハイムが声高に語られる事は意外にも少なく、大抵は「タンス(moog Ⅲc)」や「Eμ(※E-mu以前) modular」「Polymoog」「Prophet-5」あたりでなかろうかと思います。
YMOの音作りとして一貫していた事は、生楽器の様に「固有振動数」つまりフォルマントへの拘りが強くあったと思われ、そのフォルマント感の演出の為に多彩な変調(モジュレーション)が施される事で、他では聴かない様な、それこそ「オーソドックス」な響きをさせない音作りを標榜していた所にありましょう。
加えて、オーソドックスに聴こえさせない特徴のひとつとして挙げられるのが、フィルターのスウィープを無闇にさせない音作りにもあったかと思います。つまり、フィルター・エンベロープを避けて、他の変調要素にフィルターをパッチングさせていたりしていたという訳で、いかにも「ギョインギョイン」とフィルターをスウィープさせた音色を前面に出さないという事も特徴的な側面であったかと思われます。
そんな中でオーバーハイムのシンセは、オーソドックスな役割で「ハーモニー」を稼ぐ様に使われていたかと思います。
無論、そのハーモニーを稼ぐ事に多大な貢献をするのはプロフェット5に取って代わられる様になって行くのですが、私個人としてはオーバーハイムのオーソドックスな時期のYMOサウンドは意外にも結構好きなのであります(笑)。
まあ能くあるAORやR&Bにてローズのエレピが加わるだけで彩りを添えるかの様な、そういうオーソドックスな響きがオーバーハイムにはある事に加え、ノッチフィルターとして搭載されるローパス(LP)/ハイパス(HP)/バンドパス(BP)らのフィルターやらを巧みに使うと他ではなかなか出せない「いやらしい」程にミャンミャン哭くフィルター・スウィープを聴かせてくれるのも特徴なのです。
先述の様にYMOにはフィルター・スウィープを前面に押し出す音色キャラクターが少ない中にあって、1stアルバムでは顕著にオーバーハイムの特徴的なフィルター・スウィープのそれを耳にする事が出来るのであり、それが「Bridge Over Troubled Music」では非常に明快に耳にする事が出来るという物なのです。
今回の譜例動画ではそうしたオーバーハイムの特徴的なキャラクターを押し出す事が出来たのであり、ArturiaのSEM-Vの出来には殆(ほとほと)感服する事頻りでありました。それについては追って詳述します。
尚、今回の譜例動画は一応4K動画としてアップロードしておりますので4K再生可能なブラウザにて高解像度で視聴可能になっております。
では茲から楽曲解説に入りますが、本曲の入り方として特徴的なものとして第一に挙げられるのが楽曲のリズム構造でありまして、従前の「中国女」からテンポを維持したままメドレーで入るものの、オーバーハイムのシンセ・ブラスは拍節構造を変えて入って来ているという構造がその最大の特徴であるという事です。
所謂メトリック・モジュレーションで入って来るという訳ですが、楽曲のアウトロでは結局は元の拍節構造に戻って「Mad Pierrot」に入って行くので結果的にはリズムの欺きという風にして「ひとりだけ」のメトリック・モジュレーションが作用しているというのが大きな特徴であります。
セスクイアルテラとして括られるヘミオラもメトリック・モジュレーションの範疇である訳ですが、例えば4/4拍子の楽曲に於て八分音符5つ分のパルスを1拍として捉えて新たなリズムを形成しようとした時、これは大胆な「リズムの転調」とも言える訳です。ですのでメトリック・モジュレーションと呼ばれる訳です。
余談ではありますが、八分音符5つ分のパルスを1拍として捉えるのは相当に高度なメトリック・モジュレーションでありまして、ジェントル・ジャイアントの3rdアルバム収録の「Schooldays」の中盤ではそうしたメトリック・モジュレーションの例を聴く事が出来ます。
セスクイアルテラおよびヘミオラとはリズムの2:3構造で拍節構造を読み換える物であり、以前にもブログで触れた事がありましたが喩えると、「ミソラ ヒバリ」というリズム構造を、テンポはそのままに「ミソ ラヒ バリ」と拍節感を変えて読むだけで異質な感じに聴こえます。これがヘミオラの最大の魅力という訳です。そこには、分かりきった平滑な拍子構造に揺さぶりをかけようとする狙いがあって生ずる技法のひとつとして使われて来ている訳です。
ヘミオラの場合、2:3という構造のどちらに主従関係の存在は無関係で、3拍子の曲を八分音符のパルスの3つ分に分けて恰も6/8拍子の様に聴かせるという物もあります。ドナルド・フェイゲンのアルバム『The Nightfly』収録の「Maxine」のイントロ冒頭は恰も3拍子の様に入りますが、実は途中から6/8拍子に変化させるというヘミオラの好例でもあります。
ヘミオラを更に細分化した拍節構造のものとしてセスクイテルツィアと呼ばれる物もあり、こちらは3:4の拍節構造というのが特徴なのですが、西洋音楽でもセスクイテルツィアは相当にリズムの学究的部分にアクセスしない限りはそうそう語られる事は少ない物で、大概の場合ヘミオラと一緒に括られて語られる事もあります。ヘミオラというものが如何に主要な地位にあるのかがあらためて判るかと思いますが、「Bridge Over Troubled Music」の冒頭はセスクイテルツィアという3:4構造であるというのが特徴です。
