オルタード・テンションの反省 (3)

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早速前回の続きに入りますが、「Bb△/Gaug」のコトですね。この響きがあまりピンと来ない方は、下声部(概ねベース的フレーズ)においてGの増三和音フレーズを鳴らしながら、上声部は下声部の半分の音価(つまり速いフレーズ)でBbメジャーの分散フレーズでも弾いてみて下さい。響きをお判りいただけるかと思います。





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扨て、こうした「Bb△/Gaug」というハイブリッドな和声を得ましたが、メロディー・ラインは「親切臨時記号」を付随させた上でAb→Bbという風に入ります。一般的な表記例として配慮した「G7 (#9、b13)」というコードからb9th音から入って来るのは「コレってアリなの!?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。音価がデカい時はコード・トーンに寄り添うコトとなるので避けた方がイイ音ではありますが、「旋法的」なアプローチであれば全然アリです。通常の音世界においてもです。


しかし、左近治はここでのAb音を、背景のあたかも「G7 (#9、b13)」のコード上にさらにb9th音を響かせた体として本当は「和声的に」導入したいのが真の意図なのです。


和声的にb9th音と#9th音を同居させるのは、通常の音世界では避けなければなりません。しかし私はそういう音を使いたいのであります(笑)。だからといってコード表記でb9th音と#9th音も一緒に書いちゃったりすると、まあこの辺の裏事情を知らない人にいきなり見せた日にゃあ「コイツ、バカじゃねーの!?」なんてせせら笑われてしまいかねません(笑)。そう思う人も居れば逆に混同させてしまうコトだってあります。「なんでalt表記しねーんだろ!?」とまで解釈されかねません(笑)。

alt表記で端折った日にゃあ私の意図する和声的な空間は、まず得られないでありましょう。一般的な和声的な音空間しか知らない人であれば。私の場合、ここでの「あたかもb9th音」の扱いは、たかだか16分音符に和声的な機能を持たせて全ての音を和声的に構築するかのようなガメた発想ではなくてですね(笑)、実際にb9thと#9thを同居させたい狙いがあるという事を声高に伝えたいワケです。

もし和声的にb9th音と#9th音を同居させたい場合、コード表記はEbsus4/G7と表記せざるを得なくなるんですな。

こういうコード使う人って居るの!?と思う方もいらっしゃるかと思うんですが、ショーター御大やベッカー御大が顕著です。それは過去に散々語って来たコトなので今更述べませんが(笑)、今回のこの曲では、音価も非常に短いため和声的には「G7 (#9、b13)」というカタチで十分なので遭えてこのように表記しているのでありますが、「本来の意図はこうなんだぜ!」みたいな事をお判りになっていただけると助かるんですなあ(笑)。



で、もっと言えば、私がトコトン異端な和声感を導入した場合、先の曲においてもっと「先鋭的」なコードを付加するコトも可能でして、今回のような唄モノ系ではまず導入はしませんが、実は「ふりそそぐ」の「り」の部分の所に、便宜的な表記では「B△7/C#m」という上声部にBメジャー7th、下声部にC#マイナー・トライアドというハイブリッドな体を与えます。

実はこのハイブリッドな和声、C#を省くと「D#△/E△」というEペレアスの体が見えて来て、さらにそのEペレアスに根音バスを求めるようにC#音を付加するという「D#△/E△/C#」という分数の分数コードとして機能させるコードを与えます。

ペレアスの和声に対して更に根音バスを求める配置としては、過去に黛敏郎のNNNニュースのテーマ曲を例を挙げたコトがありましたので、それについてもつい最近語っていたコトなので覚えている方もいらっしゃるとは思うんですが、C#音基準で見ると「C#m9 (#11、13)」という表記になるんですな。


マイナー・コードにおけるナチュラル13thというのは本当はアヴォイドです。意図して逸脱した世界を語る音楽感で無ければ(笑)。それはいずれは属和音の機能を持っちゃうからなんですが、「C#m9 (#11、13)」という便宜的な表記は実は属和音を包含しているワケではないので、この異端なコード表記はアリっていやぁアリです。但し、カタチ的にはペレアスの和声のさらに3度下方に音を付随した形だと覚えておいてほしいんですな。