では楽曲1小節目から順に語って行く事にしますが、まずは「ゲッゴゴゲゴゴゴ」というカエルの様な蘞いSEから語って行く事にします。今回はこのSEを「リングSE」と呼びますが、恐らくアイデアの基となっているのはモンゴルの口琴の一つに数えられる「デミール・ホムス(Demir Kopuz=Демир хомус)」でありましょう。
カウベルやサイドスティックなどの音にリングモジュレーションをかけるとこの手の音に近くなるかと思いますが、今回私が制作した譜例動画デモの方ではリング・モジュレーターを用いずに合計47個の正弦波のパーシャル(=部分音)を用いて制作しました。
リングSEは大別して4種のグループに分けられ、譜例動画や次の譜例に示される様に五線譜の各「間」に1つずつのグループを配置させて記譜しております。

譜面上の低位の方から順に第1間・第2間……という風にカウントしていくのですが、各間に配置されるパーシャル・グループはそれぞれ正弦波を次の様な微分音にチューニングして形成させる事で概ね原曲に似る感じで演出が可能となります。
YMOの「Stairs」での擬似ミューテッド・カウベルの模倣でもやった様に、Logic Pro XのEXS24mkⅡあるいはSamplerでのデフォルト正弦波を用いつつ、MIDIノート番号に従ってトラック名に充てた数字の増減がセント数であるので、各パーシャルを数字に従って調整すればリングSEを作る事が出来るという訳です。
このリングSEを作る時の微小音程の調整は、元がMIDIノート番号である為、±50セントの調整幅もあって半音単位を基準に増減値が割り当てられておりますが、後述する他の微分音群に関しては幹音を基準に例示するので、その辺りは混同されぬよう注意をされたいと思います。
では、1小節目から順次語ってまいりますが、リングSEとシンセ・ドラム類を除けば最初に顕著に現れるのが長いディケイ・タイムを取ってポルタメント下行するシンセ・タムです。この音も他の音に見られる様な単位微分音の音梯を採っているのだろうか!? と色々探りましたが、連続的変化のポルタメントと判断しました。仮に八分音(=48ET)よりも倍細かい96ETでの音梯で機器側のポルタメントを併用した上で音梯間を丸め込んだとしても斯様な連続変化にはならないと判断した上での制作です。
次に、1小節目4拍目から現れるのが「24et」パートでの四分音音梯での長三度音程の漸次1単位四分音下行フレーズであります。この音は、私個人は勝手にアニメ『うる星やつら』の「ラムちゃん登場」と名付けて制作していた物でした。但し、『うる星やつら』のラムちゃん登場シーンのSEは、長七度音程上昇のフレーズが漸次半音下行を繰り返して行くものなので、そのSEよりも「24et」の下行フレーズは細かい物となります。
思えばYMOの1stアルバムの頃は週刊誌の方で『うる星やつら』は話題になっていたものの、アニメ放送開始は始まっておりませんでした。後年、アニメ放送が開始となってラムちゃん登場シーンのそれには本曲のSEを脳裏に投影させていた物です。
私は週刊マンガを1988年までは購読する癖が付いておりましたが、Macを手にする様になってからパタッと読むのをやめてしまった物です。ライフスタイルが変わる程にMacが手に付く様になったからでもありましたが、1979年辺りだと『わたしの沖田くん』という漫画も話題になっていたかと思います。私自身親元を離れ仲手原のボロアパート(共同洗面台、共同トイレ、風呂無し)に住んでいた事もあったので当時の記憶が思い起こされるという訳です(嗤)。
扨て、ラムちゃん登場SEの次に注目すべきは「48et」のパートです。パート名が示す通り、このパートは八分音律という事となるので、ラムちゃんの四分音よりも更に細かい微分音という事になります。加えて「48et」のパートで気を付けたいのは、このパートのみ「A=441.3Hz」のコンサート・ピッチを基準に採る必要があるという点です。
畢竟するに、他のパートはA=440Hzなのですから凡そ「5セント」高いという事になり、他のパートと比して5セントほど高くオフセットするのが好ましいという意味でもあるのです。ですので、このパートで生じている八分音は、他のパートと比して「25・50・75セント」という単位微分音の違いの差として生ずるのではなく半音階(12ET)と比して「5・30・55・80セント」の差が現れるという事を同時に意味します。このパートのみで考えれば八分音律で間違いないのですが、複数の基準ピッチを用いているという状況だけが注意点となります。
また、48etの微分音は、1単位四分音(=50セント)下行フレーズが1単位八分音(=25セント)漸次移高を繰り返すという物なので、これまた非常に厄介な音梯で形成されているという訳です。とはいえ48etのパートで音が出現するのは2小節目からなのでありますが、冒頭での微分音の前置きは重要と考え同列に語る事としました。
初期YMOの時期ですら、坂本龍一や松武秀樹らの間では、電圧が倍になるとオクターヴ上昇という機器的な性質を利用して電圧を制御して微分音を作っていたという事がこれらの24etと48etのパートからも明白であり、こうした知識が後年の『B-2 UNIT』制作にも活かされていたのだとあらためて思えるのであります。
本曲のテンポは譜例で示される通り四分音符=134.36ca. という表示の通りDAWなどで再生すれば、当該部分を原曲から切り出して同時に再生しても「ほぼ」一致する様には制作しております。
2小節目の「Alert α」のパートに注目です。このαパートも四分音律でありますが、後に現れる「Alert β」パートの方はもっと多様な微分音クラスターとして鳴らされます。この様なアラート音などの「複合音」の組成を紐解く上で重要な事は、調性に靡かない音感を鍛える事が重要でありましょう。
それというのも、音(音波)というものは純音を除く全ては「複合音」なのであり、基音以外の上方倍音と非整数次倍音が混ざっているものです。
そうした複合音の中には器楽的ではない音の集合体もあれば器楽的な和音と成している状況の物もあります。斯様な情況を踏まえた上であらためて注目すべき点は、調性・和音諸機能・協和音ばかりに靡かぬ強固な複合音の聴取・採譜能力を持つ事が重要なのであり、音楽的素養が高まるにつれて斯様な能力が高まるものです。
とはいえ経験の絶対的な時間の経過を俟つ事で自然と能力が付いて来るというのは早計であり、音楽への深い洞察が無ければ徒らに時間が過ぎ去るだけでありましょう。自身の音楽的素養が調性に靡いてしまう様な状況であれば複合音の組成を協和感の強い音へ丸め込んで誤認して聴いてしまったり或いは無頓着になったりと、拾い上げる音が実際のそれとは異なる音として聴いてしまうという側面も払拭できないであろうと思われます。
聴取能力を高めるには、少なくとも12ETの世界では半音階的社会に徹底的に馴染む事であり、これが無ければ微分音の感得もままならない事でしょう。これだけは言えますが、音楽を嗜む上で重要なファクターが「歌詞」「唄」「声質」という方にはまず無理な能力であろうかと思います。
それにしても、このαパートのアラートを模した綺麗な四分音のそれには、坂本龍一の環境音への知識やスペクトル楽派のそれを汲み取っているが故の技法である事には疑いのない所であり、こうした四分音律を既知の12ETに見事に溶け込ませている所はあらためて驚くばかりです。
オリジナルのリリースから40年以上経過している現在、こうした微分音のソースに今猶気付かずに居る旧来のファンが居るのは残念至極であり、若い新たなるファンこそこうした重要な事実を取りこぼす事なく堪能していただきたいと思わんばかりです。
尚、注釈として ‘fig1’ と充てておりますが、これは44小節目の終止部欄外に後掲させておりますが、こちらで表す数値は先述の通り幹音からの増減値であるので注意していただきたい所です。αの複合音の最低音は「Gセスクイシャープ」であるが故に「G♮から150セント上」という事です。同様にしてDセスクイフラット、Bセミフラット、Cセミフラットという構造になっているという訳です。
オーバーハイムのシンセ・ブラスが2小節目4拍目から入って来ますが、楽譜上での八分音符のパルス3つ分がシンセ・ブラスにとっての八分音符という風に解釈してもらうと、セスクイテルツィアというメトリック・モジュレーションの状況をお判りいただけるかと思います。
八分音符×3のパルスという状況で付点十六分音符という事は、メゾスタッカート的に奏するという状況を意味しているのであります。
また、茲から開始されるセスクイテルツィアは、基の拍節構造を「3」とした時、シンセ・ブラスはその長さを「4」と捉えている構造であるものの、徹頭徹尾厳格にセスクイ・アルテラが維持されているのではありません。セスクイテルツィアという3:4の構造はあくまでも楽曲の拍節構造を人間的に捉えた「呼吸感」として標榜する世界観というのが本曲の実際であります。
そうした状況でのメトリック・モジュレーションである事から、曲中で生ずるルバート・テンポが介在している事で本来杓子定規に照らし合わせれば3:4構造が維持される筈の拍節構造が譜面上では壊れてしまうのですが、「標榜」する世界観は生ドラムが入る迄はセスクイテルツィアなのです。現実としてはルバート・テンポも介在する為、直近の基の拍節構造にシンセ・ブラスが標榜する「強勢」が宿り、その拍から新たにセスクイテルツィアが持続されて行くという構造になっている訳です。
平たく言えば、ルバート・テンポで通過してしまった本来の着地点が後続の収まりの良い拍に辻褄を合わせた感じになったと言えば伝わりやすいでしょうが、実際にはこんなぶっきらぼうな表現での演奏ではないので、その辺りには配慮して説明しているという事は念頭に置いていただきたいと思います。
3小節目2拍目弱勢。「C△7」と捉えうるコードの箇所からシンセ・ブラスの標榜する小節線の拍頭だと思っていただければ良いかと思います。基の拍の強勢にあればもっと分かりやすい平易な構造として聴かれた事でありましょうが、それにしても小難しい所から入って来る物です。
4小節目のシンセ・ブラスの左手低音部は、[c] のみ保続されタイで結ばれているという表記には十分注意して欲しいと思います。
また4小節目2拍目から「Nasty Filter」パートが低域にてハーモニーを「補完」して来ます。下から [e・a] という風にして「C△7」に対して充てられているものの、コード表記は変えずに「C△7」を維持した解釈にしております。経過的にみれば後続の「D7」に対して「Am7」解釈しうる状況ですが、和声的にそれほど関与していないという判断で「C△7」措定とさせていただきました。
このパートを「エグいフィルター」と今後称して行きますが、このドぎつい程のフィルター・サウンドも実際はオーバーハイムであろうかと思われます。余談ですが、後に現れる本パートの音部記号は通常のヘ音記号より1オクターヴ低い音部記号へと変化するのでご注意下さい。