このコード、黛敏郎の世界観もそうですが、実はショーター御大がやはり使っているんですなあ。賢明な方ならもう黛敏郎やペレアスの和声の事を語っている時に既にお気付きとは思うんですが、無粋とはいえ語らせていただきますか。ウェザー・リポートのアルバム「ブラック・マーケット」収録の「Three Clowns」でこのコードがやはり出て来るんですな。原曲の1分05秒のトコロですわ。名曲中の名曲だと思うので、死ぬまでに必ず入手して耳にこびりつかせていただきたいと思います(笑)。こういう「Three Clowns」のような世界観の中にも「半音違い」のフラ付き感ってお判りになっていただけるのではないかなーと思うワケですよ。

近年だと、こういう和声感持っている人というのはやはりエリザベス・シェパードになるんですわ。音数の多いテクニカルな語法って多くの音楽ジャンルにおいてついつい耳奪われがちになるかもしれませんが、自身が器楽的な経験を備えている方であればこそ、そんなテクニカル・フレーズなど差し置いて和声的な世界へ耳を鋭敏にしてほしいと思わんばかりです、ホントに。


今でこそ再認識されつつあるかもしれませんが、それこそウォルター・ベッカーの扱いやウェイン・ショーターという人の扱いって過小評価され過ぎではないかと思うことしきりなんですよ。凄く高次な音楽感を有しているにも関わらず。でもですね、結構ウェザー・リポートを好きな人でも「Three Clowns」の楽曲の魅力ってそうそう理解していない人の方が多かったりするモンです。器楽的な心得がある人でもそんなに多くはないのが現実でしょうか。とはいえ器楽的な心得がなくともこーゆー人達を聴き続けていればいつしか耳が習熟するだろうと何かに身を委ねるようにして音楽感のカベを飛び越えようとしてもそれはムリってぇモンです(笑)。名曲は向こうからやって来てくれるのではありませんし、音感の成熟の到来も時と場数が持ち込んでくれるワケでもないのであります。

少なくとも自身が器楽的な方面でも厳しい和声において磨きをかけようと努力しない限り、その苦労は報われないのであります。数聴いてナンボ、ではなく難度の高い語法においてどういう捉え方をすれば向き合えるのか!?というアドバイザー的な人がそばに居ることが早道なのでありましょうが、そういう人が身近に居たとしても多くの人は自身の無くてもよいプライドが災いしてしまってなかなか身近な人をリスペクトすら出来ないモノなんですな(笑)。そういう感情を殺して他人と向き合える真摯な気持ちを備えていることが先ずは重要なコトではないかな、と思うワケですな。私自身、たまたまウェザー・リポートを聴いていたからとかオリヴィエ・メシアン聴いていたからこういう楽曲の巡り会いを語るコトが出来るようになったワケではなく、自分なりに音楽的な研究を重ねてきたからこそある程度語れるようになったワケでありまして、器楽的な方面を語る上でアーティストのバックボーンやら誰彼の生い立ちとか、そーゆー知識は正直必要無いんですわ。この手の情報はアルバムのライナーノーツに任せておけばイイだけのコトで。


でまあ重要なコトは、ハイパーな和声は結局の所属和音を包含したりするワケですが、その「牽引力」を回避するには時には馬鹿正直に上声部と下声部で表記通りの和声をガツンと弾くだけではなく、上声部と下声部で「旋法的」に扱うことで中和させるとでもいいますか、そういうメリハリも重要になってくるとは思います。無論、ガツンと鳴らしても属和音の機能を向かせないようにすることは可能ですけどね。頭をもっと柔軟にしていただいた上で、ハイパーな和声とやらは半音階の「総和音」の一部なのだ、みたいに考えていただければと思うのであります。


例えば先ほどの左近治の提示した曲に現れる最終的な拡張可能なコードは「Ebsus4/G7」だったワケですが、G7から見れば長三度下にsus4コードを配置しているカタチなワケでして、これまで左近治は属七の和音の「長三度上」にsus4や7th sus4を配置する例を見せて来たワケですが、属和音の長三度上下にsus4を配置させる手法はどういう彩りを与えるのか!?というコトをあらためてご理解していただければな、と思うワケです。