シンセ・ブラスのオーバーハイムも当初の大半は4音のポリフォニックで奏されているものの、終盤ではかなりポリ数を稼いで演奏されている事から、ライヴなどの演奏を視野に入れて小規模な状況でも再現可能な様に冒頭からは4音で構成されているのでありましょうが、こうした状況から判別できる事は、シンセ・ブラスのパートにオーバーハイムSEMの8ボイスを用いており、「エグいフィルター」の方がオーバーハイムのSEM4ボイスを用いているのではなかろうかと思います。
無論、オーバーダブの可能性も捨て切れませんが初期YMOではオーバーハイムが多用されていた事を勘案すると、4&8ボイスの併用で同時にレコーディングした方が録音時間の短縮も可能であったでしょうから、大掛かりなシステムほど効率的に録音されていったと考えるのが妥当な線である事を思えば、異なるSEMの併用が視野に入るという訳です。
扨て、この「エグいフィルター」というのは、ムーグなどの4極フィルター(=24dB)と違ってオーバーハイムのそれは2極(=12dB)であるものの、幅に違いがあるのか意外にもいやらしいフィルタリングを実現できる物で、楽曲終盤にてそれこそ後年の「ディレイラマ」を思わせる様な「ギャイギャイ」喚く様なフィルター・サウンドはSEMならではのキャラクターでもあります。この「Nasty Filter」の音色は下記の様に、ArturiaのSEM2 Vのセッティングにして「VCF」スロット内の「MODULATION」のツマミ位置を画像の10時の位置から概ね11時15分までの範囲でグリグリと可変させると、原曲の様な「ギャイギャイ」と喚く様なフィルター・サウンドを得られるのでお試しあれ。
原曲での「ギャイギャイ」言わせていたり微分音のクラスターを施しているSEの演奏は、メイン・フレーズのそれとは異なり恐らくリゲティの「Artikulation」がヒントになっているのかもしれません。図形楽譜で書かれた電子音楽でありますが、こうした所もヒントになっていたのかもしれません。
ついでに、シンセ・ブラスの方のSEMのセッティングも下記に示しておきましょう。但し、このシンセ・ブラスは、セスクイテルツィアが解除される時には後段のエフェクトでセッティングが変わる事で音に変化が加わりますので、それは追って説明して行きます。
然し乍ら5小節目では、その保続された [c] は十六分音符1つ分の歴時に過ぎないのであるので、一般的なポピュラー音楽的解釈からすれば瑣末事で丸め込まれてしまうかもしれませんが、この瑣末と思われる歴時の表現は、シンセ・ブラスと他のパートがポリテンポ状態であるからこそ丸め込める事が許されない表記である事はご容赦願いたいと思います。読みやすさだけに配慮してしまうと、基の拍節構造に隷従してしまってセスクイテルツィア構造の細やかさが無くなってしまうが故に、こうした仰々しい表記になっているのです。
先述した様に、原曲を切り出して同時に再生していただければ、こうした細やかさが必要になるのはあらためてお判りいただけるかと思います。
5小節目の2拍目で「D7」へのコード・チェンジが為されますが、茲からの2〜4拍目での計3拍をシンセ・ブラスは「4」で採っているという事があらためてお判りになるかと思います。構造を掴みやすい箇所です。
6小節目については特筆すべきものはありません。
7小節目1拍目弱勢からあらためてセスクイテルツィアが生じますが、この弱勢は「八分裏」を示しているので、茲からあらためて付点八分の歴時がシンセ・ブラスにとっての八分音符という訳です。それにしても「D7」をそのままに減五度進行で「A♭△7」に進むのは好いですね。そう簡単には予見させない揺さぶりが功を奏しています。
8小節目も「A♭△7」のそれを引き継いでいる箇所なので、特筆すべきものはありません。
9小節目では拍頭から「C△7」のコードがシンセ・ブラスで奏されます。それまでの演奏を勘案すれば、この拍頭にはルバート・テンポで入っているのですが、それが上手い事泊り木として見つけた着地点が9小節目の拍頭となっているのでしょう。
10小節目は「F♯m7(♭5)」というハーフ・ディミニッシュが特徴的ですが、平行短調「Ⅵm」を「Ⅰm」と見なした時のドリアンのⅥ度という風にモーダル・インターチェンジにもなっている訳です。
11小節目2拍目からのシンセ・ブラスの両手のトリルは結構厄介でありましょう。というのもピアノの様な減衰系の楽器ではこうした運指はまず見られず、持続音系少なくともオルガン系統ではないとこうした運指は見られないのではないでしょうし、持続音系だからこその指使いであろうかと思います。こうした点の注意喚起という意味で指番号を付したという訳です。
この様な運指には、ナショナル・ヘルスの1stアルバム収録の「Tenemos Roads」でのデイヴ・スチュワートの執拗な十六分音符のトリルを投影したものです。
低い方で音をペダルポイントにしつつ、高い方でトリルを施すという事を両手で行っているという事で、和声的には「D7」のオルタード・テンションを纏った響きとなるので「D7alt」と表記しているのです。
トリルの左手は次第にスピードを遅めて7連符→6連符という風にして、右手の32分音符とはポリメトリック構造になるので、それらが「錯綜」する様に新たなる「紋様」がモアレの様に浮き立って来る様子は原曲からもお判りになるかと思います。それがあらためて上手い事再現できたのではなかろうかと思います。
12小節目4拍目でのシンセ・ブラスは右手のトリルから上行フレーズに変わる時の [eis] は、オルタード・テンションの「♯9th」として捉える必要があるので [f] とはしませんでした。[fis] が「D7」上の長三度音である事を勘案すれば [f] というオルタード・テンション・ノートとして表記できなかった訳です。
ですが、そもそもドミナント・シャープ9thの増九度音の実際は、同主調の音脈を基にしたポリコード由来を端に発しているので、「♯9th」の実際は殆どの場合でも「♭10th」でありましょう。然し乍ら、一般的なジャズ的解釈でのオルタード・テンションでは「♭10th」表記だとオルタード・テンションでの「♯9th」として映らなくなってしまうので、オルタード・テンション表記としての「♯9th」を優先したのであります。
そうする事で、同小節4拍目での線運びは [eis - fis - gis - b] という風になっており、それらは「♯9th・M3rd・♯11th・♭13th」というオルタード・テンションでの順次進行となっている事があらためてお判りになる事でしょう。こうして明示しないとオルタード・テンションである事が不明確になってしまうが故に注意して表記したのです。
13小節目では [d] を極点にあらためてオルタード・テンションの下行フレーズを形成し、その際に上行フレーズでは生じなかった「♭9th」相当の [es] が介在しているのがお判りになるかと思います。これらのオルタード・テンションの明示によって、オルタード・スケールを充てている事があらためてお判りになろうかと思います。
13小節目3拍目での「アラートβ」には注釈 ‘fig2’ を充てている様に、それらの複合音組成の状況は譜例動画終止部に見られる様に、幹音からの増減値としてセント数をそのまま調整してやると再現可能になります。
アラートβの複合音組成を幹音基準ではなく半音階基準でのMIDIノート番号で表すと次の様に
D♯7 +50
E7 +45
B7 +45
C8 +12
D♯8 -45
F♯8 +67
G♯8 ±0
A♯8 +45
という風に表す事ができるので、譜例動画終止部で示される ‘fig2’ での幹音基準とは異なる表記となるのでどちらが判読しやすいかはお任せします。
尚、このアラートβは通常のト音記号よりも2オクターヴ高いという事を示している音部記号を用いております。加えて、先行音の直後で生ずるアラート音とは微妙に異なり1音だけ音高が違うので注意していただきたいと思います。それは ‘fig3’ として後に示す事になりますが、「C8 +12」が全音分下行して「A7 +112」となっている部分です。この音だけが変わっているという事です。
同小節3拍目ではコードが「G7(13)」に変わりますが、このコードは13th音が付与されるも響きの上では長属十三というよりも属七に13th音が付随したコードとして耳に届く事でしょう。
とはいえ終止部直前で「Dm9/G」というコードが生ずるのでこちらもあらためて後述するものの、その構成音としては「G13」から本位十一度(=♮11th)がオミットされただけの響きであるにも拘らず両者は全く異なる物なので、構成音が似ていたり或いは属和音に置き換えて見る事が如何に早計であるかという事をあらためて窺い知れるかと思いますので、注意深く比較して聴き取っていただきたいと思います。
無論、能くある「Ⅱm7/Ⅴ」の型とて「Ⅴ11」の方便とする使い方ではあるものの、属和音に主体性を持たせるか、或いは下部付加音として響きを分離させた事を強調する様にスラッシュ・コードを充てるのはどちらが好ましいのか!? という事については、その響きが齎している状況によって変化すると言わざるを得ません。
14小節目2拍目では本曲でのこの「G7(13)」のお洒落な使い方が顕著に現れる箇所でありましょう。シンセ・ブラスの低音部(左手)は七度音程でヴォイシングする事が重要ですので [g・f] とヴォイシングされている訳です。その [f] が下がって「♭13th」相当の [es] へ進行している訳です。重要な理解としては、この「♭13th」は決して「G7」上の増五度 [dis] と見なす事は出来ないという点にあります。
なぜなら、仮にG7上の五度音が増音程として「膨らんで」[dis] を形成したとするならば、更に上声部に存在する右手の [d] を増音程化して膨らませる筈です。
つまり、上音にある [d] をそのままに内声に [es] を置く事が重要であるので、これを属和音の「aug何某」とは判断できない使い方なのです。
何故こうした事を強調するのかというと、西洋音楽由来では属九・属十一・属十三およびそれらの変化和音を用いる際、5th音を省略する事が前提として「教育」されるのでありますが、ジャズ・ヴォイシングを企図する場合、前掲の様なオルタード・テンションと和音基底部とで生ずる「長七度音程」および「短二度音程」というのは絶妙な味付けとして好んで用いられる物であり、生硬さが増すヴォイシングとしてピアノはおろかホーン・セクションあるいはギターでも頻繁に用いられる手法なので是認される使い方であるという風に理解する事が重要だからなのであります。
なぜ正統教育の側が属和音上の五度音を省略させるのかというと、和音が五度音を提示する必要のない「線形」形成に重きを置く為、或いはフレージング創出の為に五度音という和音の側が目指すべき方向を和音の側が〈あてこすり〉で提示する必要が無いからなのであります。和音がわざわざ提示して、フレーズの側もそこを極点として着地した場合は五度音を重複する事で折角の重畳しい和音が在り来たりの五度音重複で興醒めさせかねないからです。それに加えて、西洋音楽の旋律形成が基礎としているのは対位法が関与している事もあり、目指すべき一旦の極点が五度音であるという事に端を発しているからでもあります(※それら以外の要素としては他に、結合差音が関与して五度音を補強するという音響心理学的な状況をヒンデミット著『作曲の手引』で示されております)。
ジャズ・ヴォイシングというのはその前後の声部の連なりという風に形成されてはいません。横の線というのは最初のテーマでの提示か、その後のインプロヴァイズで形成されるという状況ですので、西洋音楽からすればコードの前後で長七度/減八度の跳躍など頻繁に現れている様に映る筈ですが、ジャズではこうした跳躍は当たり前です。
これらの前提を踏まえた上で「ジャズ・ヴォイシング」を忍ばせた使い方という事をあらためて理解に及んでいただきたいと思う訳です。
15小節目2拍目からコードはトニックへの解決となる「C△」へと着地。シンセ・ブラスのパートでの3連符に態々休符を充てて書いているのは、各音の音価を短めのメゾスタッカート感の演出の為に必要だと判断したからであります。装飾記号を充てて書けば読みやすさは増しますが、基本の拍子にセスクイテルツィアが埋没してしまうからです。
16小節目4拍目ではパラレルコード(※全音階的に構成音を共有する三度下方の和音の意)である「Am7」に進みます。決して「C6」ではありません。シンセ・ブラスの装飾音 [ais] は、よくぞ「Am7」上でのこうした増八度由来の装飾音は、直後の [h] を強調させる為の装飾音なのでして、さりげない乍らもこうした使い方を忍ばせられるところに坂本龍一のセンスをあらためて痛感させられる物です。
そうしてこの響きが後続の17小節でも維持されます。
18小節目4拍目でコードは「A7」へと変化します。4拍目の時点でのシンセ・ブラスでは「A7」である必要のある重要な第3音 [cis] は明示的に弾かれるどころか省略されているのですが、これを仄かに補完しているのが「エグいフィルター」の側なのです。そうして19〜20小節でもオルタード・テンションでフレージングされて21小節目でも「A7」は [cis] を省略した状態として掛留されます。
21小節目4拍目では、先行和音「A7」が下行四度進行を採らずに「F△7」へと進行します。
22小節目4拍目弱勢では、拍の最後の最後とも言える32分音符で「A♭△7」へ所謂クロマティック ・メディアント進行となっている訳ですが、茲はほぼ「後打音」として23小節目1拍目拍頭での音が移勢して入って来ているという解釈でもおかしくはありません。
通俗的には「突っ込んで」入って来ている訳ですが、この前のめり感がないと後続でのシンセ・ブラスでのイネガルが入った「いびつ」な演奏表現が活きなくなってしまうのですから、この32分音符程度の前のめりが如何に重要なのかを吟味していただきたいと思います。
23小節目4拍目では「B♭7」へと進行し、その後の24小節目でも継続されます。重要な音の選択としては「B♭7」上での [e] つまり「♯11th」相当の音使いであります。
25小節目では再度「F△7」へとコードが戻り、シンセ・ブラスの節回しは逡巡するかの様に演出されているかと思います。
26小節目1拍目は「F♯m7(♭5)」へと進みますが、2拍目拍頭の移勢として書かれるものの基の拍節構造から偶々そう見えるだけの事で、シンセ・ブラスからは突っ込んでいるのではなくルバート・テンポ感によって「遅れて」入っているので、その辺りの解釈は厳密にしておく必要があるかと思います。そうして27小節目も掛留されて行く事となります。
27小節目でのエグいフィルターの方では [a - c] と3度上行進行を採った後にダブルクロマティックで [d] から順次半音で下行して行くフレーズが顕著ですので、この辺りは非常に良く考えられている事があらためて判るのです。それはクロマティシズムの追求という事で、こうしたある程度予見が可能な状況でも「半音階で汚す」という事を視野に入れてのフレージングおよび和声的粉飾だという事です。
半音階的社会観が総じて汚穢の塊という訳ではありません。強いて言うならばベタな程に予見の容易い全音階の社会観のそれを〈お母さんに着せてもらったネーム入りのお洋服〉と形容するならば、半音階的社会観というのは〈自分の好みで着崩すファッション・スタイル〉の様な「汚し」の世界観だと思っていただければ意図が伝わりやすいかと思います。
その上で、その後のエグいフィルターに於ける「和声的粉飾」が意味するものは後ほどあらためてお判りいただけるかと思います。
28小節目3拍目からの「Am7」へと進行するシンセ・ブラスは、従前の豊かな低域を若干絞る必要があります。この後シンセ・ブラスは豊かにヴォイシングされて行くのですが、低域がエネルギッシュになり過ぎてしまう為抑える必要があります。加えて、中高域を少し上げて明瞭度を上げる必要もあるので音質は若干変化させる必要があります。
そこで今回私は次の様にWavesのQ10を、ひとつのピーキングだけで良いので「Q1」を挟み、その後段にてWaves L3 16を画像のセッティングの様に噛ませて処理しております。これらのセッティングによって、中高域の明瞭度を上げつつ低域を抑え込む事が出来るのでおすすめします。
29小節目1拍目では、ベースこそ明確に鳴っている訳ではありませんが先行和音の「Am7」が維持されての「13th音」相当が付与されているのではなく、「F△7」へと響きが変わっている事は注意が必要かと思います。
29小節目2拍目では「エグいフィルター」の低声部にて [cis] を生ずるのでハーモニー的には経過的に「F△7/C♯」ともすべきかもしれませんが、ご覧の様に「F△7」は白玉で掛留として鳴らされている状況とは異なり、余薫が齎す思弁的な状況です。コードの構成音が明確なのではなく「サブドミナントとしてのⅣ度ですよー」という様な状況にて、低い方で [cis] が1拍分経過的に鳴らされるという状況に過ぎないので、コード表記に [cis] を加えてはいないのです。
これは、先行和音「Am7」のトップノート [g] に対する三全音として、半音階的な「汚し」のテクニックとして低域に用いたのであろうと思います。加えて、「F△7」として聴く必要のある部分でも、更に [cis] として [c] が変化するという「重力」も加味させて和声に揺さぶりをかけているのであろうと思います。
その直後29小節目3拍目弱勢では「F△7/B」として、実質的にはドミナントの根音省略の様な三全音を下部付加音にとって、ドミナントである「G7」を希釈化させた形で「導音上の下属和音」としているのが興味深い所です。実質的にはドミナント・コード(長属十三)の省略形ではありますが、それを希釈化させているという訳です。
また、導音上のコードであろうとも「導和音」つまるところハーフ・ディミニッシュ系の和音として聴かせないのは、ハーフ・ディミニッシュ・コードの第3音を嫌っての希釈化であるのは明白です。つまり、属音および属音から上方五度の音を忌避しているが故の「導音上の下属和音」となっている訳です。とはいえ、機能的には「ドミナント」として解釈すべき状況ではあるという事です。
そうして30小節目1拍目での「Synth Drums」のタムですが、16分音符2つの後の八分音符という3音は、1拍5連符のパルスでの [1・2・3] 音という感じの解釈の方が原曲のそれに近い感じを出せるでしょう。明確な5連符を避けて中庸な感じで採っていただければ、という解釈です。
その直後、同小節3拍目から生ドラムが入って来るという訳ですが、生ドラムのキックと同時にシンセのキック音も付与されているのが特徴でもありますが、生ドラムのスネア音もスウィープさせないスタティックなフィルターで強いピーキングがかかっているのがお判りかと思います。
このスネアの強いピーキングとなっているフィルターを1oct分上向でスウィープさせると「Firecracker」での各小節毎4拍目で鳴っている「クワッ!」という感じのスネアの音に変化するのであります。スウィープかスタティックかでこれほど印象が変わる訳ですが、スウィープさせる際はセルフ信号のトリガーをさせているのだろうと思います。恐らくはムーグⅢcに入力させているのではなかろうかと推察します。
32小節目前半まで「F△7」は維持され、同小節3拍目以降はコード表記通り33小節目4拍目まで「Am7 -> F△7 -> F△7(♯9)-> F6 -> F△7」という風に進行します。
33小節目での「エグいフィルター」は茲から先述の通り「MODULATION」ノブを10時から11時15分辺りを目安に可変させると、ディレイラマの呻き声の様な音を実現できるかと思いますが、直前のコード「F△7」から通常は見慣れない「F△7(♯9)」としてシャープ9thの付与が生じ、その♯9th音が基底部分となる「F△7」を汚すかの様に「エグいフィルター」が [e・gis] という風にして奏されるのですから凄い状況です。
とはいえハーモニーとしては強い溷濁感は現れず、フィルターによる独特な音が逆にスッキリと低域を聞かせてしまうのですから驚きです。
この「F△7(♯9)」の実質的なヴォイシング状況は「F△7/G♯/E」という様になっており、相当下の帯域で [e・gis] の長三度が鳴らされているという事になります。
私の解釈としては、30小節目4拍目から31小節にかけて「エグいフィルター」が奏していた三全音 [h・f] の [h] が余薫として作用させて、実質的に短九度忒いの「F△/E△」という響きに近しい状況を形成させて、「F△」感を暈しにかかっているのであろうと思います。
長和音同士のポリコードで、ペレアス和音の様な長七度忒いのそれはまだしも、短九度忒いのそれにはなかなか遭遇する機会が無いかもしれませんが、ブレッカー兄弟の1stアルバムでは頻出しております。短九度忒いのポリコードというよりも短九度忒いになる下部付加音(分数コード)という音ではあるものの、「A Creature of Many Faces」に於ける下記の当該部埋込箇所テーマ結句部分や「Twilight」の冒頭などは最たる物でしょう。
尚33小節目4拍目での「Human Drums」パートのスネアにマルカートを付しているのは、それがリムショットも鳴るという事を示している物ですのでご注意下さい。リムショットにマルカートを充てるという方策は本来の記譜法では不必要なのでありますが、今回はこうした表記で注意喚起をしているという訳です。
34小節目3拍目から「D9」に進行しますが、ドッペルドミナントとして下行五度進行を採らずに迂迴進行を採って35小節目3拍目では減五度進行つまりはトライトーン・サブスティテューション(三全音代理)となる「A♭7」へとドミナント・コードの裏表を見せた上で後続の「G何某」に進むという訳です。
また、「A♭7」上でのシンセ・ブラスのトリルは、トリルという簡便的な表記を避けて3拍19連符という仰々しい表記を選択した理由は、連符の拍頭を叛いて奏される事が重要なのでこうした表記を選択したという訳です。
35小節目3拍目からコードは「Dm9/G」に進行します。このコードは「G11」から第3音をオミットさせた物と構成音は等しくなりますが、和音の基底部となる第3音が省略されている状況というのは矢張り、基底部の和音としての呪縛は相当に低くなる物であるのは明白であり、茲でのコードは、上声部「Dm9」に対して下部付加音 [g] という解釈の方が適切であろうかと思います。
このコードは41小節目に亙って掛留されますが、シンセ・ブラスが上声部の和音の根音を強調する様に39小節目3拍目弱勢で [d] を付加させて来ます。これにより「F△7(13)/G」よりも「Dm9/G」という表記の整合性を追認しうる状況となる訳です。
そうして42〜43小節目にかけて「エグいフィルター」は本性を剥き出しにするかの様に「MODULATION」ノブが動かされ和声に揺さぶりがかかっておりますが、フィルターのキャラクターに耳が注力されてしまわない様にして能々聴き取ると実は低域で [dis・gis] という完全四度音程を「Am」にスーパーインポーズしているのです。和声的に「汚して」いるという訳です。
先述の「F△7(♯9)」にて♯9th音を低位に置くのと同様に、こちらも上声部に対して短九度忒いとなる音脈をぶつけているのであろうと思いますが、「Am」の低位に「G♯何某」を見出す関連性として想起しうる事は、更なる低位には「G何某」の和音を想起可能なのではないか!? という推測可能な状況なのでもあります。
なぜかというと、ニコラス・スロニムスキーが ‘minor 23rd chord’ という、日本語訳では「属二十三の和音」として知られるそれが、根音から第7音の基底部となる属七和音の高位に対して、短七度音を共有する様にして新たなる属七を生じつつ、短十五度を根音に新たなる属七を有しているという風にして、半音階の総合は3種の属七が牽引力となる様にして形成される事を連想するからです。
そもそも属七和音の牽引力という物は、上方倍音列に合致する様にして強化される牽引力である訳ですから、マトリックス状態で半音階の12音があったとしても、倍音列の牽引力を与えれば3種の属七へ収斂する様にして3度音程を形成しうるのは偶然ではない因果関係である訳ですから、和音自体が属七でなくとも「調域」そのものが、Amの短七度上方の調域と減八度上方の調域が併存するという風に想起する事は十分可能な事なのであり、特に楽曲がクロマティシズムを強化させた世界観で構築されているのであれば尚更その関連性で齎される牽引力は強化されると言っても過言ではありません。
ゆえに、半音階で「汚す」ことを忌憚なく行ったそれが [gis・dis] という完全四度の呼び込みとスーパーインポーズであるという訳で、坂本龍一には「G何某」の調域も視野に入っているというに推察しうる状況でもあるのです。
曷はともあれ、属二十三の和音を視野に入れずとも元の調域に対して「長七度」や「短九度」という関係性であれば半音階的な相互関係として社会観が強化されるのは自明です。
そもそも調性を司っているのは主音・属音の2音であり、主音の地位を更に高めるのが導音(上行導音)の役割です。
短調とて、それが自然短音階(エオリア)ではなくドリア調が優勢だった時代は見過ごされていましたが、エオリアが優勢となったのは和声法が確立されて来たと同時に、「属音への下行導音」としての役割=♭Ⅵが必要になったからであります。
長音階上の「♯Ⅳ」というのは主音との三全音関係であるものの、決して半音階の社会観を強化する物ではありません。「属音」を強化する物として生ずる物です。
下属音を強化する物は上中音なのであり、下属音の強化のために下行導音として「♭Ⅴ」を生ずるのは稀なケースです。現実には、上中音の強化の為に下属音が下行導音として働くフリギア終止の方が優勢なのであり、下属音の立場は非常に脆弱であるのが辛い所でもあります。
とはいえ下属和音上で形成されうる副十三和音にはアヴォイド・ノートが一切無い全音階の総合たる総和音を生じさせる事が出来るのですから、使い方によっては脆弱な立場が一気に主客転倒してしまいかねない程強化されるのですから音楽の不思議な側面でもありましょう。
これらを鑑みれば、調的に優勢な音に対しての上行導音・下行導音とは別の形成で半音階を標榜する策というものが同主調の呼び込みとなる訳です。
同主調の関係という物は、音の構築関係が上下逆さまと言って差し支えないでしょう。ハ長調とハ短調の主和音それぞれを取ってみればお判りになる様に、長音階の主和音の基本形は下から上に三度音程は「長三度・短三度」という構造になっておりますが、短音階の主和音の基本経緯の構造は下から上に「短三度・長三度」と形成されている事からお判りになる様に、音程関係が正反対である訳です。
こうして和声二元論およびネオ・リーマン理論へと拡大するのでありますが、坂本龍一が「Stairs」のウォーキング・ベースに鏡像音程を充てた事でお判りになる様に、上下が逆転する発想は常に齎されていると考えて差し支えないでありましょう。ですから短九度の音脈も忌憚なく取り扱い、それを奇異に聴こえさせる事なく聴衆に耳に届ける方策にあらためて畏れ入るばかりです。
加えて、本曲冒頭にあった四分音律によるアラートの自然な溶け込ませ方というのはあらためて勉強になる訳であり、YMOは初期の段階から相当凄い事をやっていたという事をまざまざと思い知らされる訳でありました。
短い小曲「Bridge Over Troubled Music」の中から学ぶ事はとても多し。ええ、凄いです